津野米咲さんが亡くなって1年9か月で考えたこと(オレンジのサコッシュの中のつのイズム)

つのさんが亡くなって、赤い公園が解散して、すごく悲しかったけどなるべく穏やかにいようと思っていて。でも時間が経つにつれて周囲のいろんなことに腹が立つようになってきて。

例えばうたこすはTHE 2のインタビューで「米咲の一周忌が終わってから気持ちがスーッとラクになって」って言ってて、よかったねとも思ったけど、俺たちは一周忌どころかお別れもできずに全くラクになれてないのに…という気持ちの方が強くてイラッとしたり(うたこすごめんなさい、これに関してうたこすは何も悪くないです)、ある人にはつのさんに関することで嘘をつかれたり(それがつのさん自身や遺族のためだということは分かっていたけど、その内容がどうしても許せなかった)、あの時の赤い公園スタッフマジクソだったあいつのせいだって嫌なことばかり思い出したりするようになり…。


つのさんは音楽的にも天才だったけど人間的にも素晴らしい人で、めちゃくちゃ思いやりがあって、女性にも男性にもどちらでもない人にも、子供にも老人にもどちらでもない人にも、ファンにも呑み友達にも何でもない人にも、いつも分け隔てなく優しく楽しく接していて、いつも味方だけでなく反対意見の人やさらにそのどちらにも含まれない意見の人のことまで俯瞰で考えているような人で(この考え方・生き方を勝手に「つのイズム」と命名した)、それゆえにいつも悩みもありそうだったけど、それゆえみんなに愛されたんだと思う。だけど、周りの人間は全然それを理解してなかった。どこかで線を引いて、「ここから先は立ち入り禁止」って区別・差別をするようなやつらばかりだった。そんな気がした。(だから政治信条についてリツイートしてる人を見ていると、いつも反対意見のことも考えてたつのイズムはこの人には受け継がれなかったんだなって思っちゃう。…なんてことを言ってる自分が一番つのイズムに反しているし、まあ、別にそんなの個人の好きにすりゃいいけどさ)。結局自分が好きでファンだったのはつのさんだけであって、赤い公園ではなかったんだろう。

個人的な話で言えばその間に愛犬も亡くなって、いわゆるペットロスのような状態も重なってかなり落ちてしまった。ある時、ペットロスについてのサイトを読んでいたらペットロスから立ち直るには5つの段階があると書いてあった(否定(まさか、嘘だ)→交渉(助けてあげてください)→怒り(〇〇のせいだ、〇〇が悪い)→受容→解決)。ペットロスというのは、こういう状態を何度も上り下りしながらだんだんと解決に向かっていくらしい。

なーんだ、つのさんの周囲のいろんな人への「怒り」も同じようなもので、立ち直るための1ステップに過ぎなかったのか、と思うとなんだか自分がアホらしくなった(つのさんや赤い公園=ペットという意味ではありません)。けど、自分は「怒り」の後に「受容」も「解決」も来なくて、それより先に「忘却」の方が来てることに気が付いた。友達と話してもいろんなことを忘れていて、赤い公園のいろんなこと以前に、レッパーだった頃の自分のことですらたくさんのことを忘れてることに気付いた。

そういうことに関係してかしてないかは分からないけど、コロナにかかったわけでもないのに何を食べても味がしないし匂いもしないし、何を見ても聴いても読んでも感動しなくなってしまった。もしかしたら感動してるのかもしれないけど、それにあんまり気付かなくなった。赤い公園と仕事をすることが目標だったから仕事にも意味を見出せず、音楽業界にあんまり未来も感じなかったりいろいろあったりして、音楽関係の仕事も辞めた。だって仕事で頑張って作った記事より、趣味で作ったこのnoteの方が何倍も読まれてるし。音楽に関しては、赤い公園どころか音楽自体をほとんど聴かなくなった。マジで何をやっても無味無臭だ。つのさんは呑み屋からの帰り道に「どんなに体調が悪くても毎日音楽だけは聴く」って言ってたけど、音楽が要らない日も多い。聴くにしても、今となっては赤い公園よりいいと思う音楽はたくさんある。

新しい勤め先のバイトの子が「それってたしかウェルテル効果って言うんですよ」と言ってた。調べたら合ってるような気もするし違うような気もした。その子に藤本タツキの「さよなら絵梨」を勧められたので読んでみたら、主人公が「そこの自殺を考えてる奴っ やめておけ 馬鹿らしい 人はいつか死ぬんだ 死ぬまで生きてみろ」と言っていた。そうだよ死ぬまで生きてみろよ。途中のシーンで久しぶりに泣けてきて「あっ自分にこんなパワー残ってたんだ」って思ったけど、ラストシーンが全然良くなくてその気持ちもスッと冷めた。

音楽業界から離れたとはいえ全く無関係の仕事になったわけでもないので、たまに「赤い公園のあの子が〜」とか聞こえると心がザワッとするし、メンバーのSNSや文章や写真もザワッとするからあんまり見たくない。

THE 2のライブは一回見て、うたこすのドラムはバンドを引っ張ってはいたけど赤い公園の頃の方が絶対に何倍も良かったし(同じ感想の友達がいて良かったし悲しかった)、うたこすの人生にはいろんなことが急にありすぎて生き急ぎすぎてないか心配になる。理子さんは、ようやく沈黙を破って動きがあったのは良かったけど、そもそも自分にはあのTikTokの良さが分からない。ヒット曲のアカペラカバーで、原曲を超えるやつなんてなくない?(ましてや髭男なんてさ…つのさんと髭男の関係を理子さんが知らないことないよね)ひかりさんは、たぶんそうだろうなという人をこないだライブ会場で遠巻きに見かけたけど、その人はニッコニコの笑顔をしてて、なんとなく目を逸らした。みんなそれぞれどうやって生活してるのかは分からないけど、ネットで有名な画像の「でも幸せならOKです(グッ)」の気分だ。

まあ、そんなことすらもうどうでもよくて、今は無味無臭の中で、さっきの藤本タツキの漫画みたいに、たまに友達とご飯に行って「あっご飯てこんな美味しかったんだ」って思ったり、昔聴いてた音楽を少しずつ聴いて少しずつ良さを思い出したりもしてて、なんというか失われた感情を取り戻す作業をしてる感じ。もしかして、透明な手足に色を塗るってそういう歌だったのかな、とか思ったけど、赤い公園の曲ももうあんまり思い出せない。これが「受容→解決」ということなんだろうか?でもそれよりもやっぱり自分には「忘却」、それから「やり直し」という言葉の方が合ってる気がする。そんなこともあって、いつか本にしようと思ってた原稿のファイルは全部消してしまいました。このnoteも消そうと思ったけど(一回数日消した)直後にもっと昔のエントリーにコメントが来て、なんだかそれは思いとどまった。

とにかく本の件は白紙。つのさんのことをもっともっと知りたくて、調べ尽くして知り尽くしたけれど、その結果自分が書いて残したいと思ったものはきっと誰かを傷付けると思うから。これ以上つのイズムに反してどうする。それに自分がこういう活動をしてきたせいで、また誰かに適当な嘘をつかれたり、ネットでいろいろ言われたりして自分も傷付くだろうし、もしまたそんなことされてももう怒る元気もないし。天才がなぜ天才なのか知りたくて10年近く追っかけて来たけど、たぶん知りすぎてはいけなかった。それに大事なものは自分の中に残ってると思うし、あとのことは忘れてまた違う好きなものを見つけましょう。色褪せてゆくものたちにはぶんぶんと手を振って。

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