雨の日の考察

この前の日曜日、上司からお店に電話がかかってきた。
同じエリアのスタッフの方が突然死されたと。
まだ40代の人で明るくて優しくてみんなから慕われている人だった。
私は一緒に店頭に立ったことはないけれど、その方も私も長く勤めているので面識があり、社内の会合や研修会えば挨拶もするし世間話も少しするくらいは接触があった。
私でさえこの知らせを受けてからずっと悲しくてたまらないのに一緒に店頭に立っていたスタッフの皆さん、そして知らせてくれた上司の心境を思うと涙が出てくる。

昨日まで一緒に働いていた人が突然いなくなるなんて。
昨日までその人の声、笑顔を聞いて見ていたのに。そばで。
亡くなられたご家族の衝撃は想像できるなんて簡単には言えない。

普通に明日があるなんて思っていてはだめなんだ、って、いろんなことが起こるたびに思ってきたけれど、誰も自分の身に明日どんなことが起きるか、本当に本当に絶対にわからない。
こんなことを感じるのも不謹慎なのか、と思ったりもするし。

それでも、精一杯生きなければとは思うけれど体に力が入らなくて、どこかふわふわしていて地に足がついていないというか、今までに経験したことがない感覚。
つらい。
ふと思ったのだけれども、もしかして、日々いろいろ感じている悲しいこととかネガティブな感情を今のこの状況に全部押し込んで・・・当て込んでって言うのかな・・・一人で落ち込んでいる自分になってみているだけなのかな、とか意味の分からないことを考えてみたり。
だってね、亡くなられた方とは年に1回も会わない人だったんだよ。
同じエリアで長く一緒に在籍していただけ、そこまで親しくしていたわけでは無いのに。
それでもやっぱり悲しい感情でいっぱいで。

不謹慎と思われるかもしれないけれど、やっぱり、明日のことは誰にもわからないのだから、息をして、意識があって、体が動くならば、やっぱりどう生きていくのが良いのかは・・・そうなんだ、わかっているんだ。

もう少し冷静にというか、ドライに、あまり深く考えずに過ごせたらよいのだけれど、私には、無理だな。
こうして悶々と自問自答して自分なりの答えというか、何かを見つけられるまではきっと上がってこれないんだと思う。
誰かにそばにいてほしい、けど一人で過ごしたい。
仕事中は大好きなメンバー達がいてくれるからね、救われている。

それでも明日はいつも通り接客もするし、ちょっとしたことで笑ったりするんだろうけど。
こういう日々を重ねてだんだん悲しみは薄れていくのかな。



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