悲しみ・怒りの反芻

2020年5月28日 No.2


こんばんは、夜のradio sufiです。

2回目になりますね。夜のradio sufi始めたいと思います。どんな話がいいでしょうかね。夜っていうと、なんか見えない話の方がいいんでしょうか、氣分が盛り上がりますか。そんな事を私が言ってしまうと呼び寄せてしまいますので、あまり怖い話はしたくないんです。実際にあった出来事であればいいですかね。

昨日の夜、寝る前におトイレに行って、手を洗っていたら、後ろ、背後から視線を感じたんです。視線を感じたその方向へバッと振り返ると、ある奴がいたんですね。ゲジゲジが上の方からこちらを見ていて、バッと目があったんです。

「誰だっ?」って話ですよね。

でもあれは、ちょっと苦手です。

東京にいた時、神奈川でしたけどムカデが出たって話、ホラー映画を見ていたらそれが念となって、ムカデがいっぱい出たよっていう話をしたと思うんですけども。北海道にムカデはいないです。いわゆる東京とかにいるでっかくて赤黒いやつ、ああいうのはいないんですけども、ゲジゲジっていって、ちょっとサイズは小さいんですけど形は同じですね。

それで、北海道で昨日見たのはすごく大きかったです。虫嫌いな人いたら、こんな話をしてごめんなさいね。自分が住んでるところで、しかも家の中で見たのは、初めてじゃないのっていう感じです。外でもあまり見ないですよ。ほぼ見ることはないです。

なのに家の中にダンっていて「ギャー」って。


背筋が凍る感じで、

しかも目が合ったんです。


だって、視線を感じて振り返った先にそいつがいたわけですから。という話を今日みんなにしたら、「虫と目が合うって、視線に氣づくとかって経験ない」ってみんな言ってましたけど、ないですか?

人に後ろから見られてたら、なにか視線を感じてフっと振り返る事ってありますよね。それで、見てる人もいれば、ふと目を逸らしちゃう人もいるだろうけれども、視線って絶対氣づくじゃないですか。

昨日の場合は、上の方から見てたわけですよ。パッと見て「うわぁ誰?」みたいな。

虫の知らせ。その人の思いが虫に乗ってやって来るよって、ラジオで以前話したと思うんですけども、ゲジゲジはさすがに「ギャー」ってなって。「誰の念が飛んできたんだー!!?」みたいな。

今回は、私には直接関係なかったみたいなんですけども、木バサミとかを持って、夜中に追いかけ回して、結局仕留める事はできなかったんです。たぶん、どっかに逃げていったみたいなんです。でもそれ以来、今日は出てないです。誰も見ていないみたいなのでどっか外へ逃げていったのであればいいんですけども。

まぁ、用事が終わって、なにか伝えに来たのかもしれないですね。用事が済んだから、外に出ていったんでしょう。念であれば、意図したところに届けば、ある程度止まりますので、いいんでしょうけど。まぁびっくりしました。もう、怖い。足がいっぱいあるし、速いしっていう。まぁ、都会のムカデに比べたら。。。いや、可愛いものとは言えないな。苦笑

目が合うっていうのは、ちょっとトラウマ級になりましたね。夜中に、戦いを昨日は繰り広げていたわけです。


大体、無防備なところをやられるわけですよ。

そういう念的なものっていうのは、本当に。


そんな感じでなんとか切り抜けたわけです。そういうものを夜に飛ばしてくるっていうのは、なんですかね。

人の念っていうのは、昼間活動的になっている時よりも、夜の方がみんなしんみりして、思考したり、思いが湧き上がったりとか。そういうので悶々と悩んだりするのって、大体夜じゃないですか。要するに陰陽で言うと、夜は陰になりますね。太陽が出てる時は陰陽の陽だから、活動的であり明るくであり。どんなに晴れていても夜は暗いですから、陰なんです。

なので、どうしても心に向かうわけですね。

それで、その心がどんよりしていたり、恨み・辛み・悲しみ・怒りなんてものがあったら、それについて悶々と考えてしまうのが、陰陽の陰の夜の仕業、影響でもあるわけですよね。

