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モノと関係性 / 創造について メモ

22年1月メモより



1. モノと関係性

おそらく、ヌーソロジー関連の何かのレクチャー動画を見て、それをもとに考えたこと です。



 

記憶・物語・ストーリー・プロセスによって、バラバラの(一瞬一瞬の)"現在"がつながりあわさり、"むかし"としてありありとした過去になる。それは過去と現在の同時存在、となる。 これは、純粋持続の空間から眺めた、時間と出来事のグラフの再編集が起きているから。線形だったはずのグラフが融解して、すべてが同時に存在する。


※補足: 純粋持続とは
・・・・時間の無い時間。人間が、現実をイメージとしてまるまる捉えられるような時間(例: 曲の印象を、私たちはまるまる一曲を全体として捉えて語ることができます。そのようなものを捉えるときの時間感覚。)
他の言い方だと、"記憶"とも言います。目の前に広がる「記憶」の空間



時間の流れを感じているときの感覚が、純粋持続のところ。
タイムレスであり、因果から自由である。

一瞬の儚さの永遠性
永遠とは、途方もない長さの時間ではなく、時間を超えた"時間"=タイムレスの世界

現代人は、時間と空間の中に人間が生きていると考えている
古代人は、時間と空間"として"人間が生きていると考えていた

時間には、 自己と他者を切り離す時間と、 自己と他者を結びつける時間 という2種類がある。

だから 「むすひ(常時生成のモーメント。これは古来からの時間)」と現代の「時間」の対立がある。現代の時間感覚では、人は対象化され、命なき存在として、自己と他者の切り離しが起きる。

古代からの時間。寄れたり、絡まったり する時間たち。

もの(物=霊(たま))は、霊(精神)だった。
ものは、自己と他者の縁結びの場所だった。

「もののあはれ」
「ものごころ」
「ものさみしい」

象徴としてのモノ(物質) とはつまり関係性の中で現れる自分のなにか

紐の端と端(人と人)を反対方向に引っ張れば、結び目(物)はますます固く閉じてしまうよね。(奥行きを持たない)

自分がどこから来て、どこへゆくのかを知らない現代人。
目の前の物質の"起源"を知らない。

糸の両端(人&人)と結び目(物)を別々のものと捉えると、モノが、象徴としての機能を失う。本当は、一本の紐だということらしい。
人の間に出来るものが、物ってことらしいのだ。

自己と他者が目合う(まぐわう)(=共鳴・共振する)ことにより、 『創造』が起こる。 つまり、創造する行為の本質とは、創造する共鳴の、その共鳴の前の物語を整えることで、それはすなわち文脈を織り合わせること。
我-それ の、命を命とみなさない関係を出て、我-汝の、命と命の関係性へと至ること、やはりここが本質であり、よき「物」の創造とは、その後に出てくるものなのかもしれない。
このときの我-汝には、目の前の形ある人間だけでなく、
われわれには正面から知覚できない無意識世界の住人たちと、我-汝の関係性を結ぶこと、
過去の、記憶の、いにしえの魂と、我-汝の関係性を結ぶこと、も含まれる。

そしてその関係性が創造へと繋がる作法とは、意味の流れのもとで、文脈が織られていることに気づくこと。そしてその織られた文脈の象徴として、象徴としてのモノ(物質)を残すこと(残すと意図せずとも、残ったものに気づき、それに注意を向けること。それを持っておくこと。)。 ここまでがセット


此岸と彼岸の結び目
=「自我」と「無意識」の結び目。煩悩と解脱の結び目。観念と身体の結び目。意識と無意識の共創。
 

 
 
 

2. 創造について(布を動かし、針を動かさない)

参考:https://youtu.be/v-uObBjN-2I

糸を針の穴に通すときに、よれてる糸を動かすのではなく、安定している針の穴の方を動かして糸を通す方がうまくいく。

針で布に糸を縫うとき、針を動かすのではなく、布を動かし、回転させるほうがうまくいく

つまり、 「俺が!」「私が!」という自我は一旦置いておいて、外の世界をどう移動させるか?(結果として自分の位置がどう変わるか?)を考える。空間と時間を動かしていく(広く、自分も含まれた外面側を動かす)

と考えることが、

・ビジョン(未来イメージ)を考えることを先にやる。という意味。自己の位置は、ビジョンという大風呂敷の方を丁寧に現出させることで、自ずと位置がかわる。自己の位置を動かそうとジタバタすると、苦しい。つまり、いま自分がいる物語設定(世界線と言っても良い)を、変えにいく、これは意識操作による術と言って良い

・針の穴に対する糸、布に対する針ばかり、つまり自分の自己イメージ等々について考えることは、「問題解決(目の前に起こった問題への対処)」しか生まない、同じ世界線の中でしちゃわちゃとし続ける状態になる。

人間は、問題解決(「価値転倒」。手段の目的化)をしてはならない。対処療法を、すなわちビジョン無き傷口の埋め合わせ を、してはならない。

ビジョン(未来の理想的なイメージ)があって始めて動いてよし。それがナチュラルな方向性。らしい。

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