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「嫉妬」を感じたときに、会話すべきは、恋人ではなく自分。

恋愛に、必ずと言っていいほど伴う苦しい感情が「嫉妬」。

嫉妬している人がよく言う言葉が「相手がしているのは不倫だ、浮気だ、良くないことだ」といった、相手の罪を責める言葉です。

でも、ちょっと待ってください。相手は本当に罪を犯しているのだろうか。罪を犯しているとするならば、それはいったいどういう罪か。それをしっかりと切り分けましょう。

「とにかく相手が悪い」と言っていても、状況は変わりません。それだと、苦しみが、大きな塊のまま、いつまでもごろんと転がっているだけ。苦しい対象を、「お金の問題」か「健康の問題」か「気持ちの問題」かというふうに、ブロックごとに切り分けて、小さくしていきましょう。問題は一つ一つ、小さくすれば、扱いやすくなります。

それに、実は嫉妬というのは、「相手」に問題があるのではなくて、「自分の心」に問題があるのです。自分の心の中の劣等感や、昔受けた心の傷がうずいているから苦しいのです。
そして、嫉妬を感じるのは「自分の心に癒えていない傷があるんだな」と気づくチャンスです。それを活かさないで、相手のせいにして終わらせていてはもったいない。

ですから、嫉妬を感じたときにインタビューするべき相手は「恋人」ではなく「自分」です。

では、自分の心をのぞいてみましょう。自分にインタビューするときのポイントをあげてみます。

まず「相手の悪事を咎める気持ち」はわきに置く。
嫉妬がわいてくるとセットで「怒り」もわいてくることが多いのですが、「怒りは被害意識を産む」という性質があるので、恋する相手が悪いことをしているという観念にすぐさま直結する人が大半です。なので「それ浮気でしょう、浮気は悪いことでしょう」という観念に直結している人が多いです。でも、人間は「責められたり咎められたりしても言うことはきかない」これは誰もが知っていることではないでしょうか。怖い大人の前では子どもは品行方正にふるまったとしても、隠れて、裏をかいて、好きなことをしようとするものです。抑圧されたぶん、余計に激しく荒れるでしょう。なので、「相手の悪事を咎める気持ち」は役に立たないことがわかっていますので、ここでは使いません。消そうとする必要はないので、ちょっとわきに置いておきましょう。

次に、その嫉妬は劣等感ではないか考えてみましょう。
私がいつも感じるのは、「嫉妬は、劣等感が強い人ほど激しい。」ということです。あたかも、自分の恋人が、別のだれかと楽しそうに自分のことをせせら笑っているような幻想さえ見えるほどです。
実際はせせら笑われているということはありません。楽しく誰かと遊んでいる時に、その場にいない誰か(自分)のことを、わざわざバカにしてせせら笑うために思い出して話題にすることはないでしょう(もし本当に、遊んでいるときも絶えずその場にいない誰かをあざ笑うような人なら、性分が良くない人間ですから、嫉妬なんかで苦しんでないで、すぐに別れましょう)。このような、「恋人と、自分よりよほど素敵な人が、グルになって、私を見下してせせら笑っている」というのは典型的な嫉妬+怒り感情と劣等感が産んだ被害妄想です。恋人と一緒にいる素敵な人の姿が自分のコンプレックスを示していることも多いです(痩せたいと思っている人は細身な相手により強く嫉妬する、など)
恋人が自分をせせら笑ったりはしないとしても、自分以外の別の人と楽しそうに過ごしていることが、劣等感が強い人は耐えられません。恋人はあっちに行って、もう帰ってこないんじゃないかとか、捨てられるんじゃないか、とひやひやします。

劣等感がさほどなく、自尊心が高い人であったらどうなるか。
自分の見ていないところで、恋人がだれと会って何をしていようと「楽しそうね、よかったね」というふうに思うことができます。自分は相手を失うことがないと確信を持っているし、また、たとえ相手を失うとしても、その時に何とかすればいいと思えるからです。恋人から、別の人とのデートの話を聞くことが嫌なら、その話は私は聞きたくない、といえばいいでしょう。でも、相手が、自分と居ない時に、どこで何をしようと(自分のスペースに介入してくるような、直接の害がない場合は)完全に相手の自由です。

※余談ですが、ここでよく「性感染症が困るから」という理由で相手の行動を制限しようとする人は多いですが、これも感情的な行動であって、あまり感染予防の意味はないと思います。同居するもの同士の基本事項として、自分を守るために安全面での配慮は要求してしかるべきなので、「双方、セーファーセックスするように十分気を付けよう」と取り決めするのは必要かと思いますが、それは大人の基本的な衛生観念として必要なのであって、「自分としかセックスするな」とまで言うのはやりすぎ、かつ意味がないと思います。複数名とセックスすれば、感染のリスクは上がることは確かですが、もし相手が自分としかセックスしなかったとしても、感染症にり患する可能性はゼロにはなりませんから、私は、あまり意味がないと思います。

そもそも自分に害を及ぼされたくないから相手の行動を監視し、制限する、というのは、二人の間に信頼関係があるとは言えないでしょう。強権政治のような関係ですね。

人と人とが関わり合う以上、何らかの「害」を及ぼしあうことは想定内の出来事ではないでしょうか。自分にとって都合が良ければ「益」で、都合が悪ければ「害」になるだけで、相手から「害」を被ることが許せないならば、そもそも誰とも付き合うことはできないでしょう。
どちらにせよ、なんらかの「害」が自分に及ぶ可能性もあるということを覚悟の上でないと、人との関係性を築くことはできません。

ですから相手から受ける害を「封じよう」とするのではなく、二人が互いに害(や益)を受けたり与えたりしつつも「どんな関係性で居られれば心地よいのか」を考えるほうが、よほど安全で、建設的で、心地よい関係性を築けると思います。

強い劣等感は、嫉妬以外にもいろんな苦しみを産むので、このさい自分が何をトリガーにして劣等感が沸き上がるのか、劣等感がどこにあるのか等を、自分の心にインタビューしてみましょう。
調べることで、自分の心のどこに傷があって、どのくらい痛いのか、見つかればしめたものです。
傷が見つからないとお手当はできませんが、見つかれば、お手当てもできるようになりますから、ぜひやってみましょう。

また、劣等感を軽くするには、頑張ることをやめることが効果的です。
「相手が浮気しないように見張る」というのも大きな「頑張りネタ」なので、まずこれをやめることは、劣等感を克服するためにも有効です。どうせいくら見張ったところで、厳しい罰を与えたところで、相手は言うことを聞かないでしょうから、それをやめたところで失うものはなく、得るものは限りなく大きいでしょう。まず相手を見張る手間が省けます。これだけでもかなり労力の節約になりますね。

嫉妬というのは苦しい感情ですが、醜いものではありません。
また、ちゃんと意味があって起こっているものであって、「嫉妬という感情を持っている自分」を恥じ入る必要もなければ、罪悪感を持つ必要もありません。

嫉妬などの陰性感情は、生ごみとにていて、そのままだと扱いにくいものですが、適正に熟成させれば心の肥料になります。

上記の内容を参考にしていただき、嫉妬の感情を活かしてください。そうすることで嫉妬の「苦しみ」が弱まっていけば、完全に取り去る必要はないでしょう。むしろ嫉妬は恋のスパイスになります。

心に起こる感情は、一切排除する必要はありません。すべての感情を大切に扱って、ますます心地よい人生のための肥やしにしましょう!
以上参考に、やってみてくださいね。


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