浅野詩史

読書記録、日記、たまに小説。

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記事一覧

自決

訃報が続く。ネット上では色々な憶測が飛び交っていて、根拠もない情報なのに何となく引っ張られ、正直信じそうになってしまう自分もいる。でも、私が思うことはひとつ、死…

浅野詩史
3年前
3

ラル

はじめて降り立ったシドニーは、やわらかい霧雨にけむっていた。 冬のはじまりを迎えたシドニー。 タクシーに揺られながら、空港から市街地へ向かう。 シドニーは不思…

浅野詩史
4年前
1

夕ごはん①

昨夜、わたしと夫ははらぺこで床についた。お昼ごはんをたっぷり食べたので、夕方になってもお腹がすかず、夕飯は見送ったのだ。 こんな日は、夜中に空腹がやってくる。 …

浅野詩史
4年前
6

日記5/14

久しぶりに本を読むやる気がでてきて、江國香織を開いたら、一文一節一語のすべてが身体に吸収されてどきどきした。 流れゆく文字に心をのせているとき、連絡をくれそうな…

浅野詩史
4年前
3

坂下りて 春 歩道橋 あなたとなんて出会わなかったみたいに暮らす

浅野詩史
4年前
1

やっちゃん

やっちゃん。 小さいころ、私は母からそう呼ばれていた。 本名に「や」という音はないので、なぜかすりもしない「やっちゃん」というあだ名をつけられたのかはもう分から…

浅野詩史
4年前
3

埋葬

東京になんかくるつもりはなかった。 日本橋千疋屋の前を歩きながらひとりごちる。 私は生来几帳面で、やるときめたことはやる、興味のあることはとことん突きつめる。惚…

浅野詩史
4年前
5

3月のはじまり

今日は日記。 昨日、麻布十番に行った。久しぶりだったので、どきどきしながら街を歩いた。風はつめたくて、でも心はそわそわ熱っぽくなっていて、たぶん私は街から浮いて…

浅野詩史
4年前
1

それなのに

海はあなたに恋をしている あなたは海を愛している ふたりは同じあお色をして同じ景色を見ている それなのにわたしはどうして 山の中にひっそりとたたずむ湖の わたし…

浅野詩史
4年前
2

JAM

当時、最寄りの駅から家までの距離は、ちょうど「JAM」がきっちりおさまるくらいのものだった。 あたしはその距離をいつも、困惑と絶望のあいだの気持ちで歩いたものだ。…

浅野詩史
4年前
2

雪にうずめる恋

東京に今年はじめて雪が降った日、私はひとつ、恋の埋葬をした。 雪がふるらしいということは前日の天気予報を見て知っていたけれど、やっぱり起きてすぐのあたたかな部屋…

浅野詩史
4年前
3

おんな

恋とは、かなしいなんてもんじゃない。 うれしいとか愛おしいとか、かわいいとか憎らしいとか、この人の子どもを産みたいとか、この人と一緒に死んでしまいたいとか、そん…

浅野詩史
4年前
2

不ぞろいな指輪

「結婚指輪なんて、犬の首輪と一緒よ。」と江國香織は云ったけれど、数ある江國さんの名言の中でそれだけは信じていなかった。 結婚指輪は人の魅力を引き立たせる。とくに…

浅野詩史
4年前
3

愛する男の腕の中で

友永さんが奥さんと別れるという。 友永さんは梅ヶ丘に住んでいて、私より5歳上で、女の子ふたりの父親で、わたしの恋人だったひとだ。 友永さんは言う。妻と別れるのは…

浅野詩史
4年前
1

山手通りの贅沢

もうやめよう。 晩秋の山手通りを歩きながら、そう決心した。 なぜかっていうと、なにが欲しいか分からなくなったから。なにが欲しくて、なにが欲しくないか分からなくな…

浅野詩史
4年前
3

あなたとの別れを考えはじめたのは、いついつからです、と明言することができません。 わたしたちには常に、別れがつきまとっていたように思います。別れなければならない…

