ありがとう、さようなら。私の祖父
MASHIMOです。
今日はスプラ記事ではないです。
祖父が他界しました。
92歳でした。
私が父に怒られ、玄関に追い出された時に一緒に謝ってくれました。
BB戦士を毎日買ってきてくれました。でも、毎日ザクでした。
就職した後も「元気か?」と気にかけてくれました。
戦争の時、空襲から逃れるために水に飛び込んだ話をしてくれました。
90過ぎても教育勅語を暗唱できました。
最期は苦しまずに逝けました。
私は仕事の都合で、一週間近くも冷たい場所で待たせてしまった。最後まで不甲斐ない孫で申し訳なかった。
時には親代わりになってくれた祖父が、いよいよ火葬される時、私はもう中年だと言うのに、子どものように泣きじゃくった。
最後の時はいつか来るから、悔いの無いよう話してきたつもりだった。
でも、最後の時は後悔と申し訳なさばかりが溢れてきた。
ひとしきり、心の中で謝った後、口から出た言葉は「ありがとう。」だった。
コロナ禍の中、たくさんの人が来ては祖父の顔を見て、泣いていた。
棺桶の窓は、もう誰の涙か分からないくらい濡れていた。
心の中でいつまでも生き続けているなんて、詭弁はもういい。
祖父が死んだことが、ただただ悲しい。
祖父と二度と話せないことが、ただただ悔しい。
人が死ぬと言うことは、自分の生を見直すこと。
自分の生を見直すことは、自分の死を考えること。
答えは出ないけど、祖父の孫で良かった。
ありがとう、さよなら。
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