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REICOのひとり言③

”REICO”のREIは”REIki”から、COは”COunseling”からとっています。

「手のひら療治」を読んで 2

6月16日(木)にclubhouseの「レイキクラブ」で「手のひら療治」を読みました。今回、わんこさんは用事があってお休みで、とたけちゃんと二人で読みました。

第2回(p27~p38)
 三井先生は昭和3年に手のひら療治の修業を始める頃、郷里を立ち退いて甲府市に移られたそうです。
 そして「日本及日本人」の昭和3年6月号臨時増刊に三井先生が手のひら療治を実修する脩いたった経路を書かれた文の抜粋が再録されていました。
 三井先生はお医者様ではないということで、自然科学または数学的研究は中学でおしまいだったということです。そして高等学校の入学試験でその知識を発散してしまったそうです。そして先生は、この試験というもののために、青春時代を役にも立たない事柄の暗唱のために空費するのは大損失である、と書かれています。【この考えはおもしろいと思いました】
 先生は、「「試験」からは何ものをも得なかったといってもよい。それよりも俳句、和歌の研究創作、各種体操法または柔剣道などの実修の方、宗教的修養と共に役に立った」と書かれています
 俳句和歌では正岡子規から感化を受けたが、ご馳走論というのは「よほど偏ったもの」で「悪影響をも一緒に受けた」と書かれています。
【注:ごちそうを食べなければいい仕事はできない、ごちそうは活力の源だというのが子規のいわゆる「ごちそう論」。子規は周囲の者にもごちそうを食べるよう極力勧めた。】
 そして何人かの例をあげ、「健康ということが重大な問題」だか「休養だけでは要領を得ない」とまとめておられます。

 昭和2年から3年にかけて江口敏宏先生と時々会うようになり、江口先生が持っていた数珠を渡されて、握ってみよ、ピリピリするであろう、と言われたが、三井先生は何とも感じない。あるいは江口先生が合掌した指先から何かボウと陽炎のように立っているから見よ、と言われたが、三井先生には分からなかった、と書かれています。
【三井先生でも、初めはそういったものが感じられなかった、ということが分かって、なんとなくほっとしました】

 そのうちに江口先生が研究と体験と総合されて、「手のひら療治」を広く普及されるために伝授されることになり、三井先生の奥さんが「手のひら療治の会」の2期生として伝授を受けたそうです。そして三井先生ご自身も、三期生として翌月から伝授を受け、その後30回も伝授の座に出席して修行したということです。
 そのあと、手当によって色々な治療ができるようになったという実例が、たくさん書かれていました。
・4歳の幼児の小腸の炎症:30分ぐらいずつ4回で全治
 手当したときは自分の指先も非常に熱して軽度の火傷をした
・ヒマシ油を用いて手を当てていると薬効が促進する。
・外傷でも消毒して手当をしていれば血も止まり治癒もきわめて早い。
 包帯の上から1寸ぐらい離れて手をかざす「光照」療法でも十分。
 光照者の手にも被光照者の患部にもピリピリと感じ、傷の状態によっては
 相当に痛むのである。
・歯痛は極めて迅速に治癒する
・目も小さいゴミが入った場合にも目を閉じて瞼を手探りすればそのゴミが
 入っている部位がすぐ分かる。そこがピリピリするのである。
・脊髄カリエスの人が伝授と治療によって奇跡的に治癒した。
・熱の出た子供に手をかざすと、右胸に強く響くところがあり、そこに十分手をあてて全治したが、もう少しで肺炎というところだった。
 手のひらはこのような場合、まことに良い触診器となる。

等々、たくさんの実例があげられていてとても素晴らしいと思いました。
また、これらはレイキでもよく聞くことだなあとも思いました。

 最後に私が15日に天鷹神社の月次祭に行ったお話をしました。
少し雨模様の日で、月次祭は社前ではなく、隣の建物の室内で行われました。神主さんの祝詞のあと、一人ずつ、玉串を奉納しました。
 でも昼頃には雨がやんで、社内は雨上がりの緑も美しく、荘厳な雰囲気でした。

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次の”レイキクラブ「手のひら療治」を読もう!第3回”は
6月26日(日)午後9時から、30分くらいの予定です。
曜日が変わりますが、よろしくお願いします。






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