ただただ肯定してくれた
今日は心のホスピタルだった。
ここに辿り着いたのは癌の病院から別の市のクリニックを紹介され
鬱の新薬を2週間ずつ試すことになり、悪化して電車に乗れなくなり
それから今の心のホスピタルに辿り着いた。
薬は安定剤のみにしてカウンセリングのみ
一時、抗うつ剤も飲んだけど副作用が出てストップ。
「私は鬱じゃないんじゃないか?ただ憑依されやすいだけじゃないか」
こんな非科学的な話をただただ肯定してくれた。
「僕みたいな精神の医師は症状によって診断するだけで
〇〇さんが客観的に自分で鬱じゃないと思うなら鬱じゃないんですよ。
憑依や一時的に霊体が見えていたことも一つの能力だから。
ただ鬱じゃないにしても「不安が強い」とは言えます」と
バカにせずただただ肯定してくれた。
安定剤飲んだら呼吸マシになるし、
もしかしたら先天的に内耳が働いていないので
平衡感覚を赤ちゃんの頃から脳が代わりにやってきたから
鬱は心の病気だと言われているけれど、
脳がとうとうバグってきたのだと思ったりもする。
あの強い強い抗がん剤も無関係ではないような気もするし
放射線治療も良くなかったかもと考えたらキリがない。
「自分でコントロールできるなら
安定剤でも睡眠でも何でもいいんですよ。」
もう「遠出すること」を強く勧めてこなくなって
遺伝性乳癌卵巣癌症候群のことをひたすら質問してきた。
穿った見方をするなら肯定してくれたのは私の話を聞いてくれただけで
非科学的なことを信じてくれたわけではなくて
先生の中では新たな医学的な事実=遺伝性が陽性=不安強になっていると考えているようだった。
何でもいい。
原因なんか今はどうでもいい。
今月は安定剤を減らすつもりで薬を出してもらわなかった。
その分
眠って、好きなものを見て、聴いて、笑いたいだけ笑おう。
鬱の一つの症状の涙は泣きたくても自分のことでは涙は出ない。
笑顔は取り戻したけど、泣くということができない。
ザ・ノンフィクション見て泣けるのに
自分についての悲しさ辛さ寂しさ嬉しさでは涙が出ない。
「当たり前ですよ鬱の人は泣けないから
少しでも泣けたら良くなってきてると思って下さい」って言われたことがある。多分感情が無くなるんだろう。
心のホスピタルで初診時に泣いたのが1回目
2回目はそれから3年後の今年
外見では鬱に見えないため周りの理解が得られず実家で些細なことでトラブルになる。先生の前で泣いた。
その時に「泣けたこと」を褒められたのだ。
反対に何でもないのに悲しくもないのに外で理由なく涙だけ出ることもあった。
これは自分の感情ではなかった。
心は泣きたいのに私が感情無くしてるから体が耐えられなくなったのかな。
いつか心の底から嬉しいことや幸せなことで涙を流したい。