赤い公園と私④ 文々編

赤い公園についていろんな友人知人に話を聞くことにしたものの、気付いたら女性が3人続いてしまったので、次に話を聞こうと思ったのが男性の文々(ふみふみ)さん。今まで話を聞いてきた誰よりも古いインディーズ時代からのファンで、他の古いファンの人たちと違って最近のライブまでずっと、いつもよく見かけてたし、何よりメンバーや自分に対しても程よい距離の取り方で話しやすい人。だからこそ赤い公園について長く話したことはなかったけど…文々さん、お元気でしたか?


――つのさんが亡くなっちゃって、赤い公園も解散することになって、何かを残したいなと思って、文章を書いて本にしようと思って。でも自分の文章だけだと見方に偏りがあるし、いろんな人に話を聞いてるんです。でも気付いたら女性ばかりになってたので、男性目線で、かつ自分より古くからのファンの人の話も聞きたいなと思って。
文々「ありがとうございます。自分も抜けてる記憶があるから、今日のために自分のTwitterを検索したり、当時書いてたメモを探してきたりしました」
――文々さんは他のいわゆるおじさんファンと違って、赤い公園をアイドル視してなかったというか。その人たちも決してアイドル視してたわけではないと思うんだけど、文々さんは話しかけやすかったので。
文々「自分がそうじゃないのかと言われると怪しいけど(笑)。かわいいと思って観てましたよ。でも昔からの男性ファンって、すごく音楽に詳しくて、赤い公園のことをちゃんと音楽としても聴いてるんですよね」
――そうそう。でもなんか他のファンを寄せ付けない怖さがあったり、Twitterで政治的発言をしてたりして。
文々「レッパーくんが言ってるのはあれでしょ、『シンガーソングライターおじさん』みたいな感じの人でしょ。シンガーソングライターの人に物販でいろいろ上から目線で話してくるようなおじさん。自分は誰に対してもタメ口で話せないし、なるべく謙虚なようにしてるからかもしれない」
――だからこそ文々さんに話を聞こうと思ったんですよ。文々さんって、赤い公園ファンの中では最古参ではないけど、かなり古いほうですよね。自分の知らない時期のことも教えてもらいたくって。
文々「最古参ではないですね。自分が最初に赤い公園を見たのは、2011年6月(25日)の『のぞき穴1』(立川バベル)。2010年の秋ごろからハイスイノナサっていうバンドにハマってて、ハイスイノナサのTwitterで『赤い公園の企画に呼ばれました』って言ってて、立川が近所だったし行ってみようと思ったんですよね。でもライブ当日までに『赤い公園』でいろいろ検索したんだけど、まだ曲に関する情報が全然無くて、それが不思議で」
――あ、そうなんだ。
文々「その頃だったらMyspaceとかに曲が上がっててもいいはずなのに、何も出てこなくて。でも、『赤い公園ってなんかすごいらしい』っていう情報だけはいっぱい出て来るから、ライブを見るまでにどんななんだろう?って気になってて」
――予習のしようがなかったのか。
文々「そうですね。2011年時点では曲はどこにも上がってなかったです。で、そのライブの日に『ブレーメンとあるく』と『はじめまして』は買った。次にライブを見れる時まで『ブレーメン』は聴き込んだよ」
――その頃って物販は誰がやってたんですか?
文々「その日は覚えてないけど、2011年はまだメンバーが立っててチケットとかCDは直接買った気がする。でも、当時からレコード会社の関係者は来てたっぽかったよ。レコード会社で働きながら個人でライブイベントを組む、みたいな人がいて」
――へえ~。
文々「だから、立川の仲間のバンドともよく対バンしてたけど、レコード会社関係のバンドだろうなってバンドととも結構対バンしてたね。たぶん、だろうな、くらいの感じだけど」
――赤い公園ってどこから広まっていったのか、っていうのがずっと分からなくて。
文々「誰がマッチで点火したのかってところまでは分からないけど、そこに薪をくべたのは、そういう人とか、さっき言ったおじさんファンだと思うけど。同じ時期に『ヤバイぞ』って言われてたのがtricotだね」
――やっぱりそこはセットなんだ。
文々「惹かれるところが近かったのかな。赤い公園にはまず『18~19の女の子がこんな恐ろしい音を出してんだ!』っていう驚きがあって、かつ年相応の無邪気さもあって、その両面がぐちゃぐちゃになってるところが末恐ろしい感じだったんですよね。当時のtricotはもっとお笑いの要素が大きくて、でもやっぱりライブや楽曲はカッコよくて、そういうところが似てたのかな。tricotが最初やってた『tricotムービー』がさ、本当しょうもなくて」
――あれね(笑)。赤い公園のその『18~19の女の子が出す恐ろしい音』ってどんな感じだったんですか?
文々「自分が好きな赤い公園は『塊』みたいなダークな面なんですけど、どっちかというとああいう感じですね。黒盤白盤で言ったら黒盤。もちろん白盤も魅力はあるんだけど、『塊』と『ふやける』に惹かれたから2011年のライブはできる限り行ってたかな。その頃の赤い公園は、ステージ上では全然ふざけてなかったんですよ。ちーちゃんは全然喋らないし」
――あ、それはつのさんから聞いたことはあるけど全然知らない時代だ。
文々「2011年の11月にオワリカラとかとガーデンでやってた時(『Beat Happning!』2011年11月21日@下北沢GARDEN SuiseiNoboAz、オワリカラ、N'夙川BOYS、ワッツーシゾンビ、赤い公園)、ちーちゃんがライブ中『かかってこいや!』って言ったんだけど、今でこそ当たり前でしょ?でもその時は珍しくて、『ボーカルの子がこんな煽り方するんだ!?』って思ったんですよ。たぶん出囃子でふざけ出したのもその頃で、だからそれまではそういうところを押さえたステージだったんです」
――へえ~!じゃあちーちゃんはその辺りで覚醒してるんだ。
文々「たぶん。『EMI-ROCKS(2012年2月19日@さいたまスーパーアリーナ)』の時もそういうのを感じたんです。デビュー4日後のさいたまスーパーアリーナだっていうのに、出囃子で『地上の星』をかけて面白い感じで出てきて、でも1曲目『のぞき穴』だし、『今更』のサビでみんなが手を振ったりして、自分のことのようにじんわり来て。で、最後の『ふやける』で、うたこすが『はあ~あ』ってコーラスをやるところあるでしょ。でもあんなにデカいステージだからなのか、あのコーラスやるところでうたこすが泣き出しちゃったのよ」
――えっ!?
文々「で、ちーちゃんはその後のキーボードを弾くためにマイクから離れたところにいたんだけど、うたこすがコーラスできてないことに気付いて、マイクに戻ってカバーしてたのよ。それがすごいジーンと来ちゃって、『あ、ちーちゃん推していこう』って思った」
――ええ~!めっちゃいい話。『EMI-ROCKS』は映像でしか見てないから、それには『ふやける』が入ってないんですよ。でも『今更』でもかなりトチってて、相当緊張したんだろうなとは思ってました。
文々「そうだよね。いきなりたまアリっていうのは、観る側からしてもいい経験をしたなと思う」
――じゃあ文々さんはちーちゃん推しだったんだ。
文々「特に誰か一人を推してたってわけじゃないんだけどね。でも話しやすかったのはちーちゃん、ひかりちゃんで、うたこすとは話せるけどあまり話が弾まなくて。つのさんは正直最初怖かったのよ。話せば全然そんな感じはないんだけど」
――分かる分かる。
文々「ひかりちゃんは物販やってて、時間とって話せるみたいな感じ。その頃はまだ簡単にCDにサイン書いてもらえる感じだったし」


