UIにおける"正しさ"とは?

こんばんは。

皆さんは右利きでしょうか?左利きでしょうか?
私は右利きです、まぁ私の話はどうでもよくて。

左利きの人って色々と苦労する、というような話はよく聞きます。
例えば、「給食のレードル(とがったお玉)が右利きの人が注ぐように作られているため、左利きの人に厳しい」とか、「自動改札機を通るのに、ICカードを右に置かないといけない」とか。

右利きの人が左利きの人より多いので、この構造は"正しい"と思います。
その一方で"残酷"でもあると思います。

話は変わりますが、今日東京大学制作展「学芸運動」に行ってきました。
そこの展示で見かけたのが「右から左に書かれたフォーム」でした。

フォームであったり、このようなノートであったり、基本文字情報の流れは「左から右」が一般的です。その前提に対して疑問を投げうつ展示であり、それ以外の作品も含め、我々が無意識のうちに推測し、解釈を行っている事象に働きかけを行う取り組みは非常に面白いものでした。

展示について作者の方とお話している時に感じたのですが、「広く正しいとされている良いUI」が一種のグロテスクさを帯びているということです。
「最大多数の最大幸福」の概念では無いですが、一般的な正当性による暴力性は底知れないなと感じます。

右から左に文字を認識する人が、いわゆる良いUIを見たときにどのような感情を抱くのでしょうか。
想像してなんとなく切ない気持ちになりました。

私はゲームUIデザイナーを志望しているのですが、UIについてより一層考えさせられる日となりました。
人に良い体験を施しているという感覚が、恣意的なものにならないように。

それではまた。

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