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REICOのひとり言⑧

”REICO”のREIは”REIki”から、COは”COunseling”からとっています。

「手のひら療治」を読んで 7 (p96~p104)

7月31(日)にclubhouseの「レイキクラブ」で「手のひら療治」の読んだところをまとめてみました。少し遅れ遅れですが、またまとめていきます。

手のひら療治体験例 (宮崎五郎)
1.ものもらい(1回30分の治療中にかゆみを覚え翌朝排膿して元に戻る)
2.慢性胃カタル(1週間の治療で息切れが減退。
     13日目に1尺余りのサナダ虫が便とともに排出。3週間で完治)
3.食あたり(頭と胃のあたりを20分治療して治癒)

手のひら療治体験例(近藤浩)
 大正4年6月、近藤氏が中学4年生の春、柔道で左腕手首を骨折。選手免除の申請が受け入れられず、無理な稽古を続け、秋の勝負にも出場し、再び同じところを「ねんざ」し、左腕が全く不自由になってしまい、全治の見込みはないと宣言を受けた。3年間色々な方法を講じたにも関わらず、左腕不随となった。
 昭和4年1月、「シキシマノミチ」会のとき、三井先生から「たなすえのみち」のご伝授に預かって、静かに合掌した時に感じる不思議な感じが、練習によって鋭敏になっていって、暑いほどに感じられるようになった頃、実験に取り掛かった。
 まず自分の左手首を軽く右手で握ると、次第に熱くなっていき、右手の指先に軽いしびれを感じるようになり、30分続けると右手たなごころはびっしょり汗をかいていた。こうして4週間後には左手の痛みはなくなった。
そして3月の終わりには完治した。
 これに自信を持った近藤氏は、3週間で胃病を治すことができたり、知人の子供の火傷をわずか7分で直すことができたということだ。

手のひら療治体験録(昭和4年5月 瀧口尭)
 瀧口氏がこの療法の伝授を受けたのは昭和3年9月であった。その頃瀧口氏はひどい中耳炎にかかって病床に伏していたのが、友人とともに江口先生のお宅に伝授を受けに行った。伝授前に先生から治療していただくと、わずか十数分の治療で、重苦しい頭部の痛みがすっかり去って、歩行にもほとんど苦痛を覚えないほどに良くなった。
 この中耳炎の治療中病院では切開手術の際3度も意識不明に陥るほど激烈な苦痛を訴えたのだが、伝授が終わって、自分の右手を耳に当ててみると、強い軽微な律動的波動を感じ、その後10日で自分の「手のひら療治」で完治した。
 瀧口氏は中耳炎が全治してから、蓄膿症の治療に取り掛かった。1日12回ずつ治療していると、4日目頃再び病床についてしまったが、その後三日でまた良くなり、(結局)わずか一週間で全治するに至った。
 この療法において注意すべきことは、一時的に病床の悪化をきたすようなことが時々あるということである。しかしながらこれは何の心配もいらない。それは快方に向かう過渡的現象にすぎないのである。
(これはレイキにおける好転反応のようなものだろうと思った。)
 さらに瀧口氏はお母さんの膝関節炎の治療をされたところ、一回でそれまで伸ばすことのできなかった脚を自由に曲げ伸ばしできるようになり、その後数回の治療で全治するに至った。
 その他、胃腸病、風邪、火傷、慢性中耳炎、脱臼、眼病、凍傷など種々の治療に従事したが、手なそこに感じる抵抗的律動は各種の病症の違いによって変化することを実験によって確かめえたのである。
その他いろんな治療例も書かれていました。
 そして瀧口氏は「手のひら療治」の実際的効果を信じ、平常の修業方法として、朝夕の合唱と就寝前の胃腸療治とを必修とし、これにより過度の労作による疲労を回復し、睡眠不足を予防していたそうです。
(寝る前に自己ヒーリングしていたということですね)
 また、瀧口氏は「手のひら療治」の精神的方面における意義についても書かれていました。


 


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