――初期の頃で印象に残ってるライブってあります?
文々「2011年の9月(13日)に『シークレットGirl』っていうイベントが(新代田)FEVERであって、HAPPY BIRTHDAYっていう今のあっこゴリラがいたユニットと、榎本くるみさんっていう人と、赤い公園と、シークレットゲストが凛として時雨で。その日は別の予定が入ってたんだけど、ピエール中野も345も出るっぽいことを匂わせてたから予定を変えてチケットを確保して。で、最初が赤い公園だったんだけど、その時の『塊』はめちゃくちゃ圧倒された。時雨を見れると思って行ったんだけど、時雨のライブが久しぶりってこともあったのか、その時の『塊』は時雨を喰ってたように思えた」
――へえ~。その頃に戻って見てえ~!
文々「面白い感じの時もあるんだけど、曲で圧倒されることの方が好きだったな。あとその頃のライブに通ってたのって、毎回どんな曲をやってどんなことになるのが分からないのが良かったからだと思う。デビュー前だけど曲数はいっぱいあって、『ふやける』が最後っていうのはほぼ定番だったけどセットリストも固定じゃなかったし。だから毎回毎回楽しいというか、行くと『おっ』と思わせてくれるものがあって。逆に言うと、『猛烈リトミック』から後あたりはセットリストがその時リリースしたてのシングル曲中心になっていって、なんとなくお決まりのセットリストみたいなものになって、自分はそれが最初の頃に比べるとあんまり楽しくなかったかな」
――分かる分かる。あの頃ライブやりすぎだったんですよ。
文々「あと、さっき言った出囃子でふざける感じ。デビュー前のどこかでやり始めて、『Love Somebody』とかMステの音楽(『#1090〜Thousand Dreams〜』)とか、デビュー日にあった無料ライブ(『J-WAVE TOKYO REAL-EYES "LIVE SUPERNOVA" vol.68』2012年2月15日@Shibuya O-nest)は『抱いてHOLD ON ME!』で、4人が自分のパートと違う位置についてキメてみたり、『EMI-ROCKS』は『地上の星』だったし」
――記録すごい!あの感じ、懐かしい。
文々「あと、たまにバベルで『1234』が聴けた時は嬉しかった」
――あれはレアだもんね。結局俺は2回しか聴けなかった。じゃあ、デビューして、『公園デビュー』が出て『猛烈リトミック』が出て、ライブの面白さは減っていったんですか?
文々「まあ正直そうですね。ライブに行く数もだんだん減っちゃったし、他にいろいろ好きなものもできてきたし」
――文々さんは守備範囲が広いし、全部に対して熱量がすごいもんな。
文々「あなたもすごいですけどね」
――いや、俺は赤い公園だけだったからポッカリ穴が開いちゃって。
文々「だから2011年って自分にとってデカいんですよ。赤い公園とtricotに会えて、その対バン相手もどんどん好きになっていって、それが今に繋がってるって感じで。aquarifaとかイツエとか、あとはそれより前だけどハイスイノナサとか」
――へえ~、いいな。そういう年、自分にも来ないかな。

