MUNA-POCKET COFFEEHOUSE『幸福な王子、お化け屋敷へ行く。』@なゆた浜北(2023.12.10)

12/10(日)14:00の回(キャストB)・17:00の回(キャストA)を拝見しました。
キャストやスタッフの方々もさることながら、客席で懐かしい顔ぶれに再会できるので、同窓会のような気持ちで毎年浜松に帰ってきます。
今回特に、キャストの方のお見送りも復活していて、短い時間でしたがたくさんの方とお話できました。
いち観客として伺っただけなのに、パンフレットの永井さんメッセージに「くさか神」を出していただいて、私を直接知らない方にまで私の呼び名を吹き込みまくってる名付け親(?)のふゆみさんも含め、思い出していただけるのは非常に嬉しくありがたいことに感じます。

※以下、あまりまとめようという気がないので冗長ですが、ご容赦ください。


今回の色々な取組

◆マルシェ(ZATTA)

会場の外やロビーのスペースを活かして色んなお店が出店していたマルシェ。
劇場の近辺で観劇以外にも楽しめるというのは、新たな交流が生まれるいい取組だと思いました。
欲を言うなら、もうちょっと賑わいが創出されているとなお良かったなと(私が見た時間がたまたま違っただけかもしれませんのでご了承ください)。
おそらく動線や立地の問題で、会場が3階なので外の広場まで少し遠く、かと言ってロビーは会場まで近いものの幕間がないので続きで複数回観る人以外はあまり滞在せず、観劇後はキャストのほうへ行ってしまうこともあり、ある程度人が滞留すると同時に閉鎖的すぎてもいけないという空間作りはなかなか難しいなと。
観劇目当てに来た方が知らなかったお店に出会い、そこを通りかかった人がお店に来て公演を知ってくれることもあるでしょう。
実際どのくらいそういった方がいたかは分かりませんが、これからも色々な形を模索しながら続けていってほしいと感じる企画でした。

◆英語字幕

瀬戸さん発案だとか。
パパママ公演という未就園児のお子さんと親御さんが観劇しやすい回を設けているムナポケさん、ついに多言語対応とはさすがすぎます。
たしかに14:00の回の観客はグローバルで(たぶん瀬戸さんのお知り合いの方御一行)、とはいえ、なかなか実際にやろうと思ってできることではないです。
英訳から字幕作成から投影まで、全部自分たちでされたのはすごいですね。
あれは、台詞に合わせて投影する字幕を出しているんですか?
きっと稽古する時間もなかったことでしょう。毎度のことながらお疲れさまです。
多言語対応って大きい劇場などだと大概、舞台の上手下手や上部に字幕専用のモニターをつけて字幕投影したり、専用のイヤホンガイドやタブレットを必要な方に提供したりするんですけど、まさか背景に大きく投影するとは。
やっぱり、役者の方に被って映っていないところがあったり、ちょっと文字が大きすぎて気になるかも?と思ったりした部分はありましたが、まずはその取組自体に称賛を送りたいと思います。
私は英語は全く得意ではないものの、伝統芸能だとより感じるんですけど、日本語の台詞が聴き取りづらかったり、聴いただけではどういう意味か分かりづらかったりする時って、逆に英語の字幕や解説読んだほうが分かりやすいことがあるんですよ。
今日の14:00の回はそんな感じでした(ZARDの辺りとか特に)。
ただ、今回のお芝居は、日本語の似た言い回しや慣用句で成り立ってるところがあったので、翻訳の際には苦労されたことと思います。日本語的な面白さがどこまで伝わったか、その点はプロの翻訳家のほうが上手くやってくれるかもしれないですが、英語字幕があることで今回の作品の内容を理解できた方々にぜひ感想を伺っていただきたいなと思います。

◆黒い黒子

まさかの観客から募った黒い黒子2。
立候補する猛者が現れちゃうのが、ムナポケさんのこれまで築き上げてきた人脈の賜物でしょう。
あれたぶん、黒い黒子1だけでもできるし、足りないならもっと事前に分かっててもいいはずなんですよ。
でも、観客を巻き込むということが、キャストやそのほかの観客にとっても刺激になるし、初めて舞台に立ったり、久々に見知った仲間とともにスポットライトを浴びたりした人もいたことでしょう。
それにしても、ぬりかべのような白い黒子でしたが、そもそも黒い黒子とは。
ちなみに、伝統芸能の世界では「黒衣(くろご)」が一般的で、こちらは「黒子(ほくろ)」です。

