MUNA-POCKET COFFEEHOUSE『太陽の上で』@クリエート浜松(2022.11.20)

※11/20(日)14:00の回(Aキャスト)・16:30の回(Bキャスト)を拝見しました。
※観劇の備忘録のような、お手紙のような文章になってしまいました。
※ばたばたしすぎて、書き上げるのに1か月かけてしまいました。すみません。

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「観終わって分からない」と銘打たれてた割には、結構「分かった」気がします。
分かった、というのはおこがましいのかもしれませんが。
……あ、どなたがどの作品を書かれたか、これだけはすぐに分かりました。

4つの作品が1つに

それぞれ全く接点がなさそうでありながら、ちょっとずつ設定が重なっていて、 4人の脚本家が書いた作品が、1つの作品として成立していく様子が素晴らしかったです。
どういうプロセスでそれぞれが脚本を書いて、それらをどうやって料理して、1つの作品としてまとめていかれたのか、非常に気になるところです。

ダブルキャスト

キャストの性別もひっくり返るのが新鮮でした。
ダブルキャストは、お互いに感化し合えるのがいいところではありますが、性別に囚われないキャスティングは、キャストの皆さんにとっても苦労した部分があったのではないでしょうか。
いつもA・Bで異なる色が出ますが、今回は特に全く違う作品のようにも思えて、見え方が変わる感覚が面白かったです。

オープニング

モシヤの国歌のような「栄光のモシヤ」といい、国旗といい、クオリティが高くて凄かったです。
あの曲、2回目聴くとまた違って聴こえました。
あれが、「美味しいもやし」の曲だったら、ラストのような楽しい歌になっていたんでしょうね。
キャスト紹介のEDM的な曲調とダンスも相変わらずかっこよくて、たけだこうじさんのメインビジュアルともマッチしていました。

観客がペンライトで役者を照らす演出

開演前の練習から「ペンライト」=「スポットライト」というプラスの印象を与えて、門左衛門の独擅場でさらにその印象を強めた上での、ラストの発砲シーン。
まさに、刷り込まれた価値観がひっくり返った瞬間でした。
実際にペンライトを当てた観客は、当てようとした時には考えもしなかった罪悪感を持つことになり、意図せず他者を傷付ける行為に加担してしまったという疑似体験にも繋がったことでしょう。


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作品それぞれの主要登場人物が2~3人なので、特に個性が粒立っていて、皆さん印象に残っています。 
ここからは、1つずつの作品、役者さんお一人お一人にもフォーカスしてみます。

1、息子に新しい名前を告げる夫婦の話

「バールのようなもの」この不思議なワードセンス、出てくる小道具、坂本さんの作品ですね、一発で分かりました。
何枚も重ね着しているTシャツを脱いでいく演出は、新しい名前を与えることで別人に生まれ変わる(ような気がする)ことを表しているように感じました。
「バールのようなもの」「万国旗」ときて、父と母が太郎に与えたものは、「ジャンバルジャン」という新たな名。
理解できなくても、両親が自分のためにくれたプレゼントを喜ばないわけにはいかない太郎。不条理でした。

◆父・すぎもとさん(Aキャスト)
開始数秒の引き笑いだけで全部持っていってしまうのがさすがすぎます。
一気にすぎもとさんワールドに引き込まれました。
久々に舞台上で拝見できて嬉しかったです!

◆母・生駒響さん(Aキャスト)
ハプニング(っぽい演出かもしれない)がありましたが、上手く笑いに変えていらっしゃいました。
似合っているような、そうでないような紫色のウィッグが絶妙でした。
それでも結構、お母さん感が出ているのが何とも不思議でした。

◆太郎・櫻井絢さん(Aキャスト)
出のところ、持ち前の高い身体能力を活かした表現が、やんちゃ盛りで動きが読めない(実際にどのくらいの年齢設定だったのかは分かりませんが)幼い男の子に見えました。
無邪気な感じが出ていて素敵でした。

