15.伝説①/ロレックスデイトナ アイボリーダイヤル化プロジェクト
今に続くデイトナ人気は、1988年ロレックス社初の自動巻きクロノグラフ「エル・プリメロ搭載機」から始まりました。今では現行販売機にも関わらずプレミアムで取引される不動のモンスターウォッチ。しかしかつては半額セールでも売れ残る厄介者だったのです。
今回、Ref.116520ではないですが、デイトナの歴代モデルが持つバックストーリーにスポットライトを当てて数回に分けお伝えしていこうかなと思います。
ロレックス最後の他社ムーブメント採用モデルはなぜ生まれたのか?
そこには、クオーツショックでほぼ壊滅したスイス時計業界を復興したいという「ある2人の男」の知られざる話が隠れていました。
それではある男たちの熱い想いが秘められた、エル・プリメロ・デイトナSTORYスタートです!
※こちらは史実に基づいたフィクションです。
細かな点で創作箇所がございます。
「もう一度、名機エル・プリメロを、デイトナ用に10年分作ってくれませんか?」
1984年ゼニス社。クオーツショックでの経営危機から脱せていないこの会社に、ある1人の男が訪ねてきました。
この男は当時経営不振にあえぐゼニスに、復活のチャンスを運んできました。なぜならその契約相手は高級機械式腕時計界の巨人ロレックス。ゼニスの機械式腕時計復活のために10年契約と言う破格の契約を申し出てきたのです。
しかしゼニスはその頃、既にクオーツ時計製造会社に成り下がっていました。さらにその過程で機械式時計の設計書も金型も工具も全て処分した後でした。
資金も、技術力もない。
そんな中で、伝説の名機エル・プリメロはどのようにして復活を果たしたのか?
また、発注するロレックス側も、大きな不安を抱えていました。それもそのはず、当時はクオーツショックで機械式腕時計が全く売れない時代です。果たして万年不人気モデル・デイトナ用のムーブメントとして、エル・プリメロを10年間も安定して発注できるのか?
スイス機械式腕時計が瀕死の中で挑んだ、歴史的コラボレーションはどのようにして大成功までの道を辿ったのでしょうか?
その舞台は1960年代まで遡ります。
1960年代、泣かず飛ばずだったコスモグラフ
1960年代のロレックスと言えば、デイトジャストが無垢とコンビしかラインナップされていない時代。このモデルはフラッグシップモデルの位置付けでした。そして実用面から人気だったこのモデルに、待望のスティールモデルが追加されたのはちょうどこの頃です。
そのため今で言うプロフェッショナルモデルは少し通な存在でした。
その中にあって、コスモグラフ(デイトナ)は悲しいほど人気がなく、上顧客に販売スタッフが泣き落として買ってもらうモデルでした。
しかも半額セールになるなんて事も珍しくなかったと言います。
今では想像もできない状況です。
それもそのはずで、
名前から分かる通り、コスモグラフはプロフェッショナルモデルとして宇宙を制する“つもり”だったからです。
1964年
ロレックスは、NASAからの要望に応えアポロ計画の採用コンペに参加しました。
がしかし、ご存知の通りオメガに耐久性能テストで惨敗したのです。
その勝負は、NASAが用意した時計にとって超過酷な11項目のテスト。その中の4項目の相対温度テストで早速音を上げたのがロレックスでした。なんとコスモグラフはこのテストで2度も止まってしまいました。
そのため、それ以上のテストは続行不可。不合格となりました。
このテストでは熱で針がたわみ、文字盤に干渉して動かなくなったのが原因と言われています。
そうやって他のメーカーが脱落する中、11項目のテストを最後まで、どうにかこうにか動き切ったのがオメガ・スピードマスターだけでした。
そしてNASA公式時計として無事採用!人類初の月面着陸に帯同されムーンウォッチとして歴史に名を刻みました。これをきっかけに世界中で爆発的人気を得る事に繋がったのは皆さんもご存知でしょう。
この敗北の陰に、ロレックスには何のバックボーンもない、コスモグラフという名の哀愁半端ないプロフェッショナルモデルが残りました。
そりゃ売れないよな…
同じ頃、舞台は変わってゼニス社。
世界初の自動巻クロノグラフムーブメント開発を目指して
ゼニス社の100周年記念事業として、世界初自動巻クロノググラフムーブメント開発プロジェクト「エル・プリメロ プロジェクト」がスタートしました。これはエスペラント語で“No. 1”を意味する言葉で、開発者の情熱が詰まったプロジェクトでした。
ちなみにゼニスという名前も、頂点という意味のスペイン語からです。
つまり、頂点のブランドが作るナンバーワンのムーブメント。そんなプライドが込められ、エル・プリメロは開発されました。
そもそも、ムーブメントというと、車で言えばエンジンみたいなもので、合理的な番号で呼ばれる事が一般的です。
例えるなら、トヨタの1500ccV6エンジンはバランスが良く優れたエンジンとしてとても有名ですが、正式名称が世間一般で呼ばれる事などまずありません。ムーブメントの名前も同じく世間に出てくる事などまずあり得ないのです。※ガチマニアを除く。
しかしこのムーブメントは、開発プロジェクト名がキャリバーナンバーより有名です。これは時計業界では異例中の異例です。長い時計の歴史の中でこんなムーブメントはエル・プリメロ以外ありません。
(敢えて車で例えるなら、スバルのボクサーエンジンがイメージ的に少し近いでしょうか?)
