私とアレルギー🤍
わたしは小さい頃、卵と乳製品と小麦のアレルギーを持っていました。
お母さんは、ステロイドという強い薬を使わずに、
除去食を毎日作って、私に食べさせてくれました。
幼稚園では、お母さんが作ってくれた私用のおかずの入ったお弁当を食べていました。
今思うと、本当にお母さんは、
愛のある人です。いざ自分が大人になると、お母さんの凄さを身にしみて実感します。
本当に私のお母さん、すごいです。
よく、精神的にすごく辛かったと話してくれることがあります。その話を聞いていると、泣いていることが多いです。
辛かったんだなぁ、辛い思いをさせたんだなぁと
聞いていてすごく感じます。
今日は、そのアレルギーについて、
私目線での話をしたいと思います。😌
当時の私は、それが自分にとっての普通として
生きていたので、
その当時は、そのアレルギーにストレスを感じて過ごすということは少なかったです。
ですが、小学校、中学校に行くと、
他の子との『違い』というものに直面します。
『食べられなくてかわいそう』と言われたり、
私が食べているものの他に、私の知らない美味しいものがあるんだってことを知ったり、
私のアレルギーは、
卵、乳製品、小麦の食べ物を食べると
すぐに倒れてしまったり、湿疹が出るというわけではなく、
食べ過ぎると皮膚がボロボロしてくるという症状だったので、
少し食べることは大丈夫でしたが、
今の私がもし、子どもができたら、
子どもには、いろんな種類の食べ物を食べさせてあげたいなぁって思います🥲😭
子どもの時から、自分の好きなものを食べられたら、きっと自分で選ぶという選択をする時が来た時に、自分を信じて選んでいけると思うのです。
私は高校生になって、
普通に乳製品、卵、小麦の食べ物を食べるようになったのですが、
やはり、小さい頃に食べられなかった分、
「反動」というものが起きます。
今普通に手に取るお菓子も、
アレルギーのなかった子どもは、これを普通に手に取って食べていたんだなぁと
寂しさを感じたり、
わぁぁぁってたくさん食べたくなる時がきます。
↑これについては、小さい頃の食べられていなかった自分が欲しがって食べているような感覚があります。
私がなぜ、今このことについて書いているか、
それは、『いい子ちゃん』だったからです。
小さいながら、アレルギーのことで泣いたり、癇癪を起こしたりしたら、毎日アレルギーの除去食や、幼稚園のお弁当を毎日作ってくれていたお母さんを悲しませてしまうということを分かっていたので、私は大丈夫って気持ちでお母さんと接していたんですよね。😌
もちろん、
お母さんの愛はすごくありがたい愛なので、
感謝の気持ちしかないのですが、
この辛い思いというのを我慢というか、
自分の中にしまっておいていたことだったのです。
これは、『自分のために』書いています😌☺️
あの時の自分に、ごめんね、ありがとうねという
感謝の気持ちと、
辛かったよね、いい子でいてくれてありがとう
頑張ってくれてありがとう
もう蓋をしないでいいんだよ、我慢はしなくていいんだよという気持ち、
自分にありがとう✨という気持ちで、
あの時の自分へのラブレターです💌
『頑張ってくれてありがとう』
『辛い思いをさせてごめんね』
『食べたいって気持ちがあったけど、その時に食べられないのは、苦しかったよね。
今はもう食べられるようになったよ。
ありがとう。』
『いつも頑張ってくれてありがとう。
ずっとずっと大好きだよ。』
私の時は、少なかったですが、今はアレルギーを持つお子さんが増えたように感じます。
お子さんとお母さんに寄り添える、これも今は武器だと思っています☺️🫶🏻
最後まで読んでいただき、ありがとうございます😌
読んでくださった方に
たくさんの幸せが訪れますように、祈っています✨✨
💡今日の名言💡
私の人生よ!
それを生きるのは私よ!/ LUCY
スヌーピー名言より
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