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日常が変わっても変わらないこと。

2月27日に発令された政府の自粛要請から意識は変わりはじめ、4月10日からコロナウイルスの蔓延防止として考え方と働き方を変えた。

りんごの行商を生業とし、仲間達と妻と子供5人で、自由に各地を旅して18年余り生計を立ててきたが、行商が思うように出来なくなったのは今回がはじめてのこと。

「りんごいりませんか?」と街ゆく人に声をかけられない状況になれば、非常事態ですね。

今までの取材や一緒にいる仲間にもよく話していた。

新しい売り方もうまれている現状だけれど、できる限り行商からの出逢いや縁に基づいた売り方で続ける道を選ぶ。

現在は、1人のお客さんからつながるその一帯のご近所さんに電話でりんごの注文をいただき、直接配達する形をとっている。

有り難い事に普段とあまり売上は変わらず、お客さんへの感染の心配もある今は、配達のみの最小限の動きで切り上げている。

今までどちらかと言えば、偶然の出会いからの一期一会の売り方が多かったので、とても新鮮な気持ちでお客さんに感謝があふれる。

しかし「売る事」だけに完結する事は、やはりどこかお客さんの心に響ききらない感じがしてお客さんに出し惜しみをしているようなもどかしい気持ちになった。

ただの経済活動ではなく、もっと奥にある人間の本質と共鳴したい。何を筆にしようとそれが万物に繫がるニーズだと思っている。

これまで行商を続けてこれた理由は、りんごを介したやりとりの中で、お客さんの本音を感じることばや、わずかな仕草に、人間の面白味を感じる事ができ、その体験から自分の在り方を鏡のように感じることができたから。
出会う相手がだれであろうと、生きている「今」をその場で共有できるほどのエネルギーをもって、お客さんの記憶に残る工夫をした接客を心掛けてきた。

出逢いが「売り」でお土産がりんごになるように。

その場に自然に立つことができれば、りんごを都会の真ん中で売っていても、田園風景の中で売っていても、「いつ」「どこで」売ってもりんごは売り切れる。

街では人あたり、田舎では緑のざわつきで、どっちに行けばりんごが売れるか、移動のタイミングが景色と自分の呼吸のズレなどでわかる。
唐突な出会いから絶妙の間合いで、りんごは売れはじめる。

これまでに世界中のたくさんの人がりんごを食べ、言い伝えてくれたり、科学者やあらゆるジャンルの人々がりんごの良さを膨大なデータでまとめてくれた結果、りんごそのものに対する信頼や信用ができあがっている。

コロナに生活を脅かされる今、だれかに支援を受けたり、ある程度の売上を作れている人達が扱うものや表現する筆は、今までの先人が食べてもよい、もしくは心に入れてよい、とつみ上げてくれたものの上に成り立っているとも言えるのではないか。

いのちの根本からできたものや、またそれを理解する人がつくった道が、世界が変わっても変わらないものとしてこれからも引き継がれていくのだろう。
あらゆる道の先人の手仕事のたしかさは、大きな時間軸で空間を巡り巡って、何度でも人々の心に響く。

有事にも平時にも変わらないものとして、初心を忘れず、自分にとって最後の1日になる日まで、赤いりんごを一つ一つ、まだ見ぬ人に手渡していきたい。