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辛いことがあったら距離を取るのは、そりゃそうだろう―――『一度きりの大泉の話』

だいぶ前に読んでいた望都さんのエッセイの、ラフ書き感想です。

ノンフィクションだから、ある一部分とはいえ、人の人生に踏み込むようなことにはなってしまいますが…

真相を知りようