創作で砕く

こんばんは。

突然ですが、創作の原動力って何なのでしょうか。
私個人の考えを話すと、「解消」なのではないかと思います。

何かアイデアを思いついたときであったり、喜怒哀楽の何かが作用したときであったり。
頭の中に感じる"靄"のような何かを解消するために、創作が始まるのかなと思います。それが快不快に関わらず。
故に、創作に取り憑かれる人もいれば、すぐに火が消えてしまう人もいるのだとも考えています。

私は後者寄りの人間です。創作に打ち込む人に憧れてやっている節が強いだけの人間なので、その意味では創作に向いていないと感じます。

ただ一方で、人より靄を抱えやすい人間なのかも?と思うことがあります。その点では向いてるのかもなと思ったりもします。
昔から妄想、というか空想の世界に入り込むのが好きだったのもあり、(恐らく)普通の人よりかは「何かを考える」のが好きでした。

基本的に、小さな靄が浮かんでは知らぬ間に消えていくことが多いのですが、強烈な何かを受け取った際には靄は残り続け、解消できずにいます。

創作はそれにぴったりでした。
何かを「形にする」という行為は靄の解消に打ってつけであり、昔は文章化することが多かったです。(今見るとポエムにしかならないのでしょうが。)

そんな私も大学生になり、創作というものが興味の存在からグッと自分に近づきました。
年月を経るにつれてその存在は近づいており、いつしか自分の将来の選択肢の軸にまでなりました。
次第に、自分の悩みの種に創作のことが増えていきました。

そして最近になって気づいたのが、「創作の悩みは創作でしか解消できない」ということです。

(そろそろ「創作」というワードがゲシュタルト崩壊してきたので一旦筆をおきます。)

はい。

話を戻して、「○○が作れない」だとか、「××の才能がない」という悩みは幾らでも湧いてきます。
サークル活動や就職活動をしていく上で、「自分の上位互換」とかいう最悪な存在を何度目にしたことか。。。

そのような悩みって基本的には、「向いてないし」や「時間やお金がない」といった理由付けで逃れることができると思います。
昔絵描きに挑戦して挫折した時もそのような躱し方をしたのを覚えています。

ですが、創作にのめりこんでいくうちにその躱し方がどれほど愚かしいことかを理解してしまいます。

何故なら「できる人はやっている」からです。

もちろん「好き」と「上達」の階層の話などは幾度となく議論されているので重々承知ですが、結局どうにかこうにかして乗り越える実例は様々です。

何より、うだうだ考えるより先に手を動かせる人ほど強いからです。
結局自分の先を行く人たちは「圧倒的な手数」を持ち合わせていると感じます。

話を戻します。創作悩みを解消する方法は、「創作をする」に尽きると思います。
どうこねくり回したって、言い訳を考えたって、靄は何か創らない限り残り続けます。それを解消するためはあの手この手を使って何かを創らなければいけません。故に今もこうして何かを創り、形にしているのだなと思います。
「呪いだな」とさえ感じてしまいますが、私は結局好きなのでやってしまいます。

今日はそれを痛感したのでバーッと書き出してみました。
そのうちに「原動力も同じなのではないか」という疑問にもぶつかり、まとまったのでこのnoteが出来ました。

書き溜めのnoteだらけの中、初投稿がこんな堅苦しいものになるとは思いもよりませんでした。まとまった文章を書かないと面白くないという謎の強迫観念が少し緩和されたような気もします。

自分の書く長い文章は中身がないと思っているので、ここら辺で終わりにしようかと。
また何か解消したいことがあれば投稿するのでしょうか。

それではまた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?