見出し画像

ラウル・バルデス伝説

どうもこんにちは!赤味噌です。
キャンプが始まってあっという間に3週間が経ち、今日から本格的にオープン戦が始まりましたね〜。
今年の中日のキャンプは若手投手や中堅野手のアピールが目立ち、シーズンに向けて楽しみな材料の多い有意義なキャンプになったのではないでしょうか。
シエラ、ゴンサレス、ロドリゲスといった新外国人も早速活躍を見せるなど、外国人選手好きの私にとっても非常に満足のいくものとなりました。
3選手とも絶対に日本で成功を収めて欲しいので、まずは今日から始まったオープン戦で良い結果を残して欲しいです。

今回はそんな中日に在籍した外国人選手についてのnoteなのですが、突然ですが質問です。
これまで最も印象に残っているNPBの外国人選手を一人挙げるとしたら皆さんは誰の名前を挙げますか?
ラミレス、ウッズ、ペタジーニと言った「当たり助っ人」からメンチやグリーンウェル、セサルなどの「残念助っ人」までいろんな名前が上がるのではないでしょうか。
最も印象に残っている外国人選手、自分も昔からたくさんの選手への思い入れがあって一人に絞るというのはなかなか難しいのですが、もし一人選ばなければいけないとすればこの人を選びます。

ラウル・バルデス(元中日ドラゴンズ)
バルデスおじさんの愛称で親しまれ、2015〜17年に中日でプレーした先発左腕。恐らく私だけでなく多くの人の印象に残っているでしょう。
今回はそんなバルデスおじさんの数々の伝説をいろんな人に伝えようと思い、noteを書くことにしました。
とは言っても知っているものも多いと思うので、あーこんなことあったなぁぐらいの温かい目で見ていただけたら幸いです。


壮絶な過去を乗り越えMLBの舞台へ

後にMLBやNPBで活躍する彼の人生は苦難の連続でした。
バルデスはキューバで生まれ、19歳から23歳までの5年間国内のリーグでプレーします。
やや打高なリーグで8勝 9敗 防御率2.85、7勝 13敗 防御率3.58と、当時から味方の援護に見放されていた彼にはある夢がありました。

「メジャーリーガーになりたい」
彼は23歳の時に他国へ亡命してMLB球団と契約する為、200km以上離れたドミニカ共和国への渡航を決心します。
そして命懸けで何日もイカダを漕ぎ続けるのですが、そこには恐ろしい悪夢が待ち構えていました。
亡命失敗を繰り返すこと5回、バルデスは刑務所に入れられてしまうのです。
更に亡命を手伝った兄に至っては10年間も投獄、彼は地獄のような経験をしました。

辛く苦しく野球のできない日々。
そんな3年間にも及ぶ過酷な経験を乗り越えた2004年、彼はMLB球団のシカゴ・カブスと契約します。
これで晴れてメジャーリーガーに…!とはならず、ここからが本当のスタート。
マイナーで好成績を残してMLBに這い上がらなければなりません。
3年間野球から離れ当時全くの無名だったバルデスは、少しでも可能性を広げる為、投手だけでなく外野にも挑戦するなど何でもやりました。

しかし2006年、マイナーでも思うような成績を残すことができず僅か2年でチームを戦力外に。いきなり厳しい現実を突きつけられてしまいます。
それでも諦めず、バルデスは翌年アメリカにある独立リーグのチームと契約。
そこで好成績をマークしたのがスカウトの目に留まり、11月に再びMLB球団、ニューヨーク・メッツと契約を結びます。
しかし、またしてもマイナーで好成績を残すことができず1年で戦力外に。

30歳になってもMLBへ昇格できず普通なら諦めてしまいそうなところですが、バルデスはドミニカウインターリーグなどで投げ続け、必死にその時を待ち続けます。
そしてドミニカでレベルの高い打者を次々と抑えたのが評価され、2010年古巣メッツと契約。
スプリングトレーニングとマイナーリーグで結果を残し続けたバルデスに遂にその時がやってきました。

4月11日、普通ならベテランに差し掛かろうかという32歳でようやくメジャーデビュー。
中継ぎで登板した2イニングを無失点に抑える好投を見せます。
その後も登板を重ねた32歳のルーキーは2010シーズン、計38試合に登板し防御率4.91をマーク、チームに欠かせない戦力になりました。
そこから色々なチームを転々とし、中継ぎを中心にMLB通算103試合に登板、2012年には防御率2.90 奪三振率10.16の好成績を残すなど不屈の魂でメジャーでの活躍を果たしました。


新天地NPBで記憶に残るプレーヤーに

バルデスには2014年、37歳の時に転機が訪れます。
ドミニカWLで好投していたのが中日・森繁和ヘッドコーチの目に留まり、中日ドラゴンズと契約するのです。
しかし新外国人としてはかなりの高齢且つ日本での知名度も低く、獲得を疑問視するファンの声も少なくありませんでした。

そんな不安を跳ね除け、バルデスは2015年シーズン開幕から躍動します。
日本では珍しい中4日や中5日で登板を重ね、5月14日までに驚異の9先発 61イニング、とにかく投げまくりました。
そして抜群の安定感で8QS 防御率2.66という数字を残し、5000万円にも満たない年俸でやってきた無名の外国人投手はエース級の活躍を見せます。

しかしそんな数字を残しながら、味方の援護を全く貰えなかったバルデスの勝敗はなんと0勝4敗。
驚異の「負け運」を発揮し、バルデスの名前が世に知れ渡ります。
結局一年目シーズン、133イニングを投げて防御率3.18という優秀な成績を残したのにも関わらず5勝8敗。
ビジターでの登板に至っては13先発で0勝5敗 防御率3.50という悲しすぎる結果になってしまいました。

勝ち星には恵まれなかったものの、安定感が評価されて中日に残留した翌シーズン、バルデスはこの年もなかなか援護に恵まれません。
シーズン初登板で勝ち投手になり、今年は勝てるか?と思わせたシーズン2戦目、7回2失点でHQSを達成するも、中継ぎが打たれて勝ち星が消されます。
続くシーズン3戦目には9回無失点の快投を見せるも、味方の援護は0でこの日も勝ち星がつきません。

結局このシーズンも125回1/3を投げて防御率3.51というまずまずの数字を残しながら6勝7敗。
20先発中12試合で自責点2以内に抑えながら、その内勝ちがついたのは僅か4試合と、またも悲しい数字を残してしまいます。

翌シーズンも残留したバルデスですが2017シーズン、過去二年を更に超える負け運を発揮してしまいます。
39歳という年齢で開幕ローテに何故か2つも名前のある(開幕からバルデスだけ中4日のため)バルデスは、なんとシーズン初登板で2017年チーム1号本塁打を放ちます。
しかしこの試合は7回途中まで1失点に抑える好投に加え自分でホームランまで打ったのにも関わらず、中継ぎが打たれて勝ち負けつかず。
そこから9試合連続でQSを挙げ、その間にリーグでダントツのイニングを投げながら防御率2.01という快投を見せるも、僅か1勝。

中継ぎが打たれる度に悲しそうな表情を見せるバルデスに同情の声が集まり、オールスターのファン投票が始まるとSNSで「#バルデスをオールスターに」という呼びかけまで行われます。
その甲斐もあってかファン投票では巨人・菅野智之に次ぐ2位となり、監督推薦で自身初のオールスターに選出されます。
中4日で登板し続ける驚異のスタミナを持つ大ベテランはオールスターに中1日で先発、そして地元ナゴヤドームで好投を収めました。

前半戦は110回2/3を投げて防御率2点台の好成績を残したバルデスですが、後半戦に不調に陥ってしまいます。
その結果、3年間在籍したチーム退団が決定的に。
それでも自身初の規定投球回を防御率3点台で投げ切って6勝9敗という成績を残しました。


まだまだ現役!生ける伝説ラウル・バルデス

2017年にチームを退団となったバルデスはオフにドミニカWLに参加。
NPBで規定投球回を投げたにも関わらず、シーズンとプレーオフ合計で92回1/3も投げてしまいます。
そして残した成績は1勝10敗 防御率3.31…!もう言葉も出ません。
この後ドミニカ代表としてカリビアンシリーズにも参加し、40歳の大ベテランは一年間で合計249回と2/3を投げました。

翌2018年には超打高で知られるメキシカンリーグの球団と契約し、防御率2.50と支配的な投球を見せます。
41歳になるベテランの大活躍に地元のファンやメディアは驚愕し、バルデスはメキシコでもレジェンドとなりました。
そしてメキシコで投げ終えると今度はドミニカに舞台を移し、そこでも100イニング以上を投げてしまう鉄腕っぷりを発揮。
しかもドミニカでも防御率2.41と彼は衰えることを知りません。

昨年2019年は夏季はどこでもプレーせず、例年通り10月からドミニカウインターリーグに参戦。
42歳という年齢ながら約3ヶ月でリーグトップとなる87回2/3を投げ、防御率はまたしても2点台と依然ドミニカを代表する投手で居続けます。
またプレーオフでは奪三振の通算記録を塗り替え、レジェンドの階段をまた一歩駆け上りました。
バルデスはドミニカWLが終わるとカリビアンシリーズで他国と戦い、先発の中心格として活躍。
ドミニカ共和国を6年ぶりの優勝へと導きました。

そして今年、3月に行われるオリンピック予選でドミニカ代表のメンバー入り。
もしドミニカが予選を勝ち抜けばバルデスを日本で見れるかもしれません。
かつてプレーした日本のファンに元気な姿を見せる為、本人も必死に腕を振ると思うので絶対にドミニカに勝ち抜いて欲しいですね。



という伝説の男バルデスのお話でした。
こんな濃い人生を私の薄い文章力で書いてしまったのは凄い申し訳ない気もしてしまいますが、バルデスの凄さが一人でも多くの人に伝わったのであればとても嬉しいです。
バルデスには50歳まで現役を続けてもらい、いつかまた中日に戻ってスカウトなどをやって欲しいですね!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?