メモ:赤い公園の音楽は変なのか変じゃないのか

一番インタビューしたかった友人がコロナにかかってしまい、noteの更新がなかなかできなくなってしまいました。自分と同じかそれ以上につのさんと仲が良くて、長年いろんなことを考えていたあの人の話を聞けないまま他の人に話を聞くのも何だか違うし…。なので今考えてることのメモを書きますが、まだ自分の中でもまとめきれていないので取っ散らかった文章になると思います。でも、これが解散前最後の更新になるかもしれません。

今日「BRUTUS特別編集 増補改訂版 クラシック音楽をはじめよう。」につのさんが出ているというので慌てて買ってきました(公式で教えろや!いや、もはや公式にこういう情報は期待できないので、誰かこういうのを漏らさず教えてくれる赤い公園情報に特化したTwitterアカウント作ってくれないかな)。文字に起こされている2019年のラジオ特番「ROCK to the CLASSIC」はもちろん聞いていたけど、改めて読むと気になるところがあって、まるでそれがつのさんが遺してくれた言葉みたいに思えたので、それを読んで思ったことをちょこっと書こうと思います。

つのさんの発言を抜粋すると「赤い公園の曲を聴いてくださった方に、「変わったバンドだね」と言われることがあるのですが、そのポイントがクラシックから影響を受けた部分なのかもと思っていて。変わってないんだよー、昔からあるんだよー、と思っていましたが、気が小さいので声に出しては言えませんでした」とのことでした。なるほど。

自分が思う赤い公園の音楽というのは、「以前は変わった音楽をやっていたけど(もちろんいい意味で)、だんだんと〈普通にいい曲〉、言い換えれば〈普遍的なポップス〉に変化してきた」と思っています。だから〈普遍的なポップス〉を突き詰めた「THE PARK」はいろんな人に絶賛されたし、自分にはちょっと物足りなく感じてしまったし、でも、赤い公園の歴史とはその変化の歴史と言ってもいいんじゃないかと思っています。けれど昔からつのさんは一貫して「変わった音楽をやってるつもりはない」と言っていて、そこは自分と考えがズレているなとずっと思っていました。(正直、変か変じゃないかなんて人それぞれだし、「変」という言葉がまたネガティブな意味だけに捉えられて独り歩きするのも嫌なのですが、つのさん自身がそう言ってるのでここではあえて「変わってる」「変」という言葉を使います。「不思議」とか「独創的」とかと同じような意味だと思ってください)

つのさんは、幼少期に通ってたピアノ教室で「ド」と「シ」の音を一緒に鳴らすオリジナル曲を作って、先生に「一緒に鳴らしちゃダメ」と怒られたような子だったそうです。ピアノじゃなくてもギターでも何でもいいですけど「ド」と「シ」を一緒に鳴らせば分かりますが、音同士がぶつかって独特のモヤモヤモヤ~とした響きになります。一般的にそれは不協和音とされ、音楽の基礎を習ううちはその組み合わせは良くないことだと教えられると思います。きっとピアノ教室の先生もそういうことを言いたかったはずです。でも、幼いつのさんはその独特の響きの中に美しさを見出していたし、お父様もそんな娘さんの独特の感性を大事にするために「そんな教室やめろ」っておっしゃったんじゃないかと想像しています。この不協和音問題は、つのさんの天才的才能の最初の発見ポイントでもあるし、その後ずっと付きまとって戦い続ける「自分の音楽が変なのか変じゃないのか問題」の最初の気付きでもあったんじゃないかなと思います。(※こういうのを読むと面白いです→いわゆる「不協和音」の正体とは何なのか

その後、デビュー前のインタビューで歌川さんが「ドラムを叩いていて、右手があっち行ったり、こっち行ったり大変なんですけど(笑)、いつの間にかふつうの8ビートじゃ満足できなくなっていて」と語っていて、この場合はリズムについてだけの話ですが、おそらくメンバーも「(赤い公園の曲は)普通じゃない」ということは認識していたんじゃないかなと思います。だってデビュー曲の「透明」をもう一度聴いてみてくださいよ。変わってはいなくても、明らかに普通ではないはずです。

それはクラシックの影響もあるし、耳の肥えたつのさんが聴いてきたいろんな音楽の影響もあると思います。同じインタビューでつのさんは「私は日常で吸収した様々なことをゴチャ混ぜにして、変形させて、自分なりの理論で組み立てて音楽にしているんだと思います」とも語っています。その混ぜて変形させて組み立てる方法が、赤い公園の曲の良さであり面白さであり、変わったと言われるところでもあったんじゃないかなと思います。でも変わってるなんて言われるのはピアノの先生が曲を否定したのと一緒みたいで、もしかしたら嫌だったのかもな、つのさん、ごめんなさい。気が小さかったのにね。

絵に例えるならば、幼少期から個性的な絵を描く子が、自分なりの理論で絵を描き始めて、大衆向けの絵の描き方を独学で学んでいったというか(赤すぎる公園の独学堂ってコーナー名もつのさんらしくて面白いよなあ)。その途中では国民的アイドルに楽曲を提供したり、レコード大賞を受賞したり、メンバーの入れ替わりがあったりしながらも、ずっと目指してるところは〈普遍的なポップス〉だった。じぇいぽっぱーだった。その集大成が「THE PARK」なのかなって思います。なのに今度は〈変じゃなくなった〉とか言っちゃって、今日2度目のごめんなさいをしなくちゃいけないです。でも、そういうことに気付けたのはその後出た「オレンジ」や「pray」が、ポップスとしてすごくいい曲だったからかもしれない。「あ、つのさんってこっちの方向を目指してたんだ」って。もしかしてクラシックのコンサートのようにホールで着席してやりたかったのも、そういうところが関係してたのかな。ぜーんぶ想像だし、今となっては何も分からないけど。音楽誌やウェブメディアのインタビューでも、もっともっとそういう話を突っ込んで聞いてほしかったな。


最後に、話はまた変わるんだけど、3人体制の時にやった「pirouette」という曲が、「シ」と「ド」じゃないんだけど「ド#」と「レ」の音がぶつかった、幼少期だったら怒られるような和音を使っていて、でも最高に美しい曲だったのをこれを書きながら思い出していました。「pirouette」っていうのはつのさんが幼少期に習っていたバレエの言葉だし、幼少期のいろんなエピソードを思い出しながら作った曲だったのかななんて思います。あの時のピアノの先生も間違ってないけど、つのさんも、お父さんも間違ってなかったと思います。だって結果的に美しい絵が描けたんだもん。

つのさんのことを遺そうと思ううちに、どんどん遺したいものが増えていきます。

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