浅野詩史
4年前
3

自決

訃報が続く。ネット上では色々な憶測が飛び交っていて、根拠もない情報なのに何となく引っ張られ、正直信じそうになってしまう自分もいる。でも、私が思うことはひとつ、死の選択肢が他の人よりも少しだけ近くにある人間が、この世には一定数存在しているということだ。

私は心を病むと、本来とても狭いはずの死への道が、ひらけてくる。気づいた時には生への道と死への道が、同じくらいの幅で自分の前に続いていて、これまでは

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ラル

はじめて降り立ったシドニーは、やわらかい霧雨にけむっていた。

冬のはじまりを迎えたシドニー。

タクシーに揺られながら、空港から市街地へ向かう。

シドニーは不思議な街だ。オリエンタルとヨーロピアンの混在。うまく調和しあって、溶け込みあって、独特の雰囲気を作り出している。

車窓にうつる景色には、どういうわけか叶がいた。日本においてきてしまった叶。もう二度と会わないと誓った叶。わたしを深く深く

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夕ごはん①

昨夜、わたしと夫ははらぺこで床についた。お昼ごはんをたっぷり食べたので、夕方になってもお腹がすかず、夕飯は見送ったのだ。

こんな日は、夜中に空腹がやってくる。

✳︎

「おれ、明日は冷やし中華が食べたい。」

めずらしくリクエストがきた!よほどお腹がすいているんだろう。よぉし、気合が入る。

「乗っける具はトマト。茄子を素揚げにして一緒にマリネにしてほしい。うん。」

おぉ。なかなか具体的な案

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日記5/14

久しぶりに本を読むやる気がでてきて、江國香織を開いたら、一文一節一語のすべてが身体に吸収されてどきどきした。

流れゆく文字に心をのせているとき、連絡をくれそうな気がする。でも、そんな時期は終わったのだ。

✳︎

この間の電話でわかった。わたしたちの心は離れてしまった。すっかり。もともと同じ方向は向いていなかったけれど、まったく逆の方向を向いているわけでもなかった。でも、いまは生きている世界がち

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坂下りて 春 歩道橋 あなたとなんて出会わなかったみたいに暮らす

やっちゃん

やっちゃん。

小さいころ、私は母からそう呼ばれていた。

本名に「や」という音はないので、なぜかすりもしない「やっちゃん」というあだ名をつけられたのかはもう分からないけれど、母と私だけの間で通ずるその呼び方を、私はささやかに気に入っていた。

母は美しい人だった。心が豊かで、愛が深い人だった。彼女は必死に、着実に近づいてくる老いと戦った。年齢を重ねるにつれ刻まれていく皺、落ちなくなる体重、そのす

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埋葬

東京になんかくるつもりはなかった。

日本橋千疋屋の前を歩きながらひとりごちる。

私は生来几帳面で、やるときめたことはやる、興味のあることはとことん突きつめる。惚れっぽくて飽きやすい。そんな性格だった。

ピンクの口紅よりは赤色が、ロングよりはショートカットが似合う。友達に言わせると「さばさばしていて大人びている」性格は、男の人にはあまり受けない。そんな私でも、度を失うほど好きになったひとがいた

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3月のはじまり

今日は日記。

昨日、麻布十番に行った。久しぶりだったので、どきどきしながら街を歩いた。風はつめたくて、でも心はそわそわ熱っぽくなっていて、たぶん私は街から浮いていた存在だったと思う。

たまに連絡をとりたくなる男の人がいる。その人がなにしているのか、元気なのか、そんなのはどうでも良いのだけどとりあえず「いまなにしてるの?」とか「元気にやってるの?」とか訊いてしまう。めんどうな女だと思われてるだろ

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それなのに

海はあなたに恋をしている

あなたは海を愛している

ふたりは同じあお色をして同じ景色を見ている

それなのにわたしはどうして

山の中にひっそりとたたずむ湖の

わたしにはどうして

あなたはたまにしか顔を見せてくれないの?