――じゃあ曲についてはどうですか?ダークな路線ってだんだん減ってくるじゃないですか。
文々「そうそう。つのさんのポップっていうのが自分はあんまり理解できていなくて、『それもアリだな』って思ったのは、実は体制が変わってから。それまでの明るい系は全体的にピンと来てなかった。『猛烈リトミック』の『木』とかは好きなんですけど、『純情ランドセル』からはあんまり鬼リピするような感じじゃなかった」
――あーそうなんだ。
文々「『猛烈リトミック』の中でも『木』は大好きで、それは他の曲がいろんなプロデューサーが入ってたのに対して『木』は自分たちだけで作ってて、その言い方が正しいのかは分からないけど『純・黒い津野米咲』って感じがして」
――『木』はデビュー前からある曲だしね。
文々「うん。『純情~』からはポップを目指してたのかは分からないけど、尖ってる感じはしなくなってって。やっぱり自分は尖ってる赤い公園を求めてて、そこの志向とは違っていったかなあ。メジャーに行って、大衆向けに作ってたのかな。ポップスっていうのはそういうことなんだけど、自分にとってはそれが面白くなかったのかもしれない」
――ちーちゃんが辞める時はどうだった?
文々「あの時出してたコメント通りに受け取って、ちーちゃん的には方向性に耐えきれなくなったのかな、くらいの感じで、赤い公園を見るのを辞めようとかそういう風にはならなかったかな。寂しさはあったけど、ちーちゃんはちーちゃんで応援すればいいし、『熱唱祭り』の後のバベルで3人でやった時(『こめさくpresents~もぎもぎカーニバル~特別版 赤い公園ワンマンライブ2018☆はじめまして☆』2018年1月4日@立川バベル)の新曲を20曲やって、パートも曲ごとに変えてっていうのを見た時に、またすごいグッと惹かれたのよ。それが最初好きになった頃の、毎回何が飛び出すか分からない感覚に似てて」
――分かる!あのライブ良かったよね。
文々「『あ、これはまた来るぞ!』『面白くなった!』って思ってすごく嬉しかったもん。結局3人体制はそのあとの(下北沢)GARAGEで1回やったのみで、次の『ビバラ』で理子ちゃんが加入するからね」
――そうそう。3人体制もあれはあれでよかったし、見れた人少ないだろうから、もう少し3人で試行錯誤してもよかった気がする。
文々「理子ちゃんが入って直後は、まあ歌える曲も少ないだろうからセットリストが似てきちゃうのはしょうがないと思ってたんだけど、時間が経っていろんな以前の曲をやるようになったら、また何をやるか分からないしワクワクしたね」
――そうだね。そこは考えてたことがすごく似てるな。
文々「その時の理子ちゃんは17~18歳で、数年前に自分が赤い公園を好きになりだした頃のメンバーが18~19歳で、あの頃メンバーの成長を見るのが楽しかったから、同じような感覚を新体制でまた見れるのかと思ったらすごい素敵なことだと思ったし、3人も経験値を積んでるからそれと合体したら絶対楽しいし、まだまだこれからだと思った。だから、赤い公園で遠征ってあんまりしてなかったんだけど、2019年のツアー(『Re: First One Man Tour 2019』)は福島とか宇都宮にも行ったし、また追っかけようっていう気持ちが復活してた」
――その好き度は今までずっと続いてる?
文々「今もコロナとかがなかったらいっぱいライブ行きたいって思ってると思う」
――そうなんだ!それはいいね。『THE PARK』が自分の周りでは賛否両論、どちらかと言えば否が多かったんだけど、そんなこともなく?
文々「がっつり聴くほどではないんだけど、でも自分は『純情』で一度落ち込んだから、そこに比べたら『THE PARK』の方が好きだよ。『Unite』が好きな感じだった」
――『Unite』いいよね。俺は『THE PARK』からつのさんが変わっちゃったんじゃないかと思ってたんだけど、文々さんからしたらもっと前に変わったと感じてたんだね。
文々「今までの中でどこかに一本太い線を引くとしたら、『猛烈リトミック』と『純情ランドセル』の間だね。『熱唱サマー』と『消えない - EP』の間にも薄い線は引かれるんだけど、それはむしろいい方向に変わった線だね」
――へえ~、なるほどね。