◆観客が声を上げる演出

コロナが落ち着いてきた証ですよね、この演出。
1か所目は、一本足のあれが出てくるシーン。
「ガス」「シュット」「ホビット」「危険っす」とかいう意味のなさげな単語の羅列を、見よう見まねで発声させられる謎シーンですが、最後は観客も楽しくなってというか演出というか声が大きくなっていくんですよね。意味も分からないまま。
2か所目は、首の長いあれが出てくるシーン。
「後ろ後ろ!」と王子に教えてあげるのは、優しさでしょうか。
それとも目の前で起こっている面白い出来事を共有したい気持ちでしょうか。
(17:00の回は観客にちびっこがたくさんいて、盛り上がっていたのが印象的でした)
3か所目は、ツバメチャンネルの動画の最後に出てくるロゴマークとして。
不思議なもので、このシーンでは声を上げられる観客が誰一人いなかったんですよね、あんなに練習したのに。
よく意味も理解せずに流れてきた言葉や面白い出来事に対しては民衆の声が大きくなるのに、肝心なところで声を上げることがどれだけ難しいか、それを体感しました。


各シーンと登場人物

身体に関する言葉を用いる慣用句を、幸福な王子に準えて言葉どおりの(物理的な)意味として表現するという目の付け所が印象的でした。
また、燕をジャーナリストに見立て、時にお化け屋敷のようなオーバーな演出まがいのヤラセを行い、嫌がっているにもかかわらず「この現状を伝えなければ」「困っていることを知ってもらわないと」という剣を振りかざしながら当事者の心情に土足で踏み込む、過剰な報道のあり方にも一石を投じる作品でした。

前半は意味の分からない台詞が面白おかしく繰り返され、後半はその台詞や状況の本当の意味が分かる仕組みになっていました。
前半は笑い声も多く聞かれましたが、私自身は笑えるような、笑っていいような状況ではない気がして、笑うことができませんでした。

困っている人々に自分の身体の一部を差し出して助けながら、文字どおり“身を削って”自らも疲弊していく王子の様に若干の共感(!?)を覚えつつ、「これがこの国の現状か」と自分の置かれた立場的には少し心苦しくなりました。

◆足を犠牲にしながらもバスケ部を助けた高校時代

舞台上でバスケ、しかもキレキレなダンスを披露されるとは、まるで2.5次元ミュージカルのようでした。
余談で仕事の中で知り得た情報ですが、大ヒット某バスケアニメーション映画は、実際の人間のバスケの動きをモーションキャプチャして作ったそうですよ。
舞台俳優さんは大きく動けるので、こういうところでも活躍するようです。皆さんもできそうですね!
一本足のあれ(唐傘おばけ)ということもあり、相当な運動量だったことでしょう。

「ガス」「シュット」「ホビット」「危険っす」と謎のワードを発声させられたのは前述のとおり。
この段階で、まぁ別の意味があるんだろうと感じたのは予想どおりでした。
「パス」「シュート」「ピボット」「ディフェンス」のことだったようです。

人数が足りなかったバスケ部のために戦力となった王子は両足に怪我を負いましたが、おかげで唐傘おばけさんたちは試合に出ることができました。
そして、ここで燕と出会ってしまったことが、その後の王子の人生を大きく変えてしまうこととなるのです。

キャストBのチームは、台詞の掛け合いの間が心地よかったです。
(そもそもメイクと暗めな照明のおかげで全体的に認識できなかったのですが、)
なぜかなおきさんがなおきさんだと結び付かず、ご挨拶しそびれました、、
突然始まったブレイクダンスはたぶんなぉと。さん
シラキさんはZARDのところはじめ、とても楽しそうなのが印象的でした。
そして、おかえりなさい、瀬戸さん

キャストAチームは、ボール(みたいなやつ)のパス回しがきれいでした。
特に福井さんはよくそのパス取れるなみたいな感じでした。
安富さんは動きがしなやかなのに力強い!
生駒さんは表情が豊かで素敵でした。
傘がワンピースみたいなりなちゃんはひょこひょこしてて可愛かったです。
もうすっかりムナポケ俳優のひとり!

◆未曾有のパンデミックに“手を尽くした”看護師時代

“手を尽くす”とは“あらゆる手段を講じて努力する”こと。

「きゅうりする」→「吸引する」
「探検しよう」→「感染症」
とコロナ禍を彷彿とさせる状況下で、きゅうりが欲しいあれ(かっぱ)の皆さんは、来年1年分くらい(もっとかな)のきゅうりを食べたことでしょう。

かっぱさんたちはタクシードライバー、配達業者、スーパーの店員などエッセンシャルワーカーや人と接するお仕事の方々。
己が己がときゅうりしてほしいと懇願されて“手が足りなくなった”王子は、両手(今ならきゅうり付き)を差し出して、苦しんでいる人々を助けました。
結局、声を上げた者勝ちというか、きゅうり飛ばされたかっぱさんは一歩及ばず亡くなってしまいましたが、王子は精一杯“手を尽くし”ました。

