未来について話した日

何も分からない明日には絶望し、
私の為に変わってくれない世界に嫌気がした。

サイゼリアのドリンクバーももう何杯目か分からないほどになり、
翌朝の私の顔は絶望的に浮腫んでいたけど、
それでもまた今日が始まる。
生きていくにはお金がかかるし、嫌な思いもたくさんするけど、この先生きていく上で私の周りの世界が少しでも輝いていれば少しの幸せを感じられると思う。


多分このメモを残したのは、今年の5月くらい。

あんまり病むっていう言葉は好きじゃないけど、
多分、突然世界が変わってしまったことに対して
嫌気がさしたのだと思います。

皆さんは生きづらさを感じたことがありますか?

学校、職場、家庭。

逆に生きやすさを感じたことありますか?

生きづらさ、生きやすさ
この2つの言葉に出会うまで私は、自分の生きやすさについて考えたことはあまりなかったです。

生きづらさは、自分が作り上げてきた人間関係だったり、置かれている環境が生み出しているものだと思っていました。

私が自ら、生きづらい選択をしていても、その場に適応しなければ生きていけないのだと。

そんな風に考えていました。

もちろん、
世界も社会も私の為になんて変わってくれる訳がなく、自分が生きやすい世界を自分で作っていかないといけないということを知りました。

時にはここは私の世界だから、これ以上入って来ないで!って予防線を引くことも大切だと思っています。

だって、私が私らしく、幸せで生きていくことを誰にも邪魔できないと思うから。

ひと昔の私は、とても固定概念人間で
理想とする人物像があって、
絶対にそうならないといけない!
って考えるタイプの人間でした。

これは高校の時からの友達にもよく言われます笑

そういう考えを持つのがいけないのではなく、
私はその呪文からなかなか解き放たれることができず、自分のことを嫌いになったり、時には感情のジェットコースターみたいに泣いたり怒ったり笑ったりしていました。笑

でもある時、私は他の誰かと比べてもその他の誰かにはなれないことを知りました。

いや!気づくの遅!って感じかもしれないですが。

でも遅かれ早かれ、この事に気づいた時、
私は「私らしく生きること」の本質を見据えられたような気がしました。

さっきから、私らしく私らしくってなに!
って思う方もいると思います。

でもその私らしく、あなたらしくを見つけるのは
自分にしか出来ないこと思います。(突然の突き放し)笑

それを見つけるのに誰かの手伝いは必要ありません。

私らしさも、生きやすさも全て自分で見つけようにすれば世界はほんの少しだけ、私の為に動いてくれるのではないかと思います。

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