【イタリア行きをやめました】



こんにちは、三井です。


本日のテーマは、
タイトルそのままの話です。

私は、縁あって
去年、一昨年とイタリアに行き、

今年もイタリア行きを
ずっと決めていたのですが、

ギリギリのギリギリで
今回は行くことをやめることにました。


なぜそんなに
毎年イタリアに行きたかったのかと言うと

昨年イタリアのオリーブ農家さんで
オリーブの収穫からオイルの搾油までの
体験をする機会に恵まれました。

絵に描いたような雄大な景色を眺め

オリーブが、
どのように作られていくのか
どんな人がどんな思いで作っているのか

そして、初めて目の前でオイルとなった、
搾りたてのオリーブオイルの味を知ったときに

めちゃくちゃ感動して、
絶対毎年行く!と決めたんです。


で、その思いに
何の疑いもないまま1年が経ち

再びオリーブの収穫のシーズンが近づいて来ました。

本当なら、
早い段階で飛行機のチケットをとったり、
宿を押さえたりしないといけないのですが

自分でも不思議なほど
準備が進まないんです。

なんでなのか、なんでなのかと、
ずーっと自問自答して
ようやく辿りついた答えが

「行かないといけない」

と思っている。ということでした。


「は?なんで?誰が頼むの?」
と思う方もいらっしゃいますよね、

実際、私も思います。


でも、
自分の本音の本音の本音を
掘り返してみたら、

去年の純粋な
「また行きたい!」という思いから、

いつの間にか、

・現地の友達にまた来年も来ると約束してしまった。
・毎年イタリアに行くと周囲に豪語してしまった。
・忙しい農家さんの手伝いをしなくちゃ
・無理なお願いをきいてもらえることになっている
・毎年行かないと関係が途切れる
・特別な美味しいオイルを日本で待っている人がいる
・どうせなら現地でいろいろ買い付けてこようかな
(延々…)


なーんて、
笑っちゃうでしょ。

誰も、ひと言も頼んじゃいないのに、

勝手に自分で責任や期待を背負ったり、
邪な考えを持っていた自分を発見したんです。


これ、とっても大事なポイントで、

つまり、
いろんなものがこんがらがって
いつの間にか

「行きたいから行く」という
<自分軸>ではなく

「行かないといけない」
<他人軸>にすり替わっていたということ。



「しなければいけない」他人軸は
無理にやろうとしても、うまく行かないんです。

逆に、
上手くいくときは、必ず自分軸にいる時で
話がするするーっと
面白いように進んでいくのですよね。


ということで、
「今は行く時ではない」と考えて
今回は断念することにしました。

出した答えにスッキリ。


よく考えたら、
向こうにいる友だち達と
1年行かなかったくらいで
交流がなくなる関係なんて寂しいですもんね。


今回は、見送ることにしましたが
イタリアは大好きなので

もうこの先行かないというのではなく
今ではない。というだけ。

きっと、
「今だ!」という時が来たときに
ふらーっと呼ばれるように
気づけば現地にいるように思います。

そういうノリを
大事にしていきたいなと。


ということで、今回は
私がイタリア行きを断念したお話でした。


読者さんも、
もし、やりたいと思っているはずのことで
頑張っているのに
なかなか進まないということがあれば

本当にやりたいのかを
見つめ直してみるのもいいかもしれません。

もしかしたら、<誰か>の為に、
「やりたいと思い込んでしまっている」ことに
気づく場合もあると思います。

そんな時は
思い切って手放してみると、
スッキリしちゃうかもしれませんよ。


今回も最後までお読みいただいて
ありがとうございました。


三井れいな

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