古木さんはからっかぜさんの公演でお見かけしたことがありますが、からっかぜさんで上演する作品には出てこないタイプの役柄で新鮮でした。
ついに舞台に立っちゃった佐野さんは、初舞台とは思えないほど堂々とされていて、特にきゅうり飛ばされて文句を言っているかっぱさんへの視線が非常に良きでした。
にいなさんには、たぶんワークショップか何かでお会いしたことがありますよね?
きゅうりを欲する演技力を発揮するところが突き抜けてて素敵でした。
大石さんなおさんはもはや安定の安心感。
奈紬さんは、きゅうりを食べてる時の目が良かったです。

◆孤独を抱える人たちに“耳を傾けた”医師時代

“耳を傾ける”とは“注意して聞く”こと。“傾聴”。

「掘ってくれ」→「放っておいてくれ」とは言いながら、「きく」「はなす」と書かれた「シャベル」を持って「首を長くして」待っていたのは、首を長くしているあれ(ろくろ首)。

自分たちの状況を伝えるだけの取材陣は助けてなんてくれるわけもなく、「カメラ撮らないで」という叫びも届きません。
ちゃんと自分たちの「シャベル」に“耳を傾けて”くれる王子の存在は、どれだけろくろ首さんたちを救ったことでしょう。

舞台上(日本)にいる坂本さんを久々に拝見した気がします。
大川さんはよく通るいいお声ですね。
そらさんは大学の後輩ちゃんと知り、演じている時は学生さんに見えなかったので驚き。
アカキリさん(と勝手に呼んでみる)は、2回目のシーンの切実な感じが良かったです。
皆さん首使い(?)がお上手で、私も王子のようにダブル巻きされてみたいものです。

◆認知症患者に“目をかけた”介護士時代

“目をかける”とは“注意して面倒を見る”こと。

お皿を数えている身の上が恨めしいあれ(お菊さん)は、「イケメンが足りない」とイケメンを欲していました。
そして、シーンを重ねるごとに違和感が強くなっていましたが、いよいよ違和感満載の「口にカレー入れたい」「口にカレー入れれない」。
文字どおりの意味ではないことは明白でした。
「うちに帰りたい」と徘徊するお菊さんから“目が離せない”王子。
同じく徘徊する自分の母親のことは警察に任せて、この国町の人たちのために“目を配る”のでした。

井戸から出てくるふゆみさんの艶っぽさと、ごっさんのしなやかさたるや。
そして、お二人とも終演後に裸足で出てきちゃう豪快さ。

◆ついに“首が回らなくなった”国町学校の民間校長時代

“首が回らない”とは“借金などでお金のやりくりがつかない”こと。

時系列的に最後のシーンを冒頭に配して、動画撮影する燕がいる違和感も含めて印象付けられました。
たくさんの目に見られているあれと子供のあれ(百目)に不自然な動きが多かったのは、オーバーな演出をつけた、燕の過剰な動画撮影の影響でした。

「必ずからし入れます」と受け取っていたので、肉まんか納豆かと思いましたが、「必ず返します」とお金を貰っていたのですね。
冒頭のシーンでは黒いお金だったのが、2回目のシーンでは白いお金になっていたのはなぜ。

悲鳴がさすがすぎて、またも冒頭で心を掴んで離さないすぎもとさんと、もはや原型のないシルエットだったやまざきさん
5年ほど前に初めて出会ったしーちゃんひなちゃんに対しては、私の存在を覚えられてないこともワンパッケージで、もはや親戚のおばさんの気持ちです。
皆さん「ああああああ」の表情が最高すぎます。
特にかれんちゃんは緩急がお上手でした。

◆六畳一間で暮らす親子

ダム建設のために国町が沈んでしまうことになり、そこに暮らす人々に被害が及ばないようにと、自分のお城を犠牲にした王子。
ずっと座敷にいるあれ(座敷童子)は、王子のお母さんでしょう。
一緒に引っ越してきた母親に「お家が狭い」と言われ、もう一城(一畳)をあげ、最後には六畳一間のお部屋に。
照明で表された畳は、前のほうの席じゃないと見えなかったのが少し残念でした。
(これも英語字幕でそういうことかとなったシーンのひとつです)
王子のお城が沈むはずが、「ドレシズム(どれ沈む)」「ミシズム(身沈む)」。
気が付くと王子の我が身が沈み、観客の頭にうっすら浮かんでくるのは「ファシズム」の文字。

国町の皆を助け続けて疲弊した王子がお家に帰ると、認知症を患ってところどころおかしな言動をとる母親の介護が待っている日々。
事あるごとにあらゆるワードを「ところてん」と間違う王子は相当ところてんが好物なのでしょうが、母親はそれだけは覚えていたようですね。
テングサを買ってきて一から作って王子に食べさせてくれました(ただし、味はなし)。
ついに王子は六畳一間で母親の首を絞めてしまいました。