つまり開発者の強い想いと情熱が、今なお一般の時計ファンに広く愛されるムーブメントを生み出したのです。
まるでクラスメイトにあだ名で呼ばれるような愛されムーブメント、それがエル・プリメロなのです。
話を戻して1969年1月10日、ついに発表。
ついに世界初の自動巻クロノグラフムーブメントとしてエル・プリメロが発表されました。
補足すると、これは公式記録という意味で世界初です。
ここには一悶着ありました。この時代、まだ誰も量産化できない自動巻クロノグラフは技術力の到達指標として開発競争が繰り広げられていました。各社しのぎを削ってきた分野だったのです。
一部には、“キャリバー11”が正真正銘・世界初だという意見があります。
このムーブメントは、
●ホイヤー・レオニダス
●ブライトリング
●ビューレン・ハミルトン
●デュボア・デプラ
の4社ものメーカー連合で開発された自動巻クロノグラフムーブメントで、非公式ではあるんですが、
「1968年初頭には完成済だったし。まだ発表してなかっただけだから!」
と主張されています。
そして
遅れること同年1969年3月3日に「これが正真正銘の世界初」と言わんばかりに世界同時発表を大々的に(大急ぎで)行いました。
(そして、あれ?同年1969年5月21日、発売⁈)
ちなみに、5/21にその2社より先に自動巻きクロノグラフを発売したブランドがあったんです。発表じゃないです、“発売”ですよ!
それは我ら日本が誇るSEIKOのキャリバー6139でした。しかし、これは日本国内発売日で世界的に見るとどうしても後発のイメージが否めません。世界発売はだいぶ遅れました。
エル・プリメロは他の2社から遅れに遅れて、1969年の秋頃からやっと発売にこぎつけたと言われています。
なので時計史には1969年になんと世界初自動巻きクロノグラフが3機も存在してしまったのでした。
しかし、比べてみると性能差は歴然でした。
世界初クロノが乱立したからこそ際立った、エル・プリメロの驚異的な完成度
当時、振動数(チクタクと音がするテンプの振幅の数)の主流は毎時18,000振動(1秒間に5振動)でした。当時は高振動化が(日常生活で様々な動きをする上では)高精度になると信じられており、技術革新の一つの指標でもありました。
(※現在は精度と更に耐久性までを考え28,800振動をベストとするメーカーが多いです。この振動数でも様々な改良が進み当時より圧倒的に精度を出せています。)
そして、4社連合のキャリバー11は高速化を果たし、毎時19,800振動(1秒間に5.5振動)でした。
(※ちなみにSEIKOのキャリバー 6139は毎時21,600振動(1秒間に6振動)。さすが東洋の神秘!もう頭上がらないです!)
しかし、
それらに比べ、エル・プリメロは毎時36,000振動(1秒間に10振動!)。ブッチギリのハイビートを引っ提げ登場して来たのです。
ちなみにこの振動数の凄さは、当時の量産型で世界最速ジラール・ペルゴと並ぶ機械式腕時計業界最速の超ハイビートムーブメントでした。しかもそれを世界初の自動巻クロノグラフムーブメントに載せて来たのです、凄すぎ!
