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20240317学習ノート『三つのインタナショナルの歴史』第25章-4 帝国主義戦争としての大戦

20240317
[帝国主義戦争としての大戦]

 ボリシェヴィキ、特にレーニンをはじめとする左翼は、第1次世界大戦について、不正で、侵略的で、反動的で、帝国主義的戦争であると主張した。これに反して右翼と中央派は、この戦争はそれぞれの国にとって正義の、民族的な戦争であるとしていた。
 レーニンは、1914年9月5日の戦争に関するテーゼの中でこう言っている。「ヨーロッパ世界大戦は、ブルジョア民族主義的な、また王朝的な戦争の特徴を鋭く表している。市場を求め、諸外国を略奪する自由を求める闘争、個々の国の内部ではプロレタリア的な、また民主主義的な革命運動の息の根を止めたいという志向、ブルジョアジーの利益のために、一つの国の賃金奴隷を他の国の賃金奴隷にけしかけ、それによって、あらゆる国々のプロレタリアートを愚弄し、分裂させ、皆殺しにしようとする志向——これこそ、この戦争のただひとつ本当の意味であり、意義である。……第2インタナショナルに属する諸党のうちでも、最も強力で最も影響力のあるドイツ社会民主党の幹部たちがとった行動……戦費支出に賛成投票し、プロイセンのユンカーとブルジョアジーに声を合わせてブルジョア排外主義のお題目を繰り返し叫んできたその行動は、社会主義に対する真っ向からの裏切りである。同じ非難は、ブルジョア内閣に入閣して社会主義を裏切ったベルギーおよびフランスの社会民主党幹部の行動にもあてはまるであろう。……第2インタナショナルの大多数の幹部が社会主義を裏切ったことは、……このインタナショナルがイデオロギー的にも政治的にも今や崩れ去ったことを意味する」

 この大戦を民族的な正義の戦争だと主張した各国の社会排外主義者たちは、1870〜71年のフランス=プロイセン戦争や、その他19世紀のいくつかの民族戦争についてマルクスとエンゲルスがとった政策を引き合いに出した。そうして彼らはこの戦争も正当化しようとしたのだ。このことについてレーニンは次のように言っている。「これらの引証はすべて、ブルジョアジー日和見主義に有利なようにマルクスとエンゲルスの見解を歪めた、不愉快極まる偽造であって、それは、ギョーム一派の無政府主義者たちがその著作の中で、マルクスとエンゲルスの見解を無政府主義を裏付けるために捻じ曲げたのと、そっくり同じである。1870〜71年の戦争は、ドイツの側からいうとナポレオン3世が敗れるまでは、歴史的に進歩的な戦争であった。というのは、ナポレオン3世はツァーリと一緒になって、ドイツ国内を封建的な細分状態のままにしておくことにより、長い間ドイツを抑圧していたからである。しかし戦争が進んで、フランスに対する略奪(アルサス=ロレーヌの併合)ということになるやいなや、マルクスとエンゲルスは、断固としてドイツ人を非難した。そればかりでなく、この戦争の初めの頃に、マルクスとエンゲルスは、ベーベルとリープクネヒトが戦時公債を拒否したことに賛成し、社会民主党に対しては、ブルジョアジーと合流せずにプロレタリアート独自の階級的利益を守るように忠告している。ブルジョア的=進歩的な民族解放戦争であったこのプロイセン=フランス戦争に対するマルクスの評価を、現在の帝国主義戦争にまで及ぼして適用することは、歴史を愚弄するものというべきである。このことは、1854〜55年の戦争と19世紀中の他のすべての戦争についても、一層よくあてはまるである。この19世紀当時は、近代的な帝国主義もなければ、また社会主義に移るための条件もまだ社会的に熟しておらず、すべての交戦国に大衆的な社会主義政党もなかったのである。言い換えれば、当時はバーゼル宣言が強国間の戦争に関連して『プロレタリア革命』の戦術を引き出したような、そういう諸条件そのものがなかったのである。ブルジョアジーがまだ進歩的であった時代の戦争に関するマルクスの態度を今日引き合いに出しながら、『労働者は祖国を持たない』というマルクスの言葉、——まさにブルジョアジーが反動化し、その寿命を終えた時代、社会主義革命の時代に関連して言われたこの言葉を忘れている者は、マルクスを恥知らずに歪め、社会主義の見地をブルジョアジーの現地にこっそりすり替えている連中なのだ」

 戦争が進むにつれて、第2インタナショナルは堂々巡りに陥った。ドイツ人、オーストリア人、トルコ人、ブルガリア人が戦うのは、ロシアおよび西欧列強による蹂躙と破壊から身を守るためであった。フランス人、イギリス人、ロシア人その他の国々の人が戦うのは、侵略的なドイツ人から民族の独立を守るためであった。
 ドイツ社会民主党の裏切りによって、社会主義諸党とプロレタリアートは、ロシアの野蛮の脅威から自国を防衛するという名目で戦争に参加した。しかし、もしもドイツの党が、シュトゥットガルト、コペンハーゲン、バーゼル各大会の決議である反戦政策を忠実に守っていたならば、ドイツはロシアに征服されることにはならなかった。しかも、ロシア革命はもっと早く訪れたはずである。
 ロシアのボリシェヴィキ党はレーニンの指導のもとに、「祖国防衛」の堂々巡りから抜け出す出口を世界プロレタリアートに示した。それは、ツァーリ制=資本制支配を粉砕することである。これが、この人類大虐殺の戦争から抜け出すという平和の任務のために労働者がなしうる、ただ一つの方法であった。

 この戦争において、帝国主義国の最後の勝利者はアメリカ帝国主義であった。対してヨーロッパの帝国主義諸国は、回復し難いほどの痛手を被った。しかし、この戦争の真の勝利者は、国際プロレタリアートである。夥しい数の命を奪われ、大きな損害を被ったにもかかわらず、世界の労働者は1917年11月のロシア大革命で、世界資本主義体制に対して破滅的な打撃を与えたのだ。その打撃こそ、世界資本主義体制がいまだにそこから回復できないでいる打撃であり、今後も永久に回復することはできないのである。

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