過去は生ゴミという言葉について

過去は生ゴミと誰が言った言葉なのか私は存じませんが、最近はちょろちょろとそれを目にする機会が増えました。

スピリチュアルなことや算命学を学んでいる私からすれば、まぁ正直「過去は生ゴミで間違い無いでしょう」というのがこの話の結論です。

この話の理解にはまず、人生は螺旋状を描いて上昇するように出来ている事、そして持てる全てのものにキャパシティが決まっている事を理解する事が重要になって来ます。


人生は螺旋状を描いて上昇していきますが、上昇する時には必ず何か試練が起こります。
その試練を乗り越えた場合のみ螺旋は上に進めるようになっていて、乗り越えられなかった場合はまた同じところをぐるぐるするようにできているんですね。

そして、この試練を乗り越える時に必要なのが「捨てる事」なのかなと思います。
多くの場合は、試練が現れた時の対応策は知識を得て抵抗するとか努力と根性で乗り切るとか、そう言ったこと想像する方が多いと思うんですが、実はどんな場合にも必要になるのが「捨てる」という行為です。

知識を得るという事は過去の自分の固定観念を捨てる事ですし、努力と根性で乗り切るならゆるっと生きてた自分を捨てる事なんですよ。

瞑想の際の呼吸も基本は息を吐いてから吸いますよね。
どんなこともまず、基本は「捨てる」ことが大切なんです。
人間が息を吸い続ける事はできないように、人は無限に何かを所有する事はできないという事ですね。


それはまた、過去も同じ。
今よりも良い人生を望むなら、楽しかった過去も思い切って捨てなければいけない日が来ます。

好きだったけど別れてしまった恋人をいつまでも想っていたら新しい恋愛はできませんし、学生時代の栄光に縋っていても仕事は上手くいきません。
貴方のお子さんが過去に神童でも、今はもうただの人になっていればそれはもう今のお子さんは神童だった人、でさえなくただの人なのです。

上司やご年配の方の過去の栄光自慢程、「はいはい」の一言で済ませたくなる事ってありませんよね。
過去に縋るというのは、一言で言えば哀れな行為に他ならないんです。

過去はお寿司と同じ。
出されたお寿司はその場で食べて、消化して、エネルギーにして、排泄する。
人生に起こるどんな事も、その場でエネルギーにして未来へと進む力にする事を意識しなければなりません。
美しい記憶を大切に大切に保管していても、いつかは賞味期限は切れてしまいます。
とってもおいしいお寿司を冷蔵庫に入れていても、いつかは腐りますよね。
冷凍庫に入れていたって、風味は落ちるしいつかは冷凍庫もパンパンになって取り出して消費しなければいけなくなります。

どんなに輝かしい過去も、時間が過ぎれば生ゴミになる。
本当に本当に大切な事だけをほんの少しだけ冷蔵庫に入れて、あとは美味しいうちに食べて、もっと美味しい食べ物を食べるためのエネルギーにしましょう。

いつまでも過去に縋らずに、「捨てる」こと。
捨てるという行為は、物質的にも精神的にも大切なことだなぁと、備忘録的にこちらに記録しておきます。

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