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罪悪感

※微うつ表現を含みます。閲覧の際はご注意ください。
あと、今回のテーマの関係者を恨むことは一切ありません。単に私の気持ちの問題なので、そこだけは勘違いせずに読んで欲しいです。


 昔から、いや、つい最近からのことだろうか。私は「牧場」と聞く度に、何故か気分が悪くなっていた。牧場で見る、可愛らしい牛などがこの先どうなってしまうのか心配でたまらない。

 数年前、学童クラブに入っていた時のことだ。地元特産の肉牛を育てている牧場にお邪魔することになり、暑さと糞の匂いに纏われながら牧場へと入っていった。牧場に来たものの、牛に餌を与えたり、牧場の話を聞くくらいだった。
 問題はその後である。
 学童クラブでの「おやつの時間」に出されたものは、牛肉だった。焼肉は正直好きだから、その当時は特段何も思わず、せめて美味しいと感じたくらいだった。ちなみに今でも焼肉は欠かせないほど大好物である。
 なんとも思わなかったことが、突然胸に引っかかった。あの時私が食べたのは、あの牧場で育ってきた、1匹の牛――――――。今じゃ到底そんなものは食べられない、もう何もかも食べる気が失せる。一瞬でもその牛たちを思い出すだけでダイニングに行く気がなくなる。
 でも食べるなんて当たり前のことだ。生き物は何かを食べないと生きていけない、誰かの犠牲の上で成り立っている。それはもう熟知していた。
毎日の食卓に美味しいものが並ぶのも、植物や動物を育てた人達がいるから、私たちは生きていけている。ご恩は十分に与えている。
 涙が堪えられなくなる。これが現実だなんて信じたくない。だが大昔から成立する自然の理には逆らうことも当然できない。どんどん真下の床が濡れていく。あんなクズの世界、ぶっ壊れてしまえばいいのに。汚い。さっさとそんな社会から出ていきたい。なんとかそう思う人に寄り添うかのように、感謝をしろとは言われるけど、生命への感謝はしてもしきれない。むしろ耐えられない重い罪悪感が身体を圧迫する。
 そんな世の中を全うできている人が多いことが奇跡に思える。私もあんなことで気にせずにいたらもっと楽に生きていけるんだろうけど。焼肉は好きだから食べているのに、あの痛い現実を知っているなんて、私はどう生きればいいのだろうか……。


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