そんな過去に起きた事とかでも、悶々と考える人はいるんじゃないのかなと思うんですけども、人間って過去のことを、いろいろ考えたりしますよね。あの時こうだったとか、あの時こう言われたとか、そういう話を繰り返し頭の中で、グルグルグルグル回っちゃうっていう時があったとします。

そういう時っていうのは、完全に“今ここにいない状態”です。こないだお話したと思いますけども、過去に生きていて、過去に引っ張られている。全然未来を見てないし、今すら生きていないっていう状態です。


牛って食べ物食べた後、オエッて戻して、反芻してもう一回なんかやるでしょ。消化いっぱいしたりするでしょ。

それと同じように人間の思考で、

悲しみだとか怒りを反芻させて、

もう終わった事なのにまた思い出して、牛みたいにモグモグやるわけですよ。

あの時こうだったとか、ああだったとかっていう。

人間の思考って、牛の反芻みたいなものだと思ったら、

なんかアホくさくなりませんかね。


やめよう?みたいな。だって、もう目の前にその現実ないんですから。じゃあどこにあるの、自分の頭の中だけにしかないわけですよ。

例えばもし誰かの事についてイライラしたり、悶々と考えていたりしたとしても、その相手はもうすっかりカーンって忘れているかもわからないです。たぶん次のステージ、毎日、日々日々進化しているわけですから、

その過去に生きている人なんて、誰ひとりいない。

持っているとしたら、その悩みを抱えている人の頭の中だけ。そこの中だけですよ。それは、どういう事ですかね。いいんですかって思うわけですよ。そういう自分も昔は、そんな時代もありましたよ。なんか悲劇のヒロインを氣取っちゃうみたいな。

そういう事をやる事によって、自分の存在価値を維持しようとするという、自分の中のパターンみたいなのを発令してしまうんでしょうね。その状態っていうのは、なんか深海です。

海の深海に生きている状態です。

世界は明るいよ、広いよ、楽しいよっていうのを垣間見たりするんだろうけれども、やっぱり夜になると、悲しみや怒りの反芻をしてしまって、悶々々と過ごすと。「暇かっ?」っていう話ですよね。創造する事とか、もっとたくさんやる事あるじゃないですか。

要するに言い訳なんですよね。

自分が幸せになる事とか、何かを創る、クリエイティブになるという事を、自分にOK出してない人っていうのは、それをやらなくても済む理由をいつも探しています。だから、ネガティブな状況だったりを自分から作り上げてしまう人もいるだろうし、そうやって自分をダメな状態に維持してしまうんです。

要するにやりたい事、

未来に向かって輝く自分になれない言い訳を、

人のせいにしていくわけです。


「だってあの人が、こう言ったから」とか、「社会がこうだから」と言って。

悶々とそれを考えて本質を見ないようにするっていう、自分の中の出来上がったパターンですね。そういう人は、“自分を幸せにしてあげる事を許す”という事をするといいと思いますね。創造的だったり、楽しんだり、そういう事を自分がやってもいいんだよっていう事を、心から自分を許してあげないといけないと思います。

心のパターンとしては大体、

親子関係からそういうものは構築されてしまいます。

母親の影響は大きいと思います。


もしお母さんと娘っていうと、生物学的には女と女ですから、これはライバルになるわけです。いくら自分の子供だとしても、これは不思議とライバル心っていうのが出てしまうのが母親の性みたいだそうです。

口では「可愛いね、愛してるよ」と言っていても、どこかでライバルなんです。これはもう仕方がない、動物的な反応なんだそうです。だから「あなたのためを思って言ってるのよ、やってるのよ、あんたこうしなさい、ブーブーブー」と言うんだけれども、実は心の底でちょっと足を引っ張ってたりするんです。

「私が一番よ」と。

女の世界ですから、そういうのがあるわけですよね。

それで、そういうのに氣づいて、母親だって人間だしって、ある時点で思えたり、反抗期をしっかり迎えて、母親としっかりと独立するっていう事をしてくればいいですけども。
そういうのもなく、氣づけないままだったとしたら、自分は幸せになってはいけないんじゃないかっていうのを、植え付けられてしまうんです。

