あまり具体的に書くと18禁になる 2024/3/7加筆

フランスでは長らくグレーゾーンにあった中絶権がようやく憲法に明記されるというニュースがありました。フランスでは1974年に可決されたヴェイユ法によって中絶は一応合法となった経緯があります。一応というのは当初は5年間の時限立法であり、恒久制定されたのは1979年であること、社会の雰囲気としては依然として根強い反対論があったことから1990年代には「人工妊娠中絶妨害罪」なるものが制定されており、2017年にはそれが強化され2年の禁錮刑や高額の罰金が課されることになるなど白人社会が如何にカトリックの呪縛にとらわれているかです。今回の憲法への明記は中絶の自由をより明確にするためのもののようで、何気に世界初(日本経済新聞は「主要国で初」と表記)のことだそうです。

さて地球資源の有限性などを喩えて「宇宙船地球号」と言われたりするわけですが、確かに昨今の環境問題はとても顕著なものとなっています。環境問題はいうまでもなく資源を浪費し続けた結果生じてきたものですが、近年ではリサイクルへの取り組みがなされるようになっています。地球を巨大な宇宙船と考えるなら、どのようにすれば持続可能となるかは実際の宇宙船での生活を考えると分かり易いのかもしれません。食料は現段階では補給に頼っていますが野菜の栽培くらいはできるのでしょう。しかし宇宙船の中だけで完結する食物生産のサイクルを実現するにはまだ大きなハードルがあると言えます。水にしてもなるべくリサイクルされるようになっているようですね。

国際宇宙ステーションは実際に運用されているわけですが、そこでの性行為がどのように扱われているのかは分かりませんが、宇宙船内で妊娠出産するような例を考えてみると、まず宇宙船の定員が問題となりそうですが、実際には地球に戻って出産することになるでしょう。ということで地球を宇宙船に見立てると、実際の宇宙船でどのようなことが問題となるかが浮き彫りになりそうです。

こういった問題はタブー視されがちですが性の問題は無視できるものではないという個人的感想を強く抱いており、とりわけ男性にとって大きな問題かもしれません。女性には毎月のものがあるわけですが、実は男性も腹痛を起こすのではないかと考えており、それもちょうど一月くらいというのが実感としてあります。そのような男性宇宙飛行士の問題がどのように処理されているか或いはされていないのかは定かではありませんが、これは地球で考えてみても実は処理されることの方が自然であるはずなのです。

人は生活をしていくうえで様々なことをこなさなければなりません。学生であれば学業を修め、社会人となれば社会へ出て働く必要がある。そして収入を得る目的は現代では結婚しない例も多くあるようですが、伝統的には家族を養うためであり、大変な労苦を伴うことでもあります。もちろん家庭内労働の問題もあります。私は実は夫婦間の営みはそういった労苦と対になるものではないかと考えており、つまり労苦に耐え続けられるにはそれなりの理由があるものと考えます。であるなら宇宙船内でも職務としての活動があるのであり、それと対になるものがあるほうが自然ではあるのでしょう。問題は実際的なところであり、こういった問題を考え始めるとどうしても卑猥なことを取り上げざるを得なくなります。

以前に書いたものは18禁指定されてしまったわけですが、長くなりそうなので簡潔に書くことにします。

下ネタですが私が性犯罪者にならずに済んだ理由

避妊というものは女性に対する思いやりでもありますが、子は天からの授かりものと言われるように、現状ではアフターピルなどの断固とした処置くらいしか確実なものはないわけです。といったことや、そもそも独身男性が多く存在する現代では男性の自慰行為は隠されがちなものではありまうが、どうしても考えざるを得ないことだと思うのです。そこでそれに関する実際的な問題ですが、自慰行為は相手を伴う性行為と同様に対象が必要ですが、ポルノなどはそのために存在する現在では必要悪となっているところはあるでしょう。しかしポルノは必ず被害を生じさせることが問題で、誰かの犠牲の上に成り立っているわけです。これは実はとても大きな問題であり、現代社会が如何に性産業に従事する女性に負担を押し付けているかです。以前にも書きましたが性行為の本質が相手の「体臭」を嗅ぐことと考えるなら、実はその「匂い」さえあれば相手の伴う性行為を疑似体験することと同じではないか、という問題提起です。この問題は性犯罪から始まる現代の多くの問題に繋がる話と思い、徹底的に掘り下げる必要があると考えます。ただどうしても拭うことの難しい恥ずかしさは残り、多くの人のコンセンサスを得る必要があると考えます。皆さんに考えてもらいたいことは、独身者への偏見や自慰行為をタブー視することで、どのような歪みを社会に生じさせる結果になるかということです。

