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16.伝説②/ロレックスデイトナ アイボリーダイヤル化プロジェクト

※こちらは史実に基づいたフィクションです。
細かな点で創作箇所がございます。

前回、伝説❶からの続きをお送りいたします。
前回はこちら▶︎


まさにシューティングスターと化したエル・プリメロ。

エル・プリメロ発売直後、スイス時計業界を歴史的事件が襲います。

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世界初のクオーツ腕時計「セイコー クオーツアストロン35SQ」が発売

これが後にクオーツショックと呼ばれ、世界時計史にSEIKOの名を刻むことにもなる大事件でした。
しかも、SEIKOはクオーツの技術を特許権利化し全世界公開を行いました。これにより爆発的に普及することになるのです。

このタイミングがゼニスにとって本当に最悪でした。5年の歳月と社運を掛けた一大プロジェクトの発売年に、腕時計の歴史が180度変わる製品が発表されてしまったのです。

しかしやっぱり気になるのは1969年5月と12月。

よく見るとSEIKOは世界初自動巻きクロノグラフ発売を5月に、同年12月には世界初クオーツ腕時計を発売してるんですよね。当時のSEIKOは有能すぎませんか?この時代は日本が本当にとんでもない成長力を持っていた事を窺い知れる事件でもありますよね。

…ちょっと脱線しそうですが、今回はあくまでエル・プリメロ・デイトナストーリーですので、話戻します!
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ゼニス社はエル・プリメロに開発資金をつぎ込みすぎた事もあり、クオーツ登場で一気に会社が傾きました。今から売るぞ!って時に、出鼻を挫かれた訳ですよ、SEIKOに…

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そして、発表から僅か2年後。アメリカ・シカゴの企業に買収されてしまいます。
さらにそして…

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アメリカの親会社から、新規機械式時計開発の停止と、斬新なデザインのクオーツ時計の開発を推進するように命令が下されてしまいます。

クオーツは機械式腕時計に比べて外装デザインが遥かに自由度が高く、これまでにない斬新なデザインが市場でもてはやされていたためです。

そんな事は分かってても、中々気持ちに折り合いがつかない開発陣の姿勢に経営陣は業を煮やして、ついに最悪の決定が下されてしまいます。

「これまでの機械式時計に関わる図面や工具・金型を、全て売却・処分するように。」
もちろん、この命令はエル・プリメロも例外ではありませんでした。

恐らく経営陣は、過去のレガシーを捨てることが今のゼニスに必要と考えたのでしょう。だから退路を断つ覚悟を持たすため、命令したのかもしれません。今見れば愚策ですが、当時の状況から考えれば真っ当な経営判断だとも思います。

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しかし、それから時は過ぎ…

クオーツ時計のコモディティ化(日用品化)が急速に進み、それに合わせるように腕時計も予想以上に低価格化していきました。
そのため時計業界の混乱は未だ収束せずに、不調なゼニスはまたもや売却される事になります。結局、世の中を全く読み切れなかったアメリカの会社はゼニス再建に失敗しました。

当然です、以前までは大人にならないと買えない高級品だった腕時計。そんな利益構造の業界であったのに、従来の最高級品を優に超える精度の製品が、中高生でも持てるような価格に変わっていった時代ですから。

ただその中で、一つの幸運はゼニスが再びスイス企業の手に戻ることでした。

次第に世界には好景気の波が訪れ、機械式腕時計の再評価が少しずつ高まって来ていました。それに合わせてエル・プリメロ待望の声も、少しずつ上がり始めていました。

世界の好景気が、スイス機械式腕時計の再評価を後押し

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そして、舞台は代わり1980年代ロレックス。
まだまだスイス時計業界は日本が発明したクオーツによる危機が続いており、風前の灯でした。

一方、世界は好景気に湧きたっていました。

その中ステンレス×ゴールドのコンビ腕時計が人気を博します。一種のステータスシンボルとしてビジネスマンに好んで選ばれる存在へと変化していたのです。

クオーツ腕時計とは一線を画すブランディングを武器に、機械式腕時計としては頭一つ抜けた存在としてロレックスは世界的に人気を独占していました。
特に実用時計として着実に歴史を積み重ねていたデイトジャストは市場から絶大な人気を誇りました。

ただ、ロレックスは
・スイス機械式腕時計の未来
・不人気モデル・デイトナのテコ入れ

この2つの事に危機感を感じていました。

いつまでデイトジャストで生き延びる事ができるのか…ロレックスは中々次なる一手を打ち出せずにいる中、とりあえずデイトジャストで高評価であったステンレス×ゴールドを“歴史的モデル”サブマリーナーへも採用を決定。結局、素材の組み合わせでお茶を濁すのが関の山でした。
しかし、皮肉な事にそれも瞬く間に大人気となります。結果、様々なジレンマを含んだ成功となりました。