――つのさんとの思い出ってあります?
文々「いつだったかな。デビュー前のライブで喫煙スペースに通りかかった時に、つのさんが楽しそうにパスピエの歌を鼻歌で歌ってたのをなんか思い出した」
――へえ~。赤い公園とパスピエって、勝手にライバルなのかなって思ってたんだけど。つのさんのラジオにナリハネ(成田ハネダ)さんが来た時もちょっとそういう感じがして。
文々「あ~、そうなのかなあ。でもつのさんって本当にいろんな人のことをいいよね、いいよねって言ってる人だなあって印象」
――たしかにそうだね。
文々「『ピエールナイト』っていうピエール中野が毎年やってるイベントがあって、そこにカオティックスピードキングっていう即興バンドみたいなのが出るんですけど、そこにつのさんが入ったことがあって(『ピエールナイト海の日年越しライブ』2011年7月18日@恵比寿リキッドルーム)。その日実は赤い公園は立川バベルのライブにも出てて、つのさん的にはダブルブッキングだったんだけど(『ROCK'N'ROLL CAFE~4軒目~ ~MotherMAN 1st mini album release tour~』)」、その時のカオティックスピードキングの繋がりの元がtakutoさん(about tess他)で、takutoさんはLUNA SEAのSUGIZOとも仲良いから、SUGIZOも赤い公園を知って、すごい褒めてくれるし。そういう人たちって、自分がいいと思う人は先輩後輩関係なく素直に『この音楽いいよね』って純粋に話していく。そういうのは共通したところかなって思う」
――なるほどね。それが後のテレビ出演にも繋がっていくし。
文々「そう。それでつのさんのことも好きになったな」


