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シュウマイ


シュウマイ、食べたい。

ここ数日、私の脳内はシュウマイで占拠されていた。

理由は分かっている。
ひとつは、先週友人が「餃子よりシュウマイが好き」という話をしていたこと。
私には宇都宮市民の誇りがあるのでそれに同意はできないが、そういう人もいるのかと、その言葉が脳の片隅に住み着いた。
もうひとつは、イタリアに住む日本人の方が Instagramで、シュウマイを作って載せていた。
この方は本当にお料理上手で、イタリアという限られた食材しか手に入らない地で工夫を凝らして、すごくおいしそうな日本食を作る。
以上2名の影響を強めに受けた結果、シュウマイを食べるまで落ち着かない日々を過ごすことになった。

少し時間を遡って、一昨日。
夕方、アルバイトでくたくたになり、直帰したい気持ちをぐっと我慢してスーパーに寄る。
豚ひき肉と玉ねぎとシュウマイの皮をかごに入れ、よし、さっさと帰ろうと思った矢先に敵が現れた。
レジ前でポテチが安売りされていたのだ。
あまりポテチを食べることはないのだが、あまりの疲労感でつい手を伸ばしてしまった。
結果、家に帰ってすぐ紅茶と共にポテチを食べてしまい、満腹。
かろうじてレタスをちぎる気力と胃袋しか残っておらず、シュウマイは翌日に持ち越された。

そして、昨日。
本当は月曜日は夜遅くまで授業があるのだが、都合により休講になった。
1日の予定が急にすべて消えてしまったが、それを知ったときにはすでにメイクを終えていた。
せっかくメイクしたのに、外に出ないのは嫌だ。
それに、夕飯はシュウマイだと決まっている、絶対に。
シュウマイが食べられるならなんでも頑張れる気がして、とりあえず大学へ向かった。

院生室で課題を片付けていると、シュウマイ派の友人が部屋に入ってきた。
あなたのせいで今晩はシュウマイだよとこぼすと、「え、作るの?ひとりで?すごいね」と返ってきた。
その子がひとりで食べるシュウマイは冷凍食品らしい。
私は育った環境のせいなのか、冷凍食品という概念すら抜け落ちていた。
こういう時に親の食生活の影響を実感する。
結構おいしいらしい、冷食のシュウマイ。
それ早く言ってよねぇ、もう材料はすべて私の冷蔵庫で待っている。
作るしかない。シュウマイに煽られる気持ちで課題に取り掛かった。

なんだかんだ大学でダラダラしていたので、帰宅したのは23時になっていた。
正直シュウマイはもういっかとも思ったのだが、ひき肉の消費期限がすでに1日過ぎていた。どこまでもシュウマイに煽られる日だ。
これだけシュウマイの名前を連呼しているが、作ったことはない。レシピを見ながら夜な夜な3人前のタネをこねる。
そして、皮で包み、台湾旅行で手に入れた蒸篭で蒸す。普段はクッキングシートを敷くのだが、申し訳程度の罪滅ぼしにレタスを2枚敷いた。
蒸している間にビールのグラスを冷やし、洗い物を済ませる。
美味しいものを食べる準備は万端だ。かかってこい。

結果、食卓に白米とシュウマイとビールが並んだのは0時を過ぎたころだった。
こんなこと一人暮らしでなければできない暴挙である。だからこその至福。ふふ。
蒸篭にシュウマイをぎゅうぎゅうに詰めすぎて、皮同士がくっついてしまったが、念願の味は最高に美味しかった。
そして、夜中のキンキンに冷えたビールを流し込む。はー幸せ。
もう今書いているだけで思い出しちゃって、吞みたくなってるもんね。
白米との相性もバッチリだ。深夜の最高3点セット。
気づいたら2人前をペロッと食べていた。はぁ満腹。幸。

そして、今日。
あまった昨日のシュウマイをごま油で焼いた。焼シュウマイである。
これがさっき食べたお昼ご飯。美味しかったなぁ。

美味しいものを作ること、そして食べることが日々を乗りこなす私のエネルギー源だ。栄養だけじゃない大切なものが食には詰まっている。
その大切なものって何だろう。こういうものの断片を捉えて言葉で表す研究をしたい。

さて、エネルギー補給したから、文献読むかぁ

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