そのすこやかな笑顔を

こんなにも恋しがっているというのに

そりゃあ、海とくらべれば

すこし小ぶりではあるけれど

海と同じような形をしていて

さざ波だってたてられ

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JAM

当時、最寄りの駅から家までの距離は、ちょうど「JAM」がきっちりおさまるくらいのものだった。

あたしはその距離をいつも、困惑と絶望のあいだの気持ちで歩いたものだ。幸せだった思い出はあんまりない。借金取りがしつこかった夜が明けたあととか、他の男と寝たあととかばっかりだったから。

「JAM」は、かつてあたしの夫だった男がよくあたしのために歌ってくれた曲で、あたしはそれをうっとり紹興酒を飲みながら聴

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雪にうずめる恋

東京に今年はじめて雪が降った日、私はひとつ、恋の埋葬をした。

雪がふるらしいということは前日の天気予報を見て知っていたけれど、やっぱり起きてすぐのあたたかな部屋から窓の外の雪をみると、心はすこしだけ浮き足だった。

朝からテレビでは南の島を旅する特集をやっていて、東京の曇った空とは正反対の澄んだ海とまばゆい太陽が無機質な平面に映し出されていた。それらはせっかくの雪でうきうきしていた私の心をずるず

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おんな

恋とは、かなしいなんてもんじゃない。

うれしいとか愛おしいとか、かわいいとか憎らしいとか、この人の子どもを産みたいとか、この人と一緒に死んでしまいたいとか、そんな気持ちのごちゃまぜが、恋だと思う。

でもわたしは臆病で、あらゆる物事について気にしすぎるたちなので、それらの気持ちを直接相手に伝えたことはない。伝えたら、相手はわたしの執念の深さにおどろいて、尻尾を巻いて逃げ出してしまうかもしれない。

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不ぞろいな指輪

「結婚指輪なんて、犬の首輪と一緒よ。」と江國香織は云ったけれど、数ある江國さんの名言の中でそれだけは信じていなかった。

結婚指輪は人の魅力を引き立たせる。とくに、男の。「僕にはついてきてくれる妻もいるし、結婚指輪をするくらいの心の余裕だってあります。まぁ、ほかに女がいないとは云いませんが。」と宣言してくれているものだと思っていた。

だから常々わたしは夫に云ってきた。「あなたは結婚指輪をするべき

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愛する男の腕の中で

友永さんが奥さんと別れるという。

友永さんは梅ヶ丘に住んでいて、私より5歳上で、女の子ふたりの父親で、わたしの恋人だったひとだ。

友永さんは言う。妻と別れるのは君のせいじゃないよ、と。だから君はなにも心配しなくていい、と。

まったく馬鹿げている。「妻と別れるのは君のせいじゃない」?「なにも心配しなくていい」?そんなの当たり前だ。わたしはそれらのどれも望まなかったもの。友永さんのこういうところ

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山手通りの贅沢

もうやめよう。

晩秋の山手通りを歩きながら、そう決心した。

なぜかっていうと、なにが欲しいか分からなくなったから。なにが欲しくて、なにが欲しくないか分からなくなったから。

情で付き合うってのは、そんなこと、したこともないし。そもそも性に合わないし。

私はすっぱりさっぱり生きていきたいのだ。必要なものだけに囲まれて。まあ、無機質なものについては別だけど。帽子をかぶるためだけの頭とか、ゆでたま

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あなたとの別れを考えはじめたのは、いついつからです、と明言することができません。

わたしたちには常に、別れがつきまとっていたように思います。別れなければならない、もう、会う約束をしてはならないと、神様がそう言っている気がしていました。

でも、私は他人に言わせれば「常識はずれの女」なので、あなたにためらいもなく会いました。夢中で恋をしました。

でも、いくら私が世間知らずの極楽とんぼでも、これだ

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