――つのさんってなんで亡くなっちゃったんだろう。
文々「やっぱりコロナで思うように活動できなくなったのが大きいんじゃないかなあ。想像でしかないけどね」
――あれだけ強い気持ちで『消えない』って曲を作ったのに、コロナごときでその思いが消えちゃうのかなあ、なんて思ってて。
文々「それで言うと『yumeutsutsu』ってどういう時期にできたんだろうね。『何が何でもまた会おう』って言ってるじゃん。2020年のことを踏まえてできたのか、それは全然関係なくああいう歌詞が生まれたのか」
――2019年に8か月くらいかけてアルバムを作ってたって言ってて、最後にできた曲とは言ってたけど、さすがにコロナが流行る前のことじゃないかなあ。
文々「そっか。亡くなってからはあの曲を聴くたびに、聴いては泣いて、聴いては泣いてみたいな感じで」
――たしかに、今聴くと会えなくなることを予期していたかのような不思議な感じはするよね。何かやりきれないことでもあったのかなあって。
文々「まあ分からないんですけどね」
――赤い公園の解散についてはどう思いました?
文々「『まあしょうがないか』っていう気持ちが45%。残りの55%は、雑な言い方をするとフジファブリック的な形でも続けてほしかったなって気持ちかな」
――3人でも?
文々「うーん、この後のことは分からないけど、でも3人のことはずっと見ていきたいと思ってるから、その一番の近道は3人でバンドを続けてもらうことかなって思って。でも、だからと言って解散という道を選んだことに対して『いやいや続けてよ』とかは思わないし。だから『しょうがないな』と『まだ見たいな』がほぼ半々くらいでした」
――ラストライブは?
文々「チケット取れなかったよ~。ファンクラブも取れないし、一般もクレジットカードだったからダメだったのかな。別にいいけどさ、気持ち的にはファンクラブを継続してた人に1人1枚限定でいいから取れるようにとかしてほしかったなって思うよ。まあそれを言ってもしょうがないけど」
――不満を言ってた人もいて、全員が満足いく形だったかと言われればちょっとモヤモヤ感は残るよね。俺は配信で見るって決めてたけど。
文々「メンバーが納得できる形で終われるのが一番大事だと思う」
――そうだね。


――赤い公園を応援してる期間のこと、どう思います?
文々「好きなバンドやアーティストはいっぱいいるけど、その中でもがっつり集中して月何回もライブを見てっていうバンドはそんなにいなくて、自分の中では西川貴教と凛として時雨とtricotと赤い公園くらいで。それくらい大きい存在ではあったし、そこからの繋がりで知った音楽もいっぱいあったから、出会えて良かったなって思います。楽しかったですよ。特に2011から2013くらいまではバカみたいにライブ見てたから」
――俺は2014年に一番ライブを見てて、たぶんバンド的にもそこがライブの数的にはピークなんですけど、たしかにセトリは似てきちゃってたから、それ以前は特に面白かったなって思う。
文々「あとさ、あれ面白かったよね。『猛烈リトミック』の試聴会(『『猛烈リトミック』試聴会~山派?川派?~』2014年9月20日@東京おもちゃ美術館)」
――ナタリーの記事に俺たちの後ろ姿が出てるやつね(笑)。みんなで楽器を作って面白かったな。たしかその時かその前に、まりぷか文々さんが最初に『木』の秘密に気付いたんじゃなかったっけ?
文々「あんまり歌詞重視で聴いてないから違うと思いますよ。最近歌詞の考察する人増えたよね。そういう聴き方をしてなかったからすごいなとは思う。でももうそういう答え合わせをすることも難しくなっちゃうね」
――そうだね。
文々「つのさんが亡くなって、他の芸能人が亡くなったニュースの時みたいにお悔やみの言葉を言うテンションにもなれなかったし、親戚のおじさんおばさんが亡くなったような時とも違うし、そういう喪失感ってやつを初めて味わって。でもそこからだんだん悲しい気持ちが薄れて忘れてしまうようになるのも嫌で。時々でも想うことを続けられるようにしたいなと思って、立川や赤いベンチにも定期的に行くようにしていて。11月の頭にもお花を手向けて、そういうことをしたのもつのさんが初めてだった。先々週もまたベンチに行ったら、お花が1つ刺さってた」
――そうか。俺はつのさんがそこにいるわけでもないし…とか思ってたけど、でもお別れ会があるわけでもないし、お墓参りができるわけでもないし、気持ちのやり場はないよね。またベンチに行こうかな。
文々「ベンチのクラウドファンディングで10万円のコースにして、1日AD体験もしたからね。ベンチでMVの撮影があって(渡部)フランケンさんの手伝いをして、その次、昭和記念公園でライブの撮影があるからそこに移動する車の中で、フランケンさんの結婚式のためにつのさんが作ってくれた曲をかけてくれたんだよね」
――へえ~、めちゃくちゃ貴重な体験だ。たしか1日ADのコースは2人しかやってなかったよね。
文々「そう。ベンチを定期的に掃除してくれてるファンの人もいて、会って話したからTwitterでフォローしたよ。先週も、ベンチに『話しに来ました』みたいな感じでまた行ったんだけど、そしたら2~3世帯のお母さんと子供たちがいて、ちょうどベンチに女の子が4人座ってて、なんかうるっときたよ」
――いい光景だ。公園ってそういうためのものだもんね。今回は貴重な話をたくさんどうもありがとう。


つづく

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