その根本というのが、女同士の戦いのライバル心です。


大人と子供だったら、大人の方が強いわけだし、頭もいいわけですから、あの手この手、思考や言葉、行動を使って。大人はずるいですから、子供というライバルをうまく蹴落とすような事もできるわけです。でも、子供心にそれはすごく傷つくわけです。でも、子供だから何されているかわからないわけですよね。

それが、心の奥底にパターンとなって染み込んでしまうと、幸せになってはいけないんじゃないかって、思い込んでしまいます。潜在意識の中にガッチリ入り込むんです。それで、潜在意識の中にそういったものが入り込んでしまうと、何をやってもうまくいかないです。

もう、ダメダメになるように行動してしまう。


これが成功すれば自分はすごく幸せになれるのにとか、人生を謳歌できるのにっていうところで、

幸せになれないように行動していってしまう。


または、親からの圧力が強かった人っていうのは、自分が幸せになる事について、親への罪悪感みたいな、

親より幸せになってはいけない、

みたいな罪悪感が生まれる場合もあります。


これはもう、心の不思議なんですけれども、潜在意識の中にそういうふうに組み込まれてしまうと、氣づいて自分でそういうものを克服しようと思って努力すれば、なんとか超えられるんですけども、そういう事を見るという機会は学校では教えてくれないので、氣付かないうちに「なんかうまくいかないよなぁ」とか、そういう事を選んでしまったりするんですよね。

例えば、虐待をしていた親子、親に虐待をされていましたっていう人がいたとします。そういう人は大抵の場合、結婚相手に虐待する人を選んでしまうんですよね。

これもやっぱりパターンなんです。

学校でいじめられている子っているじゃないですか。やっぱり家族の中でもそういうパターンが出来上がっています。だから、いじめられっ子を見ると、いじめたくなるんです。なんかおかしなこと言ってますか?

これは見えない氣の世界の話です。

パターン化現象

っていうふうに、名前をつけてもいいのかなと思うんですけども。その人がそういう形をしているわけですよね。形づくられちゃったから。

だから、それを現実化できるように周りが助けてあげてしまう。

これは普通のいじめの話と比較しないでくださいね。怒られますから。ちゃんと説明しないといけないことなので。いじめられる人が悪いという事で、一言で片付けてはいけない話ですよ。

ちょっとそこは氣をつけたいとこなんですけども。誤解されるとは思いますが、そういうパターンがあるんですよね。だから、虐待されてた人は、虐待してくれるような人を選んでしまうっていう事です。それで、幸せになってはいけないと、どこかで深いところで思っている。潜在意識で思っちゃってる人は、自分が幸せになれないような相手を選んでしまうんです。

潜在意識の為せる技でもありますよね。


そういう自分のパターンを現実化していきながら、悲しみや怒りを反芻させて、現実化を頑張ってるわけです。

“幸せになってはいけない”という現実化

を一生懸命頑張るんです。

なんでそんな事、頑張らないといけないんだろうって、普通に聞いてるとおかしな話だけれども、本人は氣づかないです。

もしも、

自分の置かれている状況が幸せじゃないなと思った場合、

自ら自分が作り出している、

自分の潜在意識の現実化を疑ってみるといいと思います。

本当に、自分の人生はこれでいいんだろうかというふうに改めて考えてみるという事をしてみた方がいいとは思いますね。

もし、そういう潜在意識が働いているのかもしれないと疑うのであれば、潜在意識に深く深く、何度も何度も埋め込まれたものですから、新しい埋め込みの言葉とか、アファメーション、肯定的な宣言を繰り返し繰り返し自分の潜在意識に、埋め込みしていく。

上から入れていくって感じです。

古いものを潰して、

新しいもので塗り潰して、

新しいものを入れていく

ぐらいの感じで、もうしつこいぐらいに自分で、

私は幸せになるんだとか、

幸せになっていいんだよ

って、しっかりと潜在意識に入れていくというのもひとつの方法だと思いますね。

そんな感じで、自分の幸せについて考えてみるという、そんな時間を持ってみてもいいんじゃないでしょうか。今日は、そんなところでやめてみたいと思います。

それでは、また。

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