赤い公園・津野米咲さんと僕⑩

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「VIVA LA ROCK」開催の2日前、赤い公園は2日後のライブを新ボーカリストを迎えた新体制で行うことを発表しました。実は3人体制での活動は早々に諦めて、新しいボーカリストを探していた、ということを後から知ります。あれはあれですごく面白かったけど、でも新しいボーカルを迎える方がもっと面白そうだったので、ドキドキワクワクの2日間でした。

そして迎えたビバラ当日、相変わらずステージ最前列に陣取り、シルエットしか見えない新ボーカリストが「風が知ってる」を歌い始めた時、あの難しい歌のピッチを全く狂わせずに歌っているのを見て(聴いて)、思わず涙が流れました。

新しいボーカリストは圧倒的な歌唱力で「風が知ってる」を歌い上げ、「赤い公園です、よろしくお願いします」と言いました。それを聞いて、この人が誰であれ、赤い公園はもう安泰だと思いました。続く「闇夜に提灯」を歌い終えると彼女は「今喋っているのは何者かと思ってる方もたくさんいると思うのですが、私は石野理子と申します!17歳です!」と言いました。それ以降、そのライブはずっと泣きながら観てました(泣いてるところがネットの中継で流れたらしく、後からそれを聞いて恥ずかしかった)。

石野理子さんは、アイドルネッサンスというアイドルグループの元メンバーで、その中でも歌も踊りもとてもレベルの高い人でした。赤い公園に元からいるメンバーより8~9歳も若かったけど、一度ズタボロになったバンドを立て直すのに、これ以上の適任はいないくらいの人で、その日も人前でバンドで歌うのが初めてとは思えないくらい圧倒的な歌唱力でした。つのさんの「ビバラはきっと特別な日になる」という言葉の意味がやっと分かりました。Twitterでは赤い公園関連のワードがトレンド入りしていました。

ただ、これ以上ないくらい嬉しいビッグニュースが入ってきたものの、その後またしばらくは新体制の活動は控えめでした。このままの勢いでトントンと売れていってほしかったので、ちょっとモヤモヤはしたけど、理子さんがまだ地元・広島で高校生だったことが大きな原因だったようで、それならしょうがない、と思いました。その代わりに、今度は石野理子という人を知るべく、アイドルネッサンスのCD・DVDを全部買い集め、過去のインタビューが載っている雑誌や本も買い、グッズも買い、アイドル時代のツイートを全部読んで、彼女のことを研究し始めました。理子さんは当時17歳とは思えないほどしっかりした考えの持ち主で、真面目で、でも視点はちょっと変わったところがあって、知れば知るほど面白い人でした。絵は上手ではありませんでした。

赤い公園は理子さんの加入時から新しい事務所に入ったようで、しばらくはその運営も、ビバラのステージ裏の写真がアーティスト写真にだったりと、まだ手探り感がありました。でもそれがいいと思っていました。

ビバラの直後、あるアーティストのライブ会場の喫煙所で偶然、つのさんと久しぶりに会いました。つのさんは理子さんに夢中な感じで、K-POPアーティストが好きだからDVDを借りて教えてもらってるとか、サバサバしているようで実は甘えん坊なところがあってかわいいんだとか、理子さんのことを妹のように可愛がってるのがよく伝わってきました。それからタバコをふかしながら、毎年1度は扁桃腺が大熱を出すから、いつか扁桃腺の手術をしようと思ってるという話もしてくれました。「タバコやめればいいのに」と言おうとして言うのをやめました。タバコはつのさんの憩いの時間でした。

また、それと前後して、ちーちゃんもチアキという名前でソロライブを行ったり、ライブの客演に出たりと、ソロ活動を開始させていました。いろんなところで新しい風が吹き始めている感じがしました。

つづく

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