廃業に次ぐ廃業のスイス時計業界。夜明け前は、最も暗い。

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スイス機械式腕時計の衰退に対する危機感は、日に日に募るばかりでした。今は一人勝ち状態であっても、機械式腕時計の業界自体が無くなれば自らも長くは持たない…そうロレックスは読んでいたのです。

デイトジャストの次を育てなければ…しかしこの市場環境下です。リスクを最小限に抑えながらの開発指針が決定済みでした。

開発リソースを集中し次の売上の柱を育てるために、当時泣かず飛ばずで販売戦略が立てられない「デイトナ」と「ミルガウス」は開発中止候補に上がっていました。2つの共通点は、不人気な上、特殊ムーブメント開発に莫大な資金が必要だった事です。

特にクロノグラフムーブメントは他社からの調達も厳しい状況でした。製造各社は次々と停止・廃業が相次いでいました。何より、業界で最も厳しいと言われるロレックスの品質基準を満たす自動巻クロノグラフムーブメントは社外に存在していませんでした。

コンビモデルの大成功は、今後一つの機械式腕時計の進むべく成功モデルを示唆していました。

メカニカル価値としての機械式腕時計はもう、ここまでかもしれない。

ただ貴金属の装飾的価値だけで各社差別化が本当に可能なのか?そもそも、それでスイス機械式時計の価値は持続可能なのだろうか?
スイス機械式腕時計が持つメカニカルなアイデンティティ価値を指標としたモデルが必要なのは社内の誰もが感じていました。

しかしクオーツ全盛の中、そんな価値を市場へ伝える事が可能なのか?結局クオーツを搭載し過剰装飾な時計がより正当な進化なのかもしれない。

そんな葛藤が続く中で、ある男によってゼニスが機械式腕時計作りを再開するらしいという噂がもたらされました。

ゼニスといえば、伝説のエル・プリメロを作ってた会社じゃないか!確かに、あのクロノグラフなら社内基準を満たせるだろうが…残念だ。デイトナは既に、開発中止リストにあるんだよ。それよりも先に新たなロレックスの柱を作り上げる事に集中するべく、新メタル素材開発などの方向に今リソースをシフトしている最中だよ。

しかしその男が意を唱えました。

何をおっしゃっているんですか!ロレックスの保身を固めているうちに、万が一スイス機械式腕時計業界が吹き飛んでしまえば、いかに優れた新素材であったとしてもなんの意味も持たない。クオーツが蔓延り時計はただ時間を知らせるだけの道具に成り下がりその後、腕時計の存在価値は消滅です。今、何よりも優先して取り除くべきインシデント(重大な事故の恐れ)はそこでしょう。それにはスイス文化がこれまで育んで来た、時計の価値を超えたメカニカルだけが持つ特別なベネフィット(満足度)を伝え、機械式腕時計のプレゼンス(存在意義)をどう高めるかです。』

しかし、デイトナから手をつけるのはあまりにリスクがデカ過ぎる!何か勝算があるのか?

はい、もちろん。ジョーカーはババにもなれば、ワイルドカードにもなります。私にとっておきの秘策があるのでそこは心配無用です。ただし問題は10年、必要なのは最低10年です。

何?何が10年だって!?

10年契約でゼニスからエル・プリメロを買うのが絶対条件です。彼らは今ようやく立ち上がろうとしています。エル・プリメロの金型・計画書も10年前、既に廃棄されています。ゼニス一社に任せていては、いつ再開できるか全く目処がたちません。何より長期大型契約で彼らの再生産をバックアップしてあげなくては、再度スイス国外企業からの買収リスクを抱えることになります。エル・プリメロ再始動は、ロレックスとスイス時計文化両方を救う事になるはずです。

確かに、今スイスでエル・プリメロを超える量産型自動巻クロノグラフムーブメントを開発できる会社は我々を含め皆無だろう。それに何よりスイス時計文化の財産と言っていい素晴らしいムーブメントではある…しかし、売れないデイトナでゼニスを救う事など本当に…にわかに信じられないし、成功の道筋が全く描けない。

「そこは私に任せてください!手筈は整っています。エル・プリメロを搭載したデイトナ。これは必ず大人気モデルになります。ただ複雑機械式時計文化は、こうして悩んでいる間にも手遅れになりますよ。最後のチャンスは刻一刻と迫っています。遅れれば遅れるほど今より傷は一層深くなり二度と立ち上がれなくなります!」

そんな事は皆、分かっているんだ‼︎ その事で私たちはずっと悩んできた…

これだけ各社が撤退している中、もう一度メカニカルに賭けて立ち上がろうとしているゼニスに手を差し伸べるのは今の我々にとって義務かもしれない。

…分かった。

エル・プリメロ再始動を我々が全面的にバックアップする!スイス機械式時計の文化復興に対して、我々にできる事はすべて協力しよう。ただ我々がやるからには大成功しかないぞ!

オスカー!10年契約でゼニスとの取りまとめを頼む。」

オスカー、その男はユダヤ人時計職人であり、当時ロレックスのコンサルティングを引き受けていた「オスカーウォールデンOscar Waldan」でした。そしてその時、その男には信念はあれど、デイトナを売る秘策など、もちろん持ち合わせていませんでした(笑)。

類い稀なコンサルタントでもあったユダヤ人のオスカーは、まずロレックス一社ではなく、既にエベルにもエル・プリメロの再生産打診をしていました。そして、エベルは組み立て前のデッドストックムーブメントを買い上げ、販売を少しずつ行なっていました。その中でオスカーは世間の評価を探っていたのです。そこで手応えを感じていました。

そう、このオスカーこそ、スイス時計業界の復権を信じる1人目の人物だったのです。そして、コンサルティングを請け負う巨人ロレックスを巻き込めば、機械式腕時計の未来は再び動き出すと考えていました。

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オスカーはゼニスを訪れていました。

「エル・プリメロをもう一度作ってもらえませんか?」

しかし、ゼニスにとっては「10年前」に機械式腕時計に関する技術計画書も、道具も、全部廃棄されていました。作るとなるとまた一からのスタートです。なので、機械式腕時計の再開を考えてはいましたが、いきなりクロノグラフムーブメントは想定外な上、そんな資金はとてもありませんでした。

悔やんでも悔やみきれませんが、それがゼニスの現実でした。

オスカーは言いました。

もし再開するならロレックスは全面的にバックアップします。その意思表明としてエル・プリメロを10年間安定して発注することをお約束します。この破格の契約はロレックスがエル・プリメロをスイス時計文化の財産と認めての決定で、極めて異例な事です。もう一度、我々と一緒にあの名機を、スイス機械式腕時計を復活させましょう!

「ロレックスがそこまで我々の事を評価してくれているなんて…なんてお言葉を返して良いのか。そのお気持ちは本当に、嬉しいのですが…少し時間を頂けませんか?」

そう言うのがやっとでした。

「…そうですか。良い返事を待っています。」
たしかに厳しい経営判断です。オスカーは一旦ゼニスを後にしました。

その日の夜。
ゼニス開発陣と経営陣は会議を開いていました。

現開発陣は機械式を知らないものも多く、さらにエル・プリメロを開発したメンバーの多くは既に定年や解雇でゼニスを去っていました。

「ざっとこんなもんです。」

エル・プリメロ再開に伴う試算を、製品開発チームリーダーが淡々と報告する。

「金型一つ作るのに約40,000フラン、エル・プリメロの製造に150以上のパーツが必要です。
そしてそれらの治具を作り、え〜その他の経費も勘案すると…全部で約700万スイスフラン(当時の日本円にして7億円以上)ほどの費用が必要です。」

金型だけでそんなに…一同から大きなため息が漏れました。そんな莫大な資金を今のゼニスに用意するだけの体力はありませんでした。

また、エル・プリメロ開発当時のゼニスにはスイス時計界きってのエリート開発陣が揃っていました。それでもなお、5年間の開発期間を費やしたのです。今の開発陣に一から作らせるには明らかに荷が重いミッションでした。

千載一遇の話ではあるが、断るしかない。残念だが、今のゼニスにはそれを請け負うだけの力がまだない…」

機械式時計を復活させるにしても、まずは、クオーツ時計と並行しながら機械式時計、それも三針時計などから徐々に作り始め、いずれ力を付けてから、またいつかエル・プリメロを復活させる。それは何十年後か…途方もない先の話かも知れない…

しかし、とある技術者が漏らします。

「そう言えば、当時エル・プリメロ開発メンバーの1人シャルル・ベルモって方が近くに住んでるって聞いた事があります。少し相談してみませんか?とりあえず明日、私たちで話しを聞きにいってみます。もしかしたら何かヒントが貰えるかも知れませんから!オスカーさんへ断りの連絡はそれからでも遅くありませんよね?」

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翌日、シャルル・ベルモ宅。

シャルルはゼニスの工房近くの家で穏やかな老後を過ごしていました。
そこで若い技術者たちは、当時の機械式時計の事などを詳しく聞くためシャルル宅を訪ねました。

木漏れ日の中、ロッキンチェアに揺られる音がどこか忙しなく響く。資料に目を通していたシャルル・ベルモは技術者たちがやってくると、すぐにそちらに目をやり、その資料を机に放り出し、若者たちへ小走りで駆け寄る。そしてゆっくりと確かめるように話し始めました。

「エ、エル・プリメロの再始動かい?」

「はい。そうなんですが…」

若者の言葉を聞き終わる前に、シャルルが崩れ落ちながら言います。
「また、いつかこの時がやってくるよう祈っていたが、こんなに早く!私が生きているあいだに。間に合って本当に良かった!」

運命の歯車がゆっくりと噛み合い、ギシギシと音を立てながら動き出した瞬間でした。

続く。

今月の定点観測

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※このPDP、スピンオフ動画になりました。YouTubeで公開中。お時間あればご覧ください。

🔴またデイトナ2004年F番のパーフェクト付属品情報もYoutubeで公開中。

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