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わたしが生きる物語 B面

今日は国際女性デーということで、私がコーチングを学んでいるTHE COACHのハッシュタグキャンペーン #わたしが生きる物語 というテーマで私も書いてみたいと思った。(PRじゃないよ)

しかし、どうにも誰かのお手本になるような物語を語れる自信が持てず、キャンペーン最終日まで手つかずになってしまった。「わたしらしく生きる」というような言葉は、正直私には眩しすぎるのだ。「わたしらしい」とは何ぞや、と頭を抱えてしまっていた。

物語に回収されなかった“断片的なもの”

最近、『断片的なものの社会学』という本を読んでいる。人の語りを聞き、分析し、世にアウトプットする社会学者が、普段研究をする中で出会う、世に発するほどでもない“断片的なもの”を集めた本だ。

ずっと広報的な仕事をしてきたらか、どうもアウトプットありきでものを見てしまう嫌な癖ができてしまった私には、大事なことが詰まった本だった。

日常には誰にも触れられることもなく消えていくものがたくさんある。きれいな物語の中に吸収されなかった断片的なものを集めてみると、それが意外と「わたしっぽい」ような気もして、だから今回は、「わたしが生きる物語 B面編」というテーマで書いてみたい。人が生きてきた人生にはA面だけでなく、B面もあり、その両方を持って「わたし」であるのだから。

転職理由のA面、B面

「転職理由」を語るとき、表向きの理由(A面)と、裏向きの理由(B面)があると私は思う。表向きは「新しいことに挑戦したいから」など耳障りのいい理由で、裏向きは「組織に不満足だったから」とか「お金が見合わないから」とか。A面もB面もどちらも本音であり、決して表向きだけ嘘をついているわけではない。

私は一度の転職と、一度の独立を経験しているが、特に最初の転職は、半年で辞めてしまったものだから、どうにかこうにか「耳障りのいい転職理由」を作り上げるしかなかった。

「文章が好きがだったから」「編集職にもう一度チャレンジしたいと思ったから」と転職先の相手には伝えていたけれど、本音を言えば「前職でのセクハラ・パワハラがひどかったから」「もう人前に出ない仕事がしたいから」「編集者ってなんかかっこいいから」くらいのものである。

独立する際も、「もっと社会を良くする仕事をしたいから」と公には言っていたけれど、正直オフィスで働くことが苦手だったし、興味のない仕事でも断れない自分に辟易していたし、お酌するとか人付き合いとか、そういう「会社員」にまとわりつくいろんなものが嫌いだった。

会社内にも憧れるロールモデルはいた。でも、その先輩たちは「〇〇会社の〇〇さん」ではなく、自分の名前で仕事をとってくるような人たちであり、「この会社でこうなりたい」という未来があまり見えなかったという理由も今思えば大きかったと思う。

B面に背中を押されてきた

そんなこんなで、転職や独立など何かを決断する際には、B面の理由がある。B面は美しくないから語られることが少ないが、実は自分をここまで動かしてきたのはA面ではなくB面だったんじゃないかと思う。

今の暮らしに違和感を持ち始め、「もうここにはいられない」「そろそろ潮時だ」そんな曖昧な感覚に私は背中を押されてここまで歩いてきた。

SNSやメディアで語られることのほとんどはA面的物語であることを忘れてはいけない。A面は美しく、憧れを生み、人を動かす力を持つものだと思う。でも、A面に触れすぎると疲れる。

一方、B面的物語は、「あ、この人もこんな程度か」と、ダメダメなその人に触れることで、ダメダメな自分を許容する力を与えてくれる。そんなB面をもっともっと語り合って、「そんなもんだよね」と笑い合いたい。私にとっての「わたしらしさ」は多分こっち側にある。


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