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「遠慮」はご遠慮ください。「我慢」は我慢してください。遠慮と我慢が、人生を腐らせます。

遠慮と我慢が、人生を腐らせます。

何がほしい?と聞かれたとき、どう答えるかで、奇跡を得るか、ガッカリを得るかが、決定します。
それは「答えた瞬間」に決まります。
その後、本当に手に入るのか、入らないかに関わらず、答えた瞬間に、奇跡が起きるかガッカリが起きるかが、決まってしまうのです。

つまり、自分に欲しいものがある時、どんなふうに表明するかが人生変えるほどに大切だということです!

リカちゃんが欲しいのに、お母さんにおねだりしても、高いからダメに決まってる、なので、もっと安いやつで我慢して、「リラックマのぬいぐるみください」て言っちゃう。それが「遠慮」です。

私の定義では、「我慢とは、心の要求を、理性が無視すること」です。

「遠慮」と「我慢」は、奇跡をガッカリに変え、「慢性ガッカリ病」を引き起こし、最終的には人生すべてを腐らせる、世にも恐ろしい黒魔術です。

遠慮してる人を見ると「よくそんな恐ろしいことを…」と思うくらいです。
知らないって恐ろしいことですね。

いったいそれはどういうことでしょうか、その仕組みと、「遠慮の黒魔術」を払拭し、必ず奇跡ばかりの毎日に変容させる方法を伝授します!↓

先程の例で、遠慮とともにオーダーしたリラックマは、手に入らなければ悔しいけれども、じゃあ手に入ったらうれしいかというと、そうでもありません。

魂は「ほんまはリラックマなんか興味ない、リカちゃんがほしい」て、思ってますから、リラックマが手に入っても、うれしくない。
それどころかますますリカちゃんが恋しくなり、リカちゃんを持っている友達を見ると、うらやましいと思ったり、それに比べて自分のリラックマを見るたびに「本当にほしいものが手に入っていない辛さや悔しさ」を痛感することになります。

つまり、遠慮とともに何かオーダーした瞬間(その結果がどうであれ)、満足感は得られない、ということが確定したということになります。

そんなふうに、満足感を得ることがない状態が、長い間続くと、心や魂が乾ききってしまいます。そうしてだんだん感覚が麻痺してきます。

麻痺してしまうと「もうリカちゃんとかリラックマとかどうでもいい、嫌いなウルトラマンでなければなんでもいい」になってしまいます。

これを私は「恐怖の慢性ガッカリ病」と呼んでいます。

ほしいものを何でもいいから言ってみて?ときかれたとき、
「ウルトラマン以外だったらなんでもいい」
と答えるようになったら、あなたは「慢性ガッカリ病」です。

これは、ウルトラマンは嫌だ、という「嫌なこと」を言っているのであって「ほしいもの」を言っていることにはなりません。
まだオーダーすらもしていないのに、ガッカリしています。
試合も始まっていない段階、チャレンジする前の段階で、すでにあきらめているので、ほしいものは絶対に手に入りません。

A)「リカちゃんが好き」これがほしいもの、ねがいごとです。
B)「リラックマはまあまあ好き。嫌いではない」これは妥協案です。
C)「ウルトラマンは嫌い」これは嫌なこと、避けたいことです。

慢性ガッカリ病の人は、Cでなければなんでもいいですといいます。
誕生日だし、思い切って言ってみようかな、というときも、Bがほしいといいます。Aがほしい、ということは、まずありません。

そして、Aは手に入りません。なぜなら、ほしいといわないから、手を伸ばさないからです。
そんな人は、Bがほしいといいながら、心の底で、だれか、私の気持ちを察して、Aをプレゼントしてくれないかしら、なんて都合のいいことを考えています。
でも、そんな都合のいいことは起こりません。
周りの人はきっといつもリラックマに手を伸ばすあなたを見て「あの人は本当にリラックマが好きなんだな、プレゼントはリラックマにしてあげよう」というふうに思っていることでしょう。
恋人は、わざわざ手配してまでもリラックマをプレゼントしてくれるに違いありません。でも、あなたはそんなにしてまでもらったリラックマは、嫌ではないかもしれないけれど、飛び切りうれしいわけでもありません。

こういう状態が長く続くと、感覚が麻痺して、これだけは嫌だという、Cが何かは、かろうじてわかるけれども、もう自分でもAが何だったのかを忘れてしまう。「好き」という感覚がどんなものだったのかすら、わからなくなってしまう。

