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「傷ついた」のは誰のせいか

こたえ。「傷ついた本人のせい」です。

「傷つき」が起こる時は、「誰それに傷つけられた!」と感じることが多いですが、実際は傷つけてきた相手に問題があるというより、傷つく側に問題があるから起こることが多いです。

以前、友人から聞いたエピソード。
不妊で悩んでいる人から「子ども写真の年賀状を見るとすごくショック。そんなの送ってきた人とは縁を切っちゃう」という話を聞いたと。
それを聞いた私の友人はどきっとして、「何気なく送った年賀状で、縁を切られるほど相手を傷つけちゃったとしら、すごくショック。おちおち年賀状も送れない」と思ったらしい。自分でも知らないうちに誰かを傷つけるかもしれない、と怖くなって、それ以降、あまり自分のことを話せなくなったと言っていました。
でも、その人が傷ついたのは、子どもの写真を載せた年賀状を送った人が原因でしょうか?

私の身内には、子どもを望みつつできなかった夫婦がおります。
私が離婚したあと、私のことを「子どもを捨てたひどい母親だ」と言っていました。私のすることを見て、色々な考えで気をもんだり、心を痛めているようです。
その身内が心を痛めるのは、離婚するときに親権を放棄した私が原因でしょうか?

私の人生は変わっているから、日常のことを何気なく話すだけで、いろんな人の傷を刺激するみたいです。
今どうしてるの?と聞かれ、何気なく近況を話すとこうなります。
「モラでさ、家出したんだ。子どもとは連絡取れないんだよね。仕事は辞めたんだけど、借金すごくなって、家賃も払えなくなっちゃってさ、自分で債務整理したんだよね。今は、その時助けてくれた人と暮らしてるよ。久しぶりに出産したんだけど、相手は妻も子もすごくたくさんいる人でさ、子育て慣れてるから助かるんだ…」
そうすると、「悪いこと聞いたみたいで、ごめんね」と謝られたり、腫れ物に触るみたいな態度、よそよそしい態度に急に変わったり、それおかしいよと怒りだしたり、ある知り合いは「旦那に、あいつとは関わるな、うつると困ると言われてショックだった」とも言っていました。
周りの人が勝手に、私を見て傷ついたり、私のことを話して傷つけあったりするのです。知らんがな。

人の傷がうずいて「痛そう」な反応を見ると、見た側の傷も反応してうずきますから、それを見た私も嫌な気分になります。

なので、傷つきのことを論じる前に、「むやみに人と近づきすぎないこと」が大切です。

距離感が近すぎると、不要な「傷つき」がたくさん起こります。
「一年生になったら、友達百人できるかなー」
なんて歌がありましたね。
そんな歌を聞き、人とは仲良くするほうがよい、そんな風に思い込まされて育ちましたが、そんなことはありません。人とは極力、距離を置くほうが、お互いのために良いと思います。
私は自分のことは話さないようにしてますが、自分のことを話すメリットがないことがわかりました。どうせ話したって、わからないし。

切ろうとしても、縁のある人とは切れませんので、それで必要かつ充分です。
そういう意味で、挨拶は便利です。
挨拶「さえ」していれば、それ以上仲良くしなくても済むからです。
昔は「挨拶は人間関係の潤滑油」とかいって、人と仲良くするためのツールと思っていましたが、実際は逆だと思います。
私にとっては挨拶は、「人と必要以上に仲良くしないで済ませるためのツール」です。

そうして、むやみに人とは近寄らないようにして、やはりそれでも、誰かの傷を刺激することはある。
それを知って生きることが大切です。
私の生き方や投稿をみて傷がうずく人もいるでしょう。でも、これ以外の生き方はできないし、できたとしても、周りの人から嫌がられるからといって、違う生き方に変えるつもりもありません。
だって、たとえ「周りウケの良さそうな生き方」に変えたところで、また別の人がそれを見て、傷ついたと言うでしょう。

たとえ、歩いていただけでも、もしそこに歩行が困難で辛い思いをしている人がいたら、「あてつけみたいに目の前で歩かれて傷ついた。」と言われるかもしれないんだから。

どんな生き方をしていたって、誰か、それを嫌がる人は必ず居るもんです。なら、機嫌よく好き勝手に生きようではありませんか。

自分が機嫌よく好き勝手に生きていると、他者が「機嫌よく好き勝手に」生きることも受け入れて、素直に応援できるようになります。
私は、機嫌よく好き勝手に生きるようになってから、「いろんな人がいて、多様だからこそ、この世界は素晴らしい」と思えるようになりました。
自分に我慢を強いていた頃は、機嫌が悪いことが多く、好き勝手に生きている人を見ると腹が立ったものですが。

今は、「私が選ばない生き方」の人を尊重しています。
「私が選ばない生き方」の話を聞くことは、自分では決して体験出来ないことを疑似体験できる、素晴らしい機会です。

例えば、私は出産経験がありますので、「子どもを産んだことの無い人生」は体験出来ません。
でも、子どもを産んだことの無い人生を生きている人の体験を聞けば、その様子を知ることが出来ます。本当にありがたいことです。ですから自分の体験や選択を押し付けるような「子どもはつくったほうがいい」などということは思いません。どちらも、素晴らしい人生ですから。

それが、私の「嫌いな生き方」なときは、私の傷がうずいて腹が立ったりします。
でもその時も、傷が痛いのは相手のせいではなく、私に傷があるせいだから、相手の生き方を批判するのはお門違いだ、と知っています。
むしろ、私に傷があることを気づかせてくれたのだから、ありがたいことなのです。だから腹が立った時は、気づきのチャンス!と思うようにしています。

なのでみなさん、どんどん機嫌よく、好き勝手に生きてください。

臆することはありません。
傷つきがあるときは、傷つく側に問題があるのです。

そして、問題がある、ということは、改善の余地があるということで、これまた素晴らしいことです。

私は傷や問題を恐れずに、これからも機嫌よく楽しんで生きていこうと思います。

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