Sugarepractice、日々の写真と徒然_撮るって何かを考えた週

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こんにちは、Redsugarです。

2019年10月からtwitter上で行っているsugarpractice、週一でまとめている今回は1月4週目です。とにかく時間がなかった4週目、疲れもたまっているのか練習メニューを決めて撮ったりすることもできず、登山も流れたりと気持ちが落ち込む中で仕事と育児だけはきっちりと襲い掛かってくる1週間でした。

何を撮っているのか、練習って何だろうっていうことを漠然と考えながら、何かをしたくても30分~1時間おきに呼ばれて考えもまとまらない。職場でも家でも気が休まることがなく、気絶するように寝てしまう毎日が続きます。誰も僕のことを知らない街で、2年くらい過ごしてみたいものです。


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週の頭は日光半月峠にいました、定番の男体山を冬に撮ろうかなと。そして子育ての関係で午後には家にいないといけません、なので朝のうちに帰れる山域は限られてしまいます。日光はそういう意味では良い所です。

2週連続のナイトハイクでしたが、こちらはちゃんと寒くて安心しました。

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一応フォトコンに申し込めそうなものは撮れたのですが、男体山を見るよりも朝日が当たる足尾山地が素晴らしくきれいだったので、また社山方面に行きたいと思います。半月峠からは割とベストな写真を数枚とることができたので。一応普段の練習を元にその場で色温度とピクチャーコントロールを追い込んで、ほぼほぼ完成版のような写真を撮影することができました。

普段からの練習がなければそれは出来ないなと冬山では痛感します、指の動き、思考、刻々と日が登っていく中で瞬時に判断して設定を切り替えて撮影するのは中々難しいです。そして、この撮影方法ではD850でも冬場だとバッテリーを消耗します、なので、なおのことミラーレスは使えないかなと思ってしまう登山でした。

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週が明けてから練習の題材を設けることが出来ず、頭が回らないままスナップに繰り出すこととなります。それでも今日は鉄を鉄っぽく撮るぞとか、そういうことを考えて通勤。

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ルーチンの中ではやりつくしたという状況が出てきます、そういう時は休んだほうがいいのかな。

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晴れてる日は影を追うようにしています。

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無理やりとるよりも、撮りたくなる瞬間を探す。そうなると必然的にきょろきょろしながらただただ歩くことになりました、昼休みは大崎周辺をずーっと散歩し続けています。

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夜は恒例のヘルツさんたちにならって色温度やシャドウ部分を持ち上げて撮影、ただそれもスタイルで、彼らの撮っている物語や感じているものは真似は出来ないので、見た目だけ。それでもこんな感じなのかなって思えたりして、先に進めているような気もしたりしなかったり。

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平日はどうしても家に帰ると日をまたぎそうで、朝早く起きれません。その中で何とか朝焼けを練習するために頑張って睡眠時間を減らして練習。働いていると、冬しか朝焼けを練習することはできませんからなるべく機会を物にしたいです。

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朝焼けの中をふらつけば撮りたくなる瞬間が数回めぐってきます。この日は「色合い」のパラメーターを上下させてWBと補色させたりするといい色が出るんだなということに気が付きました。ペンタックスの調色で得た考え方をニコンで使っています。

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僕は30代中盤で、子供の頃に見た写真の色を追っているのかもしれません、それはおそらくニューカラーやニュートポグラフィックスと呼ばれる人々なはずです、時勢的に。そういう図鑑とかを見て育ってきたのかもなと最近思います。

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人の手が加わることによって変容していく自然を淡々と撮るというニュートポグラフィックスはローグラフィックスタイルという技術分類に当たるようです。SNSではやりのハイグラフィックスタイルとは対極をなすというか、写真がストレートフォトとしてあるうえで、人が自然をどう変えてしまったかという現実を、光学的に見たありのままの真実で語るというような人々で、マイケル・フリーマン曰く写真家としての技術を丁寧に脱ぎ捨てて撮影が行われたとか。

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この辺は写真学科の授業で少し名前を勉強したかもしれません、うろ覚えですけども。でも写真を勉強するというか、写真集が出ている人の写真をたくさん見るだけでも、日々ネットで見る者への見方が変わったりするのかなと思っています。ちなみに僕は風景写真がやっぱり好きなんですけど、派手な風景よりも北海道の誰もいない、荒野みたいな景色が好きです。

