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この物語の主人公は自分


私は文学部卒のデザイナー。
文学部での学びがどう役に立ってるんですか?って最近よく聞かれる。
文学部って何の役にも立たないなんて思ってる人、中にはいるでしょう。
文学の研究して何の役に立つんだ!なんて思ってる人、中にはいるでしょう。

文学研究が社会の役に立つのか?と聞かれると正直なところ、私もなんと答えたらいいのかわからない。
でも、私は思う。
大事なのは研究の成果ではなく、過程だ。

多分、答えなんて一生わからない。作者ですらわからないんじゃないかって思う。
私が作者だったら、うるさい!!!いちいちそんなことまで考えて書いてないわ!!!!!って言いたくなりそう。

村上春樹研究とかおもしろすぎる。
だってまだご健在じゃないですか!!
村上春樹さんどう思ってるんだろう。
生きてる間に研究されるのどんな気持ちなんだろう。

だから私は、答えのないことをひたすら考え続けるのが文学研究だと思っている。


さて、文学部でよかったなと思うことはいろいろある。

だけど一番は、自分の気持ちを言語化できるようになったことだと思う。

文学研究って疑うことの連続だ。
疑わなければなにも始まらない。

主人公はなんでそんな行動を取ったの?
当時の時代背景は?それって実在する?
この章におけるこの1文の意味は?
どうしてこの言葉を選んだの?
こっからここまでで時間はどのくらい経った?
何日?何時間?
それって本当??

そんなことを繰り返しているうちに、それが癖になってしまったようで

悔しいことがあったら「なんで悔しいと思った?」
悲しいと思ったら「なんで今悲しいの?」
嬉しいことがあったら「なんで今嬉しいの?」

っておもしろいくらい分析してしまう。

その結果、自分がよくわかるようになった。
自分がどんな時に悔しくなるのか、どんな時に悲しいと思うのか、何が嬉しいのか。

昔はわけもわからず悲しかったし辛かった。
言葉にできないから余計に苦しかった。
でも今は違う。悲しい、つらいの種類がちがう。
ちゃんと理由がわかってる。
それをちゃんと言葉にできる。

それって私にとってはめちゃくちゃすごいことだと思う。


もし私が美大に行ってたら……なんて思うことがないわけではない。
でも多分、いや、絶対に文学部でよかったんだと思う。
私の人生において、文学研究が必要だったんだと思う。


わたしがわたしであることを証明するために。

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