“忙”しさは、その人の“心”を“亡”くす。

王子は心をも母親に差し出してしまいましたが、母親にとって王子の心は「優しさ」そのもの。
ところてん......間違えた。ところで、「心太(ところてん)」に「心」という字が入っているのは狙っているのでしょうか。

まりーなさんは和の衣裳が前回の『太陽の上で』を彷彿ともさせ、今回も誰よりも真剣にこの役に向き合ってこられたのだろうという眼差しの強さを感じました。
きょうこさんは大人っぽい雰囲気でしたが、お見送りの時に明るい場所でお目にかかった時に「あれ?お若い?......というより幼い??」と思ったら、なんとなんと小学生なの!?
あの堂々たる佇まいは一度母親経験したことある??......末恐ろしいですね。

◆王子と燕

「助けるに決まってるじゃないですか!」と威勢がよかったのは最初だけ。
王子は自己犠牲の精神で国町の皆を助けるうちに、自分の身も心も削られていってしまいました。
王子の助けたいという思いに拍車をかけたのは、紛れもなくジャーナリストとなった燕の存在。
けれど「背中は押さない」。世間からヤラセと言われないための自己防衛。

王子が全編を通して出ずっぱりで途中で水分補給をする演出も人のためにがんばりすぎてしまう王子を表していました。
「疲れたなんて言ってられない」とまで言った王子を、本当はここで誰かが止めなければいけなかった。
「息がしづらい」ほど疲弊していても「救いたいのに救えない」とうなだれる。
人のために自分が倒れてしまっては本末転倒なのに、がんばっている本人は分かっていながらも止められないのです。
(その無理しすぎて自分が倒れるというのには心当たりがありすぎて苦しい、、)

王子のことを高校生の頃からずっと取材し続けてきた燕は、新聞記者からYouTuberとなり、その報道精神はどんどん過剰なものに。
ずっと王子に寄り添ってきたはずなのに、母親の首を絞めてしまうほどに追い詰められた王子のことをも、燕は止めることなくずっと撮影し続けて警察へ通報するまでの一部始終を収め、「これが王子の顛末だ」と動画配信しました。

これは正義でしょうか。

最終的に“声も失って”しまった王子に、ただ一人“声を上げた”のは、ある女。
校長先生時代に助けた子供のあれの成長した姿でした。
一人が声を上げると、それに続いて王子に助けられたバケモノたちが、「あの時足をくれてありがとう」「あの時手を尽くしてくれてありがとう」「あの時耳を傾けてくれてありがとう」「あの時目をかけてくれてありがとう」と声を上げてくれたのです。
「心をくれてありがとう」と母親の手の中で光る小さな灯火は、誰かのために身を粉にして働く人々にとっての希望でしょうか。それとも......。

櫻井綾さんの容赦なく王子を追い詰めていく煽りとも見える表情は、この国のジャーナリズムの過剰さを非常によく表していました。
何度も舞台上でお見かけしていますが、いつか直接お話してみたいと思っています。
お久しぶりの中村さんは王子に媚びておだてるところにいい人感が滲み出ている感じが逆に恐怖でよかったです。

独特のゆるさのある大内さんは、それゆえに疲弊していく様が作り笑顔に見えてきて、感情が死んでいく感じが見事でした。
最後の監獄の中のシーンの後ろ姿が非常にかっこよかったです。
私は飯塚さんの力強い目力で全てを物語ってくる感じがいいなと思っているのですが、それが存分に活かされていました。
きゅうりしているところは、ドラクエでアイテムを発見したかのような感じで可愛らしかったです(ドラクエやったことありません)。

高井さんもお久しぶりに舞台上(客席からの登場)で拝見しました。
短いシーンで後ろ姿だけでしたが、とても印象に残る存在感のある役でした。
親子共演回が観られなかったのが心残りです。二葉さんは高校生でしたか。
ムナポケさんのキャストの皆さんは、年齢層が幅広いこと。
ぜひ今度はお顔の見える役も観てみたいなと思いました。


私の母もここ数年、介護の仕事をしながら、一人で暮らす父(私から見た祖父)のお世話のために2~3日に一度実家に帰る生活を送っています。
しかも王子と同じで自分を顧みずに無理をするタイプ。
決して他人事とは思えませんでした。
この国で暮らす誰もが王子にも燕にもなりうるし、周囲の者は同じ結末を辿らないよう、おかしいと思った時にはきちんと声を上げなければいけないのだと、考えさせてくれる作品でした。

ムナポケさんの本公演、今年も拝見できてよかったです。
素敵な作品をありがとうございました!

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