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「”スチュワード”の声」#2

”サッカーのまち”で育ち、浦和レッズの誕生から現在まで支えてきた ~ 富沢 日佐夫さん ~

サポーターとして、スチュワードとしてどんな時も浦和レッズを支えていた。
創設時の浦和レッズを知り、スチュワード発足初年度より活動するメンバーは後輩スチュワードから目標と言われることもあるレジェンド的存在。
活動を継続できるモチベーションは「レッズ愛」と長きにわたってレッズを支えてきたという「プライド」

~インタビュー全文公開~

Q:スチュワードを始めたきっかけは?

富沢:もともとサッカーのまち浦和で育った。プロのサッカーチームができるかもしれないと聞いたとき、自分も何らかの形で関わりたいと思っていた。1995年にスチュワードの募集を開始した時はすぐに応募した。応援はすでに十分盛り上がっていたから、少しクラブの側に立ってサポーターをもてなしたいと思ったことが応募した動機。浦和レッズのサポーターを増やしたいと思っていた。

Q:レッズとの出会いは?

富沢:浦和は全国一のサッカーのまちで、昭和20年代、私が小学校に入る前から、時間があれば近所のみんなでボールを蹴っていた。そんな街で育ったから、「プロのサッカーチームができるかもしれない」と聞いたときは自分も絶対にその発足に関わりたいと思っていた。サッカーの初観戦はJリーグが発足する前年(1992年)に大宮サッカー場で開催されたヤマザキナビスコ杯。ジーコ率いる鹿島アントラーズに勝利した試合を見て感動を覚えた。

富沢:当時、小学生だった息子がレッズのコーチだった落合さん(現浦和レッズハートフルクラブキャプテン)のサインが欲しいと言っていた。落合さんは中学時代の先輩でもあったから、息子のお願いを伝えたところ「私は化石みたいなもんだから」と、既にシャワー室にいたスタメン11名のサインを応援旗にもらってきてくれた。その時に「応援してくださいね」と言われて絶対に応援を続けると決めた。

Q:スチュワードをしていて大変だったことは?

富沢:最初はゴールシーンが見られないのがつらかったけど、そのうち慣れてきた。最近は埼玉スタジアムのアッパーへの階段の上り下りが大変だけど何とか頑張ってる(笑)

Q:スチュワードを続けていくモチベーションは?

富沢:30年以上やっていると意地でも続けていきたいと思ってる。「トミさんがやってるから俺も続けてるんだ」と言ってくれるスチュワードがいるし、何が何でもやり通すつもりでいる。あっという間だったけど、これからもやめるつもりはないです。

以上、スチュワードの声、第2弾をお届けしました!

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