◆父・福井惟之さん(Bキャスト)
初々しさの中に貫禄もある独特な雰囲気で、いい感じの父感がありました。
旦那さん大好きな奥様とのバランスも良かったです。

◆母・ごっさん(Bキャスト)

女性が演じる母だからこそリアルで、仲睦まじい夫婦感がより際立ってました。
「フランス語です」と説明するところは、深夜の通販番組のアシスタントような、フィットネスクラブのインスタトラクターのような、妙な説得力がありました。

◆太郎・大内謙志郎さん(Bキャスト)
バールのようなものや、万国旗を両親から貰った時の反応が最高でした。
プレゼントを貰ってそうじゃなかった時(それが特に両親からのプレゼントだった時の子供)ってああやって気を遣うんだよなというのが妙にリアルでお上手でした。

2、「ほ」と「し」が消えた街の天文台職員の話

坂本さんともYさんとも永井さんとも作風が違うので、消去法(と言うと大変失礼ですが、作品を拝見したことがなく……)で草野冴月さんの作品でしょう。
永井さんが付け足しただろう箇所は、一番分かりやすかったです。
突然、自分の好きな、生業にしていたものが、政府によって消されてしまったら。
あれに似ています、「芸術は不要不急だ」と言われた時の気持ちに。
「この配役では今しかできないし、今しか観られないんだよ、十分“要”で“急”だわ」と言い返してやりたかった。
でもできないんですよね、政府に楯突くことなんて。
受け入れたくなくても、無理やり受け入れるしかないんですよね。不条理です。
それに…ても、は行の最後の文字と、さ行の上から2番目の文字がなくなると、…んとうに不便ですね。

◆ワシオ・らちちゃん(Aキャスト)
らちちゃんらしいワオ先輩でした。
「ガッチャ」と鍵を閉めるのが何とも機械的で、その後狂ったように「分からないです」と繰り返す、受け入れられずに壊れていく感じが伝わってきました。

◆シラトリ・安富淳也さん(Aキャスト)
可愛らしい後輩でした。
職場にあんな後輩がいたら、推しになってしまいそうです。
「一度しか言いません」と「ほし」という言葉を口にする時の間に心境が表れていると思いました。

◆ワシオ・大石さん(Bキャスト)
あのマスコットのような可愛さ、ぜひグッズ化しましょう。
飄々としているように見えたのは、ワシオが心の中で、受け入れ難い状況と戦って自分を守ろうとした結果なんだろうなと思いました。

◆シラトリ・えるさん(Bキャスト)
先輩の面倒を見てるタイプの後輩って感じでした。
実際は大石さんと年齢差がありますが、あまりそんな感じがしなくて、いい意味でワシオと対等な関係性が見えました。

◆コトネ・おとさん/冨永葵さん/りなちゃん
分からないことを無理やり腑に落とす大人との対比を見せる、重要なキーパーソンだったと思います。
冨永さんのコトネも、りなちゃんのコトネも、その純朴さにある意味、まだこの不条理な世界に希望が残っているかもしれないと、安心させられました。
おとさんだけ拝見できなかった(拝見する権利は持ってたらしい)のですが、広島から遥々の参戦、本当に凄いと思います。
今度はぜひお目にかかりたいです。

3、想い人がVR(仮想現実)で教育されることを恐れる若者の話

「自転車倒れないように“するです”」は永井さんでしょう。
“します”って言えないからですよね、さ行の上から2番目の文字発音したら、仮想現実ゴーグルで教育されちゃうので。
あの音響さん泣かせな警察官の権利行使も、永井さんらしいです。
「ほ」と「し」以外にも何かしらの言葉が規制されているのかしらと思うのですが、なぜ与田が「いってない」「たすける」を本来の意味と違う意味だと弁明しているのかは、いまいちよく分かりませんでした(特に「いってない」……ソーイ!)。
マスクに関する政府の見解が数時間の間にころころ変わるというのは、非常に風刺が効いていて、振り回される警察官(公務員)の苦労がよく分かります。

