津野米咲さんが亡くなって2年間で考えたこと

誰がつのさんを殺したか。あいつが悪い、あいつも悪かった、あの人も原因だ、そんなことばかりを考えていたらみんながみんな原因のような気がしてきて、でもそんなことを言ったら新体制のライブも運営も全然良くなかった当時「赤い公園のファンなんてもうやめる」と思った自分にも数%は原因があるような気がしてきて、自分を含めた全員のことが嫌いになった。という話を友人にしたら、気持ちは分かるけどそんなことを書いたらいけないよ、と言われた。

つのさんは、よく喋る人でした。家族のこと、メンバーのこと、スタッフや周囲の人のこと、友達のこと、ファンのこと、好きな音楽、最近何をしたか、地方で何が楽しかったか、昔の思い出…。聞いてないプライベートのことまでよく喋る人で、たまに口は悪いんだけどみんなに対して優しくて、いつも笑顔でした。一緒に呑んだ友達やお茶した友達がたくさんいるから、みんな知ってるはず。そうだったよね。忘れないうちに、みんなで「今日のつのまいさが何を喋ってたか」をスマホにメモった。

だからそんなことを書いたらいけないんだよ。

つのさんは、よく喋り、よく笑い、よく呑み、よく吸い、少しだけ食べ、ほんのほんの少しだけ怒ったり悩んだり悲しんだりもしてた。とにかくあの頃は楽しかった。

だから、突然いなくなるとは思わなかったし、でも、そんな気が全くなかったかと言えばそんなことはなかった。

街中にいるのに田舎のおばあちゃんちにある仏壇の線香のにおいが一瞬するような、そんな何かをふとした時に感じたことがあるからかもしれない。あれはなんだったんだろう。

そんなことばかりを、あれから2年間毎日毎日思い出しては答えなんて出ないのに延々と考えている。だからいつまで経ってもネガティブだし夜眠れないんだろうけど、でもあれからつのさんのことを考えなかった日は一日もなかった。お墓(はないと聞いている)の代わりに作った自分だけの墓みたいなものと毎日目が合う度に考える。

実家のあった場所
昔住んでた場所
最後に住んでた家
レコード会社のあったところ
事務所のあったところ
公園
いろんなライブハウス
よく行ってた飲み屋
よく行ってた喫茶店
よく行ってた店
いつもタバコを買ってたコンビニ
通ってた学校
昔住んでた街の病院
海辺の病院
立川の宗教施設

ギターや機材
ハードオフに売られたギター
ヤフオクやメルカリに出品されたギター
CDやDVD

自転車
かばん
青いビニールシート
お金
たくさんの手紙
二度と返ってこない貸したものたち
どこかへ行ったものたち

全部行ったけどどこにもいなかったしどこにもどれも無かった。みんな新たな趣味や応援対象や居場所を見つけて笑顔になったけど、個人的に良いと思えるものは何も無かった。マジでクソみたいな2年間だった。つのさんみたいに死んだ方がマシだったかもしれないと何度も思った。それでも今もなんとか生きてる。今のところそこだけはつのさんとは絶対相容れないけど、つのさんの方が正しかったような気もする。

さて。
もう本当に疲れてしまったので、赤い公園やつのさんについて書くのはもうこれでもう最後にしようと思います。こんな駄文に今までお付き合いくださり本当にありがとうございました。

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