また最近は障害者の性の問題も取りざたされるようになりましたが、以前に見られたとても有用な動画があったのですが、今検索してみると見つからなくなっているようです。その動画は脳性麻痺の男性が介助の一環としてのヘルパーさんをお願いするところを取り上げたものでしたが、女性のヘルパーさんは年齢でいうと60代くらいに見えましたが、介助が終わって帰る際には男性からとても感謝される様子が見てとれました。この問題もまたいずれ取り上げる必要があると考えます。

男性にとっての射精は「快楽」という側面で捉えられることが多いですし、事実十代二十代ではその側面が大きいのかもしれませんが、個人的感想としては三十代くらいになるとどちらかというと「苦痛からの解放」の側面が大きいです。自分で処理をしても空しさが残るというのもあるが、四十代にもなって自分で処理をしなければならないというのはどうにも情けなく、どちらかというと性欲などないほうが良いのだが、我慢を続けると最後には何も手に付かなくなったりするというのが大きいでしょう。ということでどうしてもそれをするにあたって対象が必要になるわけですが、脳性麻痺の男性に対する介助では、具体的に書きますと介助をする女性がゴム手袋をつけてタオルかティッシュなどで擦って射精を促していましたが、その時に男性は女性の方に顔を近づけるような動きをしていまして、これは男性なら分かると思いますが、射精するにあたって少しでも女性の「情報」が欲しくなるわけです。

動画で見た脳性麻痺の男性に対する射精介助

男性からすると女性の頭や顔から発する匂いはとても安らぎを得られるもので、ですので擦って射精を促してもらえる介助ですが、実はそれだけでは自慰行為の延長上にあるものというのが私の意見でして、介助を受ける男性からしても擦って射精を促してほしいのか、それとも女性の情報(匂い)を得たいのか、あまり整理がついていないかもしれません。私の意見としてはどちらかというと女性の情報(匂い)を得たいという要素が大きいのではないかと思いますが、ただ恥ずかしいということもあり、そのような意志はなかなか表明できるものではないでしょう。ですのでさりげなく匂いを嗅ごうとしたりするわけですが、こういったことは整理をつけて、どのような需要があるかということを男性側から発信していくことも有用ではないかと思います。

男性にとっての性行為とは二つの要素があり、まず一定の年齢になると射精とは苦痛からの解放という側面と、射精するにあたって女性からの情報(匂い)が必要になるという意見。若いうちの射精は視覚的な性的興奮によるものが大きいですが、一定の年齢になるとどちらかというと視覚情報でなく女性の生身の体から発せられるものを得たくなるものではないでしょうか。夫婦や恋人同士であれば同じ空間を共有することで知らず知らずのうちにそれをしているということになるかと思います。

介助が終わって女性が帰る際には男性は正座をしたうえで手をついて深々と頭を下げていましたが、これは農村部では今でも残る風習で、農村部では田舎町にも一軒くらい武家屋敷があるものですが、江戸時代から続く風習なのでしょう。いずれにしても客人に失礼のないようにということで悪い習俗ではないでしょう。客人に対して深々と頭を下げなければ「頭が高い!」と祖父から叱りが飛んできたと母から伝え聞いており、私の祖父の代まではそういった風習が色濃く残っていたようです。こういったことが性風俗産業でも女性に対する謝意として普通のことであれば等と思ったりもします。ガタルカナルタカさんは「土下座をすると女性はHをさせてくれる」と言っていたものですが、逆に感謝の念を表明するにもとても良い方法でしょう。

介助が終わって帰ろうとする女性に深々と頭を下げる男性