感覚は、セットなので、「好き」の感覚が鈍ると、「嫌い」の感覚も鈍ります。なので、嫌なものを持ったり嫌な目にあったり、人からひどい扱いをされたりしても、だんだん嫌とも感じなくなります。
末期的症状としては感覚鈍磨で、嫌でもなく、嬉しくもなく、「もうめんどくさいからどうでもいいや」という人生丸ごとあきらめムード、腐敗した人生になってしまいます。

そんな感じで、悩みの深い人は、自分の望みがなにかわからなくなっているために、手当たり次第に手を伸ばすか、そもそも手を伸ばさず向こうから流れてきた残りものを拾うだけになっています。結果、無秩序で大混乱した人生となります。
部屋の中も、衣類も、スケジュールも友人や恋人までも「B」つまり「そんなに嫌じゃないからこれでいいや」という、間に合わせのものばかり。
妥協案に囲まれた毎日。妥協案しかない人生です。

そんな「妥協人生」を送る人は「いつも満たされていない=不満」ですので、不幸ですが、そんな「妥協人生の周囲」もみんな不幸です。

本当はリカちゃんがほしいのに、リラックマに手を伸ばす人がいる中で、世の中には、本当にリラックマがほしい人もいます。そしてそのリラックマがほしい人は「リラックマっていうと笑われそうだから、リカちゃんがほしいってことにしとく」とか、やってたりします。

結果、リカちゃんをほしい人が、遠慮して、リラックマに手を伸ばし、リラックマをほしい人のもとに、リカちゃんが渡ったりする。

リラックマは、「この人は、私をほしいって言ったから、私が好きなんだ」と思っているのに、その人は内心、実はリカちゃんをほしがっている。
リラックマは、実はリカちゃんをほしがってる人の手に渡るんですよ。

なんかおかしいと思いませんか?

本人たちも、リカちゃんやリラックマも、みーーんな、不幸です!

それなら初めから、リカちゃんほしいならば、リカちゃんに手を伸ばし、リラックマがほしいならば、リラックマに手を伸ばすことです。

リラックマの持ち主にふさわしいのは、本当にリラックマをほしがっている人。
リカちゃんの持ち主にふさわしいのは、本当にリカちゃんをほしがっている人。

そのためには、Aがほしい、と言いましょう。
「Aがほしい」と素直におねだりすればいいのです。もし、周囲の人から、Aはむりです、と言われたら、その時はじめて、「じゃあBでもいい」と答えるか、「Aでないなら何もいらないので、皆さんの気持ちだけいただいておきます」などと、そのときに思ったことを、素直に答えればいいのです。

そういう風に、願いをはっきり言葉にしただけでも、驚くほどのメリットがあります。

魂は「Aがほしい」と意思表示しただけでも、かなり気が済んでいることでしょう。なので、結果的にAが手に入らなくても、それを認め、探そうとした自分や、周囲の人の姿が、とても嬉しかったりして、魂の深いところが満足するのです。

欲しいものを欲しいと言う。
して欲しいことをして欲しいと言う。
それは、欲しいものを手に入れるためでも、誰かにして欲しいことを、させるためでもありません。
「それを欲しがってもいいんだよ」と、自分を認め、自分を大切にしてあげるために、言うのです。

遠慮する人の中では、理性が、心(魂)に、「Aなんかほしがっちゃダメ!もっと聞き分けよくしなさい!」と叱り飛ばしています。
自分(理性)と自分(心)が、いがみ合っている状態。
自分の内面が、仲が悪い状態。
問題の核心は、実はこれです。
世間は敵ばかりです。自分(理性)くらい、自分(心)の味方をしましょう。
何をほしがってもいいよ、と、自分の心にいってあげましょう。

なので、試しに、素直に「Aがほしい」と言ってみましょう!!
これだけで奇跡が起きます!
これだけで、「言っていいんだ」と思え、心が震えるようなうれしい体験、心底満たされる感覚を得ることは、約束されるのです!

以上のようなことで、何がほしい?と聞かれたとき、どう答えるかで、もう奇跡か、ガッカリか、決定するというわけです。
それは答えた瞬間決まります。
その後、本当に手に入るのか、入らないのかは、もう、どうでもいいのです。

「リカちゃんがほしい」これで奇跡は確定です。
「ウルトラマン以外ならなんでもいい」これでガッカリは確定です。

言霊の力とはそういうものです。

さあ、あなたのほしいものは何ですか?
自分の心に、魂にきいてみてください。
そして、それを、素直にほしい!といってみましょう!
これで、奇跡は確定です!!

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