雨傘運動を題材にとり、物語全体の核となる作品でもあったこのシーンは、世紀末的な恐ろしさを帯びながらも、偉い人が決めた何だかよく分からない決まりに縛られて、おかしなことをさせられている市民の様子が滑稽に感じました。
常識が大きく覆った世の中では、その滑稽さに気付きながらも簡単に逆らうことはできない。
しかし、時が流れて“歴史上の出来事”になると、傍から見た者(観客)は、どうしてこうなってしまったんだと不思議に思うのでしょう。


◆佐藤・佐藤一輝さん(Aキャスト)
一生懸命弁明する感じや、与田とのやりとりに空回りする感じに人間味があってよかったです。
自転車倒れないようにしてから、吹っ飛ばされるまでの間が、絶妙にちょうどよかったです。

◆与田・なぉと。さん(Aキャスト)
吹っ飛ばされる時の動きが軽やかで最高でした。ベスト吹っ飛び賞です。
前半は庭子を助けたいという強い思いを感じ、後半の「庭子〜」と半ば力なく棒読みっぽく呼びかける様子との対比が効いていました。

◆警察官(庭子)・弾くん(Aキャスト)
バランスよく停止する権利行使の感じや、マスク(メスク)の使い方を説明する感じが、何となく(本当に何となく)体操のおにいさん感がありました。
佐藤と与田の間に割って入ったり、片足でふらふら立っていたり、メスクで目を覆って見えなくなったりと、お茶目な感じだった警察官から、雨傘を掲げて力強く立ち向かう庭子へのギャップがいい感じでした。

◆佐藤・飯塚さん(Bキャスト)
与田に顎で使われる感じや、金髪にされてたことも含めて、マイルドヤンキー感がありました。
なおさんの分まで吹っ飛ばされてお疲れ様でした。
永井さんの脚本を(きっと紆余曲折を経ながらも)どう表現すればいいかを心得ていらっしゃって、佐藤の面白さが際立っていました。
ソーイ!

◆与田・なおさん(Bキャスト)
膝を手術されたとのことで、吹っ飛べないのを逆手に取り、めちゃめちゃ強靭なキャラクターになってましたが、ガタイのいいなおさんだからこそ成り立つ演出だなと思いました。
なおさんの与田なら、庭子を助け出せそうにも思えましたが、権力の下においては肉体的な力だけでは対抗できずに、精神的に追い込まれてしまうのかもなとも感じました。

◆警察官(庭子)・静羅さん(Bキャスト)
私が知っている普段の静羅さんとは違った雰囲気でかっこよかったです。
庭子の女性像は、お母さんになられてより一層パワーアップされた静羅さんとも重なりました。
あの(ビジュアルの)トンキンペイに立ち向かっていくんですからね、強い女性ですよ。
「仮想現実ゴーグルでどんなに酷い世界を見てもきっと教育されない」と思わせる強さがありました。

4、歌の歌詞をめぐり、問答する二人の話

「土ぃ〜」は永井さん好きそうですね。
“も” “や” “し”の3文字が入っているからモシヤの国威高揚曲にせよとは、何とも不条理な話ですが、歌に限らずこういう検閲が当たり前のようになされてきた歴史があるのも確かです。
秘密警察はあくまでもお願いベースで、決して強制にとは言わないものの、結果として残すことができた歌詞は「にょきにょきにょににょき」だけ。
たかが「もやしの歌」に命を懸けることになってしまった土屋は、自分の意思に反して徴兵されて戦うことになってしまった若者のようにも思えました。
そう、銃撃される理由は何もない、何も悪いことはしていないのです。

◆土屋・ふゆみさん(Aキャスト)
怯える演技をするふゆみさんがとても新鮮だと思っていましたが、違いました。
椅子に座っていたために、いつもに比べてダイナミックな動きができなかったからですね。
それでも怪我だらけだったとのこと、どうぞご無理なさらないよう。
「もやし」と、子どもたちへ「もやし」を食べさせたいという愛が、非常によく伝わってきました。
だからこそ、結果的に当たってしまった威嚇射撃には、心を痛めました。