北海道って絶景の宝庫って思っているのはたぶん外の人だけで、そこで育った人は環境の厳しさや、日入りの速さや日の弱さ、埃っぽい乾燥した気候、そういう見た目以外の部分の印象が強いから、あんまりきれいとは思わないんじゃないかなと最近思います。きれいな面だけを奇麗に撮ることよりも、現実的な生活の息遣いを撮れるような人になってみたいものです。

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日が傾いた朝を終えると出勤です。黄色い光の中で影が紫色になるように、ピクチャーコントロールをVIに設定して蛍光灯設定やKを設定して撮影していました。

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色温度で遊んでいると突然のシーンもこんな感じに青く、冷たくしたいなとか、想像できるようになってきました。

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散歩し続けるけども、なかなか朝早起きしたせいで頭がさえない一日でした。

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水曜日は在宅勤務ですが、本当に忙しくて、さらに曇天で練習もくそもないような状況でした、とりあえず70-200をもって背景を整理するので精一杯。

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カメラのFnボタンにプレビューを割り当てているのですが、それで撮影前に画面を確認するというワークフローを覚えるために練習をしました。

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冬場の厚手グローブをつけている状態だとPvとFnは使えなくなります、なのでFn2があるD850はとてもありがたいカメラなんです。

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最後に、被写体にあと2歩寄ろう、60センチ寄ろうという言葉を思い出して寄った一枚、基本を身に着けないといけません、まずは構図を極めるとかそこに書かれていることがしっかりとできるように。それと並行して写真史や写真集でいろいろ見ることが手っ取り早いと思う。

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翌日は雨、忙しさからなかなか撮影練習をするということもおっくうになってきました。寄ることやクローズアップ写真よりはこのような感じでなんとなくの雰囲気で構えることが多かった一日。

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28㎜側で前景を考えたりすることが多かった。

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金曜日は霞が強く空気遠近法的な描写が朝は可能でした、朝の街中で背景が青になることを意識して撮影を続けます。

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自分と中景の距離感、そして遠景といった感じで標準域くらいで自分からの距離感を考えて練習をしていました。これとかは立ち入り禁止部分が気になる感じで、いろいろと撮影していました。

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大崎に来る頃には大気の霞はすっかりと撮れていたのが残念です。社員が沢山いるので大崎で撮影するのはあまり好きではありません。

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こういう一枚は好きです、景色や構造物に人が組み込まれているというか。都市の中では人ひとりなんてどうでもいいやっていう、自然と人みたいな寂しさがあって。そうそう、僕は自然に対しては割と恐ろしさというか寂しさというか、そういう感情のほうが強いです、やはり北海道は自然が恐ろしかったので……。

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写真は自己の内面が出るもの、というのを最近よく見ます。川野恭子さんの写真集のあとがきでも評論上はやはり山を通して内面を見るという胸が書かれており、ストレートフォトの文脈なんだなと感じるものがありました。

派手な景色やきれいな景色はただそれを撮影しているだけかもしれない、自分の感情や感じたことを写すにはどうしたらいいのか、そしてそれはきっとウケないと思うけど、それでもいいのかな?とかそういうことを考えこむと気分が暗くなりがちです。+ライフ110位は回復させてほしいよね。

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土日は非常に体調が悪いうえに、奥さんも体調を崩してしまいました、東北地方は好天で山に良ければ最高だったのですが無念です。かろうじてカメラを持ち出して撮影することはできましたが、その時見沼田んぼがとても汚れてるんだなというか、都会の中の田んぼってリアルに見るとこんなんだよなっていう景色が広がっており、そういうのをどう撮ればいいのかなと思いを巡らすことに。

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技術的な練習の傍ら、自分の感じたことや考えたこと、目の前の景色と自分の関係性とかを今後は考えていくことが多くなりそうだなと思います。そして何よりも、そういったことを考えてきた人がたくさんいて、彼らの残した書籍はたくさんあるので、そういったもので勉強をしていきたいと考えるのでした。

登山ブログを書いたり、山で写真を撮っています、登山写真で気が付いた技術をひたすらつぶやきます。