ここからエル・プリメロ開発者の情熱が伝わってきますよね。つまりストップウォッチの1/10秒を測れる時計のため、妥協なく最高の自動巻クロノグラフムーブをじっくり時間を掛けて開発していたんです。
※ここにはこの当時買収したモバードの高振動化技術が使われたと考えられています。
さらに、キャリバー11は2カウンター搭載がやっとだったのに比べ、エル・プリメロはスモセコ・12時間積算計まで搭載した3カウンターの完全なるクロノグラフでした。
※ちなみにSEIKOは潔く一つ目(30分積算計)クロノ。
追い討ち掛けるように、機械の作りに関しても勝敗は明らかでした。
キャリバー11はツギハギのモジュールでどうにかクロノグラフにしてきたのに対して、エル・プリメロは新設計一体構造。これだけのフルスペック機構を詰め込み(当時の)ロングパワーリザーブ50時間にして、わずか約6.5mmの薄型に収めたのです。正に超モダン最高級ムーブメントと呼ぶにふさわしい作り込みでした。何も犠牲にしてない、まさに名機です!
ちなみにまだ舞台は1969年当時の話してますからね!マジで常識ぶっ壊れてます。何年先取りしてんだって話です。
まるでゼンマイおもちゃみたい!?(失礼!)なCal.11に対して、ゼニスのそれは今見ても設計・作り込みが丁寧で、ひと目でレベチなのがよく分かります。
この登場に腕時計業界に相当な衝撃が走った事が安易に想像できます。
なんせ4社連合で作ったものが、ゼニス一社(+ちょいとモバード)の足元にも及ばなかっのですから。
この開発力に世界は驚愕し、瞬く間にエル・プリメロはスイス腕時計業界でスタームーブメントに躍り出たのでした。
(当時ルパン三世の次元もエル・プリメロを着けていました。ほんとセンス良すぎ!)
【SEIKOこぼれ話】
当時SEIKOの技術力は群を抜いていました。100年続いた権威と歴史あるスイスのニューシャテル天文台でのクロノメーターコンクール(各社の精度・技術力向上を目的としたもの)を1967年を持って幕引きさせてしまう程でした。
SEIKOはクオーツで語られがちですが、機械式腕時計においても頭抜けた確かな技術力を持っていました。幕引きの理由は次回、日本企業の1位が確実視されている中で、このコンクールは何かに怯えるように急に開催しなくなったのです。
まぁ目的がスイス時計世界一を知らしめるためのPRコンクールだったので当たり前ですが…毎年順位をグングン上げ、急激に成長するSEIKOと言うモンスターメーカーに、スイスは戦わずただ臭いものに蓋をする選択をしてしまったのです。
その体質はその後、長く続くスイス時計業界衰退と言う大きなツケを払う事になるのですが…それはまた次回。
伝説②に続く。
いち早く次回チェックしたい方は、ぜひ私のnoteをフォローしてお待ちください。次回もお楽しみに。
🔴さてさて、今回の定点観測。アイボリー化の進捗はどの程度か?
この116520デイトナのデッドストックは投機筋の買い占めが始まったように感じます。世界的に毎日高騰が続いています。中古価格はほとんど変わっていないので、世間から見逃されています。こうやって、投機筋は大衆に気付かれないように事を進めていますよ。
これがウォッチハックの真髄です。
大衆の戯言に耳を傾けても全く儲かりません。資産家たちが何を狙い、なぜその行動をしているのかをつぶさに観察することです。
116520デッドストックの購入を迷ってる人は早めに行動した方が良いかもしれませんね。
これまでの価格動向から来年には500万円の大台を超えてくる気がします。
しかしここは最近時計の価格レンジ・節目が変わってきたのに皆さん気付いていますか?
以前は300万円が一つの壁なんて言われていました。しかし現行デイトナは一気に400万円に行き、頭打ちになりました。なぜでしょう?ここらへんはまたウォッチハック記事か動画にしてお伝えします!
※時計投資は自己責任でお願いいたします※
※このPDP、スピンオフ動画になりました。YouTubeで公開中。お時間あればご覧ください。
🔴またデイトナ2004年F番のパーフェクト付属品情報もYoutubeで公開中。