◆和田・みのりさん(Aキャスト)
脚本上の笑いをとる部分を、台詞以上の面白さに仕上げてくれる安定のみのりさんが最高でした。
土屋を精神的に追い詰めていく様子が恐ろしくありながら、ふゆみさんとの掛け合いには、普段のお二人を見ているようなある種の安心感がというか、お二人の関係性が感じられました。

◆土屋・西川恭平さん(Bキャスト)
初めて拝見したのが、4~5年前の劇突ワークショップだったと思います(ちょうど私が永井さんに初めて演出付けてもらったという思い出)。
高校生の頃に比べて、それはそれは雰囲気が大人っぽくなられて、また違った魅力がありました。
長髪のヘアスタイルも相まった作詞家というアーティスト気質の中に、立場の弱い一般市民の感じも垣間見えました。

◆和田・甲斐リエコさん(Bキャスト)
パンツスタイルの似合うすらっとした女性警官という感じで、かっこよかったです。
「だってだってだってだってだってなんだもん」の件は、土屋との年齢差が効いていい感じでした。
どことなく、上からの命令に従わざるを得なくて、仕方なく検閲してるんだぞ私は!感がありました。

ストーリーテラーの役割である講談師?噺家?のような歌舞伎作者の話

作品全体を貫く根幹のような立ち位置の話でしたが、この言葉の紡ぎ方は永井さんではなくて、コンボイさん(呼んだことない)もといYさんですね。
4つの物語を繋ぎつつ、拍子木(っぽいもの)を叩くと話が展開していくという、非常に重要な役割でした。
拍子木を叩けば何度も一から繰り返される(繰り返されてしまう)、チョーン!という音があれほどわくわくしなかったことはありません。
史実の近松が投獄されていたことはなかったと思いますが、実際の事件や出来事を題材に作品を書いていたので、世が世なら弾圧されていたかもしれません。
4つの物語は、きっと門左衛門自身が書いた自分の目指す理想の世界。
それをVRで庭子に見せているのでしょう。
そう気付いた時の恐ろしさ、とてつもなかったです。

◆門左衛門(トンキンペイ)・まりーなさん(Aキャスト)
独白ときっかけの凄まじく多いこと。
早口で滑る感じの話し方が江戸っ子口調っぽくて、何か参考にされたのでしょうか。
顔に色を塗るところ、右に赤、左に青ときて、真ん中に白粉を塗ったとき、その配色の持つ意味に、思わず鳥肌が立ちました。

◆門左衛門(トンキンペイ)・Yさん(Bキャスト)
あのビジュアルはずるいです。
いますもん、ああいう人。
いつものアドリブ満載Yさん節を封印して(脚本に全て託して)望まれていて、最初Yさんだと分からなかったです。
静かに「発砲」と繰り返す様が非常に冷酷でした。

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門左衛門が描く、全てがひっくり返った“太陽の上”の世界。
その地に雨傘を差して“太陽の下”の世界に戻そうとした市民たち。
メインビジュアルの「上」という字に傘が刺さって、ひっくり返すと「下」という字にも見えるというのは、このお芝居を象徴しているようにも感じました。

太陽の下という当たり前に広がっていた世界など、一瞬のうちに変化してしまうことを、思い知らされた私たちは、いざ太陽の上の世界になった時に、何ができるのでしょうか。
雨傘を差した人々のように、権力に立ち向かっていけるでしょうか。
一度ひっくり返った世界は、元に戻そうと再度ひっくり返したところで、もう元の世界とは違う世界になってしまう。
そのことを知ってしまった私たちがもう一度世界をひっくり返すには、相当な希望の光が見出せないと厳しいのかもしれません。


毎年、ムナポケさんの本公演を楽しみにしています。
今年も拝見できてよかったです、ありがとうございました!

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