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性自認なんかしたくなかった

 初めて書くnoteがこんなタイトルでいいのか。
 申し訳ないけれど、落ち着いていられないので書きなぐりになってしまう。

 初めに述べておくが、他者を傷つける意図がないことはご理解頂きたい。これはただ私が勝手に自認して、勝手に傷ついて、勝手に思いのままをぶつけている文章である。そして、性自認についても完全に素人の知識であるため、そちらについてもご理解をいただければと思う。

 タイトルの通り、つい最近性自認をした。きっかけは友達とのおしゃべり。話の流れで「自分はこう思うんだけど、何に当てはまるんだろう?」と聞いてしまい、友達から もしかしたらこれじゃないかな、とあるセクシュアリティの話をされた。その時は少し違う気がしていて、それには当てはまらないようだし、自分がそもそも少し違う価値観を持っているのかなと考えていた。

 問題はその後だ。

 そのセクシュアリティを調べていくと、芋づる式に他の名前も上がってくる。好奇心と些細な知識欲で こんなものもあるのかと眺めていたら、見つけてしまった。「クワセクシュアルとは」という記事。読んでいくとそれはもう自分のことばかり書いてあった。同時に何かが気持ち悪くて涙が溢れてきた。同じような感情を抱いた人は居ないのか、と調べていくと、ほとんどの内容が「自分にとっては、恋愛も友愛も『好き』に収束するだけだ」と 前向きな気持ちで書かれていた。
 彼や彼女は私みたいに醜くないのだ。私は、友達が別の友達と遊んでいるだけで、まるで浮気をされたかのように嫉妬に燃え上がったり、「楽しそうだね」と話した場所に私以外と行ったことを知り、どうして私とは行ってくれなかったのかと寂しさでいっばいになったりする。あまつさえ、私は私の友人の恋人が憎くて仕方がない。私の方が彼女を好きなのに、彼女を愛している自信があるのに、どうしてその人が恋人なのだ、と。女性の友達だけではない。男性の友達にも同じような感情を抱く。複数人に対して同時に。
 ここまで大きな感情を抱いておきながら、私は性行為をしたいとは思わない。潔癖症のきらいがあるので、むしろそういった行為に抵抗がある。
好きだという気持ちはある。愛するという気持ちもある。ただ、妬くほど好きだとはいえそのような行為に及ぶのは考えられない。

 多くのクワセクシュアルの方々のように、私も友愛と恋愛の差が分からず悩んでいる。ここまで書いておいて、少し違うかもしれないと思ったが、当てはまる言葉がないのでそのまま「クワセクシュアル」ということにしてほしい。今は醜い心を可愛こぶって「私とも遊んでね!」だとか、冗談半分で「浮気者〜!私ともその話したじゃん〜」と笑って誤魔化している。胸の中の濁流に気づかせないように。マジョリティとして生きる友人にこの濁った気持ちをぶつけたくない。知られたくない。それでも、少しは理解してほしい。すごく苦しい。という矛盾した欲望を抱くようになってしまった。

 性自認なんてしたくなかった。自分の恋愛思考なんて知りたくなかった。
 友達が自分じゃない誰かと笑っていたら、猛烈に嫉妬するのは当たり前だと思っていた。みんなも同じ気持ちだと思っていた。

 1度だけ、人に「みんな恋人作っちゃってさ、私その恋人に嫉妬しちゃうよ」と話したことがある。返ってきた答えは「恋人作ったらいいのに、すぐできるよ」だった。作ったことがない訳では無いけど、どれもが自分から好きになった人ではなかった。いや、好きだとは思っていたけれど、恋愛としてなのか、友情としてなのか分からないまま付き合った。1度目は自然消滅で、2、3度目はいつまで経っても性行為に前向きではなかったからという理由で振られてしまった。

 私はこのまま恋愛やも友愛やも分からない気持ち悪い思いを友人に抱いたまま生きていかなければならないのだろうか。性行為がしたくないからと一生振られ続けるのだろうか。友人が結婚していく度に嫉妬で狂いそうになってしまうのだろうか。

 気づきたくなかった。自分が人の考えと違うなんて、他人が怖くてしょうがない。何を考えて付き合うのか、どんな思いで恋愛をしているのか、どんな考えで友達と付き合っているのか、私とは思考が違うのだと、本当に知りたくなかった。

 私はどうしたらいいの?友愛って何、恋愛って何?「好き」という気持ちをどうしても分けることが出来ない。区別する方法が分からない。私が好きな分、人にも好きだと思って欲しい。だけど、性行為をするのは違うと感じてしまう。

 こんな思いを抱えるくらいなら、性自認なんてしたくなかった。知らない方が幸せだったのに。


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