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「合理的配慮」→「合理的調整」

「虎と翼」、ここまではっきり主張する朝ドラは初めてかも。だって「内容が政治的すぎる」とか自分の経験(親の家庭では女性は酒を飲まなかった、「男女7人夏物語」では女性が酒をを飲むのは変と描写していた)だけで内容を批判するコタツ記事が出てくるのだから。
と思っていたところで脚本家さんへのインタビュー記事が出て腑に落ちた。

正攻法では状況が変わらない、話を聞いてもらえないのが現実です。

それに、お利口な声の上げ方だけを描いてしまうと、「人格的に正しくて非の打ちどころがない人しか権利を訴えちゃいけないのか」という話になってしまう気がして。

だから、まだ若くて未熟な寅子にはあえてそういう正しくないやり方もさせています。

https://woman-type.jp/wt/feature/34275/

そして「ハンチバック」で芥川賞を受賞した市川沙央さんのインタビュー記事を思い出した。

『昔とは時代が違う』『運動で主張を通す時代ではない』『活動家が分断をもたらしている』などの合唱は、マジョリティによるマイノリティ抑圧の常套手段ですから、無視してよろしいと思います。昔も今も、マイノリティが声を上げたときのマジョリティの反発の大きさに違いなどありません」
──令和6年4月から障害者差別解消法が改正され、合理的配慮の提供が民間事業者にも義務化されましたが、日本の「障害者差別解消法」に対して思うところがあれば、お聞かせください
「作家としてここは『言葉』について語ります。『合理的配慮』という訳はほとんど誤訳と言ってよく、今からでも『合理的調整』とするべきだと考えています。例えば『rights』は『権利』ではなく『権理(権理通義)』(by福沢諭吉)と訳すべきだった、つまり『利』という字のネガティブな印象のせいで人権を理解できない国民になってしまったという話もあるように、こうした言葉の誤選択は国民の精神性に悪影響を及ぼし尾を引いたりするので、私は意地でも『合理的調整』と書いていこうと思います」

そう、弁えた控えめで下手に出る態度をして初めて権利を認められるのだ、わかったか的な言説が(すくなくともXでは)はびこるなか、やはり声をあげよう、声をあげるのはこわくても少なくとも自分はそっちには与しないと言う態度は貫きたいと思った。

だって翻訳界に住む端くれとして、「adaptation」の訳が「配慮」はありえんだろ、ふざけるな、ですよ。
わたしも「合理的調整」と言っていこうと思います。

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