20230620学習ノート『三つのインタナショナルの歴史』第13章 第1インタナショナルの終わり

20230620
『三つのインタナショナルの歴史』

[第13章 第1インタナショナルの役割(1864-1876年)]

第1インタナショナルは、労働者の国際主義の開拓者であった。
その根本的な功績は、マルクスとエンゲルスによって作り上げられた、プロレタリアートの哲学と世界である科学的社会主義を普及し適用したことにある。インタナショナルは、資本主義国家及び国家一般に対する労働者階級の政策を作り出し、労働組合運動、協同組合、民主的選挙権、そして婦人の地位を深く分析した。また、農民や戦争や民族の問題に対するプロレタリアートの姿勢を確立させた。更に、武装蜂起の戦術、当面の要求とプロレタリア革命の関係、プロレタリア独裁の見通しを検討し、訓練を積んだマルクス主義指導者の部隊を各国で育成し始めた。
文献としては、国際労働者協会『創立宣言』『協会規約』、『フランスにおける内乱』、『資本論 第1巻』などがある。
インタナショナルは、バラバラだった労働運動をまとめ組織的な全世界的勢力として、万国の搾取者たちの心に恐怖と不吉な予感とを叩き込んだ。また、ストライキや政治闘争を多数指導した。労働組合を積極的に作り、多くの国で幅広い社会主義政党の母体を築いた。

[セクト思想の駆逐]

マルクス主義者は、インタナショナルの内部のセクト主義傾向に対して激しく戦った。空想的社会主義、マッツィーニの急進ブルジョア共和主義、プルードンの小ブルジョア社会主義、バクーニンの左翼的空論と陰謀、オッジャーなどの純粋・単純な労働組合運動、これらの幻想を叩き潰した。
その一方で、更に危険なセクトである日和見的な労働組合主義、政治的修正主義、サンディカリズム、こうしたものも生まれ始めていた。インタナショナルは、こうした危険なセクトに対しても、マルクス主義すなわち科学的社会主義の支配権の基礎をしっかりと打ち立てることができた。

[国際労働者協会解体の原因]

第1インタナショナルが世界政治の舞台から姿を消した理由は、資本主義の発展にある。資本主義が新しい段階に入ったことによって、インタナショナルにはもう達成できない新しい任務が、労働者階級に対して提起されていた。

国際労働者協会が活躍していた時期は2つの時代の境目にあった。
ひとつは、1789年のフランスのブルジョア大革命に始まり、1870年のフランス=プロイセン戦争が終わるという時代であった。この時代にインタナショナルは最も活躍した。レーニンによれば、この時代は「ブルジョアジーの繁栄と完全な勝利の時代だった。ブルジョアジーの上り坂の時代であり、一般的にはブルジョア民主主義運動の時代、特殊的にはブルジョア的国民運動の時代であり、すでに寿命を終えた絶対的封建制動画急速に破壊される時代であった」という。

もうひとつは、パリ・コンミュン戦士の決起に始まり、1917年10月のロシア革命、そしてこれから始まる新しい時代である。この時代は、一方ではブルジョアジーの支配と衰退であり、他方ではプロレタリアートが徐々に勢力を結集し始めたころである。このころの近代産業国の労働者階級の任務は、革命よりも労働組合をつくること、全国民的な労働者の社会主義政党を組織することであった。レーニンによれば、「第1インタナショナルはその歴史的な役割を終わって、世界のすべての国々の労働運動がはるかに巨大な成長を遂げる時代、すなわち、労働運動がその広さを増し、個々の民族国家を基礎にして大衆的な社会主義的労働者党が作り出される時代に席を譲った」。

個々の民族国家を基礎にした大衆的な社会主義的労働者党をつくる。こうしたことは、第1インタナショナルの仕組みのままでは達成することはできなかった。この任務は、それぞれの国で発展しつつあった若々しい労働運動がなすべきことであった。しかし、まだ若いゆえに、しっかりとしたマルクス主義的な国際的指導を打ち立てるほどの力は、どこにもなかった。そのような中でいくつかのセクトができ、潰してもセクトの力は強く、有害な動きを止めることはできなかった。第1インタナショナル解体の原因は、こうした様々なセクト傾向であった。
なお、各国において、訓練を積んだマルクス主義者は少なかったものの多年にわたりインタナショナルが素晴らしい指導力を発揮できたのは、インタナショナルの方針を決める様々な文書の執筆をマルクスが行っていたからであった。

第1インタナショナルは解散したが、マルクス・エンゲルスの指導の力は、その後ドイツ、イギリス、フランス、アメリカで発展していく運動と密接なつながりを持ち続けていった。この新しい国際運動は、やがて誕生する第2インタナショナルの基礎となった。

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