見出し画像

自分の意志で事務所の扉を閉めに行った話

アイドルマスターSideMが好きだ。
私はその始まりの物語である、ソーシャルゲーム版アイドルマスターSideM(以下モバエム)が大好きだ。
SideMはこの8年間で、様々なメディアミックス展開を遂げてきた。
思い入れの差はあれど、それぞれに良さはあり、どれも「SideM」であると私は思っている。
けれども、私が最初に出会ったのはやっぱりモバエムで、モバエムがあったからこそSideMのことが、315プロダクションのアイドルみんなのことがここまで好きになれたのだと、今ではそう思っている。

エムステが終わって、サイスタが始まって。
モバエム内でのストーリーは、もうまとめに入っているような気がしている。
全盛期と呼ばれる時代には3万前後だったイベントアクティブも、今では1万を少し越えるくらいだった。
2017年、グリマス(ミリオンライブ!の最初のゲーム)のサ終が発表された時、参考までにと失礼ながらイベントアクティブを覗きに行ったことがある。記憶が間違っていなければそれも1万ちょっとだった。グリマスのサ終の経緯は分からないが、この1万という数字は私の中で「秒読み段階に入っている」という目安だった。

私はショックを受けることが苦手なので、常に最悪の事態を考えておく癖がある。
きっと遅かれ早かれモバエムは幕を閉じるのだろう。
後発アプリのエムステに先立たれ、サイスタが始まった以上、より一層そう考えるようにしていた。


2022年7月末。
Twitterで2ヶ月先のスケジュールを告知していたモバエムから、9月のスケジュールが発表されずにざわつくTL。
ついに来てしまったのか、と身構えるも、この時はまだ「もしかしたらC.FIRST(サイスタからの新ユニット)がモバにも来るのか?」という期待もゼロではなかった。
しかし、そんな期待も虚しく8月28日に9月の予定がようやく発表され安心したのも束の間、9月1日に「9月30日を持って新規イベントの更新停止」というお知らせが出されたのだ。
イベントの更新停止。それは週休4時間で8年間イベントを開催し続けたモバエムにとって、物語が終わることとほぼ同義であった。

そして「更新停止」がゆえに「まだサ終ではないから…」とほんの小さな希望を持たせながら、約2ヶ月間、今後の方針を一切出さずユーザーを放置した後、11月4日にサービス終了の告知を出し、1月5日にモバエムは8年間の物語に幕を下ろした。

あまりにも雑な終わり方に、正直唖然としたのを覚えている。
サ終するにあたり、様々な事情があったのだとは思う。
そんな中で、一生懸命に働きかけてくれた方々もきっといたのだろうと思う。それは分かってる。
けれど、そんな事情を憶測で「汲んであげる」必要は、ただの消費者にはなくてもいいのかな、とも思う。
「運営も大変だよね」と思う余裕も、優しさも持てない程に、8年間運営してきたソシャゲの終わり方としては「ない」と思ったからだ。
それほど急に決まったことだとしても、だ。

一度も、更新停止後にも復刻イベントをせず、アイテムを使わせるようなお祭りイベントもなく、よくある日常のまま幕を下ろしたのは、SideMらしいといえばらしいけれども。


随分と前段が長くなったが、ここからが本題である。
モバエムのサ終にあたり、最後のストーリーとして「旅立ちへの1コマ」という寸劇が公開された。
サ終前日までの15日間、一日1話公開されていく形式だ。
内容は端的にいうと「プロデューサーとしての手腕を海外で発揮しないか」という海外出張エンドだった。

私はこれが非常に辛かった。
ただでさえサ終したら事務所を物理的に追い出されるというのに、ゲーム内ですら私は最後まで、みんなと過ごした事務所にいることができないのか…。辛すぎないか。
隣の芝はいつも青く見えてしまうから、事務所移転異動エンド(仮)の流れが今の所(3月上旬現在)あまりにも羨ましいし、こんなことなら小籠包エンドがよかったよと思う。何でアイドルたちと無理矢理離れ離れにならなきゃいけなかったんだろうな…。何で自分が原因でアイドルたちを泣かせなきゃいけなかったんだろうな。許せん。

でも、結局何を出されても文句は言ったと思う。更新停止からサ終までの流れがあまりにも雑だったから。
終わりよければ全てよしと言う言葉の、全て逆をいってしまったせいで、色んなものが台無しになっていく様を見届けなければならないのは虚無だった。

