言葉は向こうからやってくる。
自分の中に漂うこころの揺れ動きを言葉にすることが、日常の豊かな余白になることを、僕は知っている。
その余白にこころを漂わせるたびに、余白を日常に取り込みたいと思う。余白を自由自在に操りたいと思う。
だが、それは叶わぬ願望だ。
余白は、自らつくろうとした瞬間、余白でなくなる。形作られた何かになってしまう。曖昧な豊かさを削り落としてしまう。
僕にとって、余白は言葉だ。そして言葉は、向こうからやってくる。こちらから迎えに行くことはできない。1ヶ月やってこないこともあれば、毎日のようにやってくることもある。
とんだ気まぐれである。
…しばらく言葉とご無沙汰していた。久しぶりに逢着した手触りは、懐かしく、こころを落ち着かせる。やっぱり大切な時間だと思う。だがその時間が、次いつやってくるか、その保証はどこにもない。
言葉が失われるたびに、僕は不安に襲われる。世界との接点を失い、ただ盲目に世界を漂うことしかできないのかと、絶望してしまう。だが、言葉はいつかやってくる。然るべき時に、然るべき表情をして。
いましか紡げない言葉がある。2度とやってこない余白がある。そのサインを見逃さずに、抱きしめて、僕はこれからも生きていく。
2022.11.16
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