三権分立と検察と日本の未来

芸能人がTwitterで大騒ぎしたので、マスコミも騒いだ検事総長の人事に関する法案は、公務員の定年延長と共にこの法案は先送りとなった。黒川検事長の人事も、新聞記者との賭けマージャンによる辞任という意外な幕引きであった。

要は検察庁のトップの人事に内閣が法律上口を出す権利を持つことに対して、「民主主義とはかけ離れた法案」「自分たちの未来を守りたい」などと意味が分かりかねる批判の渦が巻き起こっていたわけだが、そもそも検察がどんな組織かについて十分な理解が得られていないように思う。

まず、検察庁は唯一、霞が関の権力が及ばない領域であると言われている。検察庁は赤レンガ組(*赤レンガとは法務省旧本館の代名詞だが、司法官僚として検察庁の王道を行く検察官の集団を指す。)と特捜部に代表される現場組の2派に分かれていて、この特捜部こそが権力の手が及ばないところで、時代時代において正義というものを世に示しているところなのだ。検事総長の定年延長を内閣の政治任用されたところで、特捜部が時代の正義に合わないとされた政治家は追及されて逮捕されるだろうし、赤レンガ派の検事総長であれば、過去においてなされてきたように、これからも政治家への忖度が続くだろう。

そして、ようやく本題に入るが、検察は行政と司法としての性質を併せ持つ行政組織である。検察は国の機関(行政組織)として、刑事事件を扱う、すなわち事実関係を調査捜査特定し、被疑者を拘束し、司法機関たる裁判所に訴え出るという職権を担っているのである。昔刑法の授業で習ったが、個人的な復讐を禁じ、国家組織たる検察の権力で、代わりにこれをさばいてくれるという訳だ。

なので、三権分立という場合の三権とは、内閣(行政)、裁判所(司法)、そして国会(立法)を言うのであり、検察は行政機関の一部として、内閣(行政)に従たる機関なのであり、司法機関としての性質上、法に従い正義を追及する性質はありつつ、行政機関としての機能を果たさなければならないのである。そこを見ずしてこの問題を語るなかれ。我々の次世代、未来について語るのは良い。しかし、情緒的にあおったり、表面的なことをなぞって批判することは物事をゆがめて、ネガティブなものを生み出すだけだ。物事の本質を見ておかないと、大事なものが見えなくなる。

検察組織の硬直や政権との癒着はあってはならない話だが、定年が2年延長されても問題があるとは思えない。ここはむしろ、公務員の定年延長とセットにして、しれっと通そうとしたところにあると思う。公務員の人件費は今や25兆円という規模まで膨れ上がっている。医療費の増大や国の借金ばかりがクローズアップされているが、これこそが日本が直面する大きな問題であり、日本の未来を語るならここは避けて通れない本丸なのだ。賭けマージャンなど些細なことに過ぎない。










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