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『ゼロになるからだ』

5月18日。私は何をしていたかな。
日記帳を振り返ってみる。
『5月18日(水) 休みはダラダラ起きて、ゴツプロの12人の怒れる男みて。
...(個人的内容のため省略)あした小屋入りー!!』

本番前最後の休みの日でした。お芝居観て、ゆっくりして、気合を入れて。


この日に、ゆんばあちゃんが旅立ったと、今日バイト先の方から教えてもらいました。
本番前だから、と私に知らせるのは控えていたそう。
お気遣いに素直に感謝しています。

今日の夕方、ゆんばあちゃんの家の前まで行きました。
ごみ袋が3袋、玄関前に置かれていて、知ってしまっているからか、家の中が空っぽなのが外からでもよくわかる。

出てこないとわかっているインターホンを押す。

半透明のごみ袋の中身が見えてしまう。服が入っている。

開かない扉の前で手を合わせる。
「ゆんばあちゃん、お父さんとは会えた?
ちょっと早いよって怒られたんじゃない?
でもやっとお父さんの手、握れるね。頑張ったね。遅くなってごめんね。」


3年前、お父さんとお別れしてから1度だけ、ゆんばあちゃんの家に行ったことがある。冬、焼き芋を買って。
大きなお芋を二つに割って、一緒に食べた。

わたしが店舗を移動して、ゆんばあちゃんに会えなくなって。
ほんとにたまに、ヘルプで前の店舗に出勤してタイミングよく会えると
「また、お芋食べたいね」と言ってきた。

少しわからないことも増えて、
わたしの名前も覚えていないようだったけれど、お芋のことだけしっかり覚えていたみたい。

また、前の店舗に顔を出せばいつでも会えると思ってた。
もう少し落ち着いたら、また焼き芋買って家まで行こうかな、とか。

「もう少し落ち着いたら」なんて、「また今度」なんて、
来ない。

何度経験して、何度後悔すれば、後悔しなくなるんだろう。

時間が解決してくれることはいっぱいある。
でも時間は「忘れたくない」まで忘れさせる。

それなら全然解決してくれなくていいよ、時間。

でもやっぱり、明日は来るし、こんだけ雨が降ってても梅雨明けも来るし。

顔をあげて、にっと笑って歩き始めたい気持ちと、
また毎日の中に大切なものを忘れてしまいそうな怖さと。

でもやっぱり、やっぱり、わたしは今を生きていくしかないし。


6月2日には、大事な友人がお母さんになった。
そんなことも一緒に考えながら、覚和歌子さんの詩「ゼロになるからだ」を思い出す。

今の自分の気持ちを上手に伝えることができないけれど、この詩の言葉たちがわたしはとっても好きです。
(木村弓さんの「いつも何度でも」の詩です。是非ちゃんと聴いてみてください。)

わたしはやっと、青い空の青さを少しだけ知ったのかもしれない。
わたしの両手もきっと、光を抱ける。



ゆんばあちゃん、どうか安らかに。

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