どうしても、どうしても海外に行かなければならないのなら、せめて一日目に「海外に行ってみないか?」と社長に聞かれた時、一択しかない「行きます!!!」という選択ボタンを強制的にでも押させて欲しかったと思う。
それがなかったのは、一つの優しさだったのかもしれないけれど、結局ゲーム内のプロデューサーは海外に行く行かないの返事をストーリー上で具体的に言葉にする事なく、空港で賢に見送られて物語が終わった。見ている側としてはずっと「返事してないのに勝手に行く事になってるんだが!?」という心情だった。
上手く言葉にできないのだが、私はそのぬるっとした終わり方にどうしても納得ができず、やるせなさを覚えていた。


サ終後はどんな感情でいられるか分からなかったので、刺激を与えようと室内スカイダイビングに挑戦したりしてみた。
以前、バンジージャンプをしていたPさんをお見かけして、そういう手もあるのかと思い、私は上に飛ぶ事にした。
「私は海外行きの飛行機には乗らないが、物理的には飛ぶぞ」という気持ちだった。うちの事務所も空を飛べるからな、私だって物理的に飛べるわ。

結果、ものすごく楽しかったけれど、やはりこの虚無感とやるせなさは、そう簡単に消えるものではないことが分かった。


その後もモヤモヤとしたものを抱えながら、SideMというコンテンツから提供されるものを、楽しめるものは楽しみ、なんだかなぁと思うものについては文句を言ったりしていた。
あまり健全ではないとも思うが、嫌なものは度がすぎなければ別に嫌と言っても良いだろうとは思う。ユニット揃えてライブしてくださいは、ずっと言ってしまうしな。そろそろ本当に言わせないようにして欲しい(オファーが遅いであろう運営の話だけをしています)


ただ、このままの状態も精神衛生的に良くないので、私は自分の中で何か区切りをつける儀式ができないかと考え始めた。
そして、ふとあることを思いついた。


「そうだ、事務所の扉を自分で閉めに行こう」


どこに事務所の扉があるんだ?と思った方もいるかもしれないが、現在、銚子には「315プロダクション銚子支部」がある。
315プロダクションのロゴがちゃんと付いている「あの扉」が実在しているのだ。

ご存知の方も多いかもしれないが、私はSideMと銚子電鉄のコラボのお陰で銚子に行きまくり、ただの銚子のオタクになりつつあった。
もともとグランドフィナーレが始まるタイミングで銚子に行く予定だったので、そこで事務所の扉を閉める事にした。


犬吠駅の2階に佇む銚子支部には実際に何度も足を運んだ為、私にとって本当に第二の事務所のようだった。

見納めだ。
そう思いながら事務所の椅子に腰掛け、16ユニットに増えたポスターや、たくさんのPからのメッセージを眺める。

今までよかったことも嫌だったこともたくさんあったけど、アイドルたちのきらめきを、こうしてずっとそばで見守ることができて、本当によかったと思う。

SideMが歩いてきた道の先に、この銚子支部が生まれたことが、何だか面白くも、嬉しくも思えてきた。

席を立ち、もう一度周りを見渡してから、事務所の扉に手をかける。
銚子コラボの思い出も相まって、やっぱり少し寂しくて、じんわりと視界が歪む。
けれど、これでようやく私は自分の意思で事務所の扉を閉めることができるのだ。
自分の意思で、ちゃんと事務所とお別れができるのだ。
扉を開け、一歩を踏み出す。

今まで一緒にいてくれてありがとう。
私をプロデューサーにしてくれてありがとう。

そんな気持ちで私は自分の事務所に別れを告げる為、事務所の扉を自分で閉めた。


事務所の扉を自分で閉める事。
これは私の事務所とのお別れの儀式として、とても効果があった。モヤモヤしていた気持ちが少しだけ晴れやかになった。
これからは一ファンとして、315プロダクションのアイドルたちの活躍を楽しんでいきたいと思う。


銚子コラボは2023年3月31日まで開催中だ。
誰にでも効果があるかは分からないが、もし気持ちがスッキリするかもしれないと思ったら、是非行ってみて欲しい。
遠いけど海は広いし、開放的な気分になれるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?