大阪の旅行記、言い換えれば551の記憶
fe記録を書く時間がないので、閑話休題で茶を濁す。
君は551を知っているか。
そう。あの赤い看板の肉まん屋だ。
では、
"あの551(蓬莱)がレストランをやっている"ことを知っているか。
関西人のキミは笑うだろうが、我々都民はそんなことも知らんのだ。お前らだって日高屋行ったことないだろバーカ。
ハイドン!(1732-1809)
551、迫真の中華料理チェーン顔
メニューは五目チャーハンとカタヤキソバと、この551ラーメンくらい。価格は1000円前後とリーズナブルとは言い切れないくらいの価格だ。
そして、店名を冠した551ラーメン。
食べずにはいられない。もう大阪の粉もんは飽きたのだ。
席に着く前に注文を聞きに来る せっかちな店員に551ラーメンとだけ告げ、水を飲む。
周りを見る。
関西弁を喋る客は全員カタヤキソバを食べていた。
ラーメンを食べる者は1人もいない。卓上調味料も醤油と酢とカラシ。オーマイ。
そう、おそらくここはカタヤキソバ屋だったのだ。
そんな俺の絶望など意に介さず、店員はラーメンどんぶりを運んでくる。
それはひき肉と大ぶりのエビが乗る。僅かにスパイスの香るスープは醤油とも塩ともつかないシンプルな中華スープのラーメン。
うん
悪くない。
いや、むしろ美味しいぞ。
しかし、後悔。しめやかに落涙。
両面よく焼き、外はパキっと、中はもっちり(多分)
そんなカタヤキソバを周りの阪神ファンたち(偏見)はもくもくと食べる。
カラシをつけ、酢で味変をしながら食べる。セットでつけた半チャーハンと共に具沢山のそれをかっこむ。
俺はこのシンプルなラーメンに胡椒すら振れず(卓上に胡椒はない)
スープに落ちたひき肉を必死にかき集めている。
どこで間違えたのだろう。
挽肉を追いかけるレンゲがスープを混ぜる。
せめて半チャーハンくらいつければ良かった。
ひき肉を追う箸が、廻るスープに勢いを与える。
間違いばかりの人生だ。
スープが大きく渦を巻く。
いつも大事な二択を外して、ついには安いラーメンを必死に食べている。(それでも800円は俺には高い)
スープが大きく渦を巻く。
「ここはどこだ?」俺の発した声は遠くの壁に反射したのだろう、小さくかすかに耳に返ってきた。
四方は闇。
人肌の(不快な言い方をすれば鼻水のような)粘性の液体に包まれている感覚だ。息苦しさはない。
「じゃあさ、やりなおそっか?」声が響く。
いつか聞いた声だ。
「できるよ?」誰の声だったか思い出そうとしている間にも追い討ちが来る。
そうか、やり直せるのか
いつからだろう、目の前には551ラーメンの挽肉が詰まった砂時計(肉時計?)があった。高さは10mほどか?恐ろしく大きい。
これをひっくり返せば良いのですか?
「そう」
昔、私のことを下の名前で「ちゃん」「君」をつけることなく、ケン と名前で呼んでくる先生がいた。子供と接するのとはまた違う、まっすぐと私の目を見て喋る人だった。
「だって、やり直したいんでしょう?」
大きく口を開けて小さな声でクスクスと笑う人だった。あの笑顔が不思議と思い出せない。
どこからやり直せるのでしょうか。
「そうだなぁ…、私たちが出会う前くらい。かな?」
こう、鼻の奥の方で「んーーー」と考える声を出していたのをよく覚えている。
そうですか。
先生と出会う前から人生をやり直せる。
私はあの古い木造の埃っぽい中学校の教室と、先生と分かれて以降のたくさんの出会いを天秤に乗せた。
無二とも言える親友、時々喧嘩はするが将来を誓った恋人、たくさんの愛する人たちの顔を思い出し、それでも迷いなく、多くが乗る方を切り捨てた。
あの日々は、たくさんの雑音の中で過ごした苦しくなるほど温かな日々は、私の人生で唯一正しいと断言できる、私の輝きだった。
(あの輝きをもう一度…)
分かりました。 空間に声が響く。
意識を向けると砂時計と私の距離は近づき、右手を伸ばせば触れられる距離になっていた。
水晶をくり抜いたような艶やかなおもては、触れてみると存外に軽く、下の方を強く押してやれば くるりとひっくり返ることが容易に想像できた。
喜びと顔には出さない興奮で手を震わせながら、右の手のひらをぺたっとくっつけた。
「じゃあね」
小さな声で先生が言うのを私は聞き逃さなかった。どういう別れの言葉なのか、すぐに理解はできた。この結末は、今までも分かっていながら考えないようにしていたのだろう。
意地の悪い話だ。
この時計は巻き戻しではない。もちろん、人生を都合のいいようにやり直すものでもない。私の選ばなかった一方、全ての2択を間違えなかった世界を歩み直すのだ。
進学、就職、出会い、別れ、ああすれば良かったという片方、夢にまで見た私ではない私の世界。
ただ一つの正解も裏返ってしまった苦しみのない世界。
出来立ての551ラーメンのひき肉のせいだろうか、時計の表面は熱を帯び、ずっと触れていると火傷しそうな程、熱い。
それでは。………すみません…。
僅かに傷む心から目を背け、右手にグッと力を入れる。押し始めこそ重かったが、動いてしまえばなんてことはない。それは弧を描き、大きく持ち上がる。
「うん、それじゃ」
笑うような謝るような、優しい声だった。
いつか最後に聞いた声音だ。
水平よりやや高く持ち上がった柔らかな円錐は振り子の要領で弾みをつけて返ってきて、強く力を入れていた右手にぶつかり千々に砕けた。
ガラスの割れる音に振り返ると、赤を基調とした制服の店員が申し訳なさそうに周囲の客に怪我はないか聞いて回っていた。私は痛む右手を押さえながら机に向き直る。中華どんぶりの中でひき肉と砕けた破片がキラキラと光っていた。
無言で食べ進める。
ジャリジャリという咀嚼音と血の味。
丸椅子に浅く腰掛ける私の後ろから、不意に、551の肉まんが一つ差し向けられた。
これは?
ひき肉を啜りながら背後に尋ねる。私の左手の先に置かれた肉まんをそれとなく眺めて。
「んーーーーー?お礼?」
よく聞き慣れているような、懐かしいような心地の声だ。
ありがとうございます。
お礼を言おうと振り返ると、やはり懐かしい姿をした女性だ。いつもそうであったように後ろを向いて、顔を隠しながらも小さな声でクスクスと笑っている。
ああ、これは間違いではなかった という感慨と共に551ラーメンを食べ切り席を立つ。
店を出てそっと口付けをした肉まんは柔らかい円錐で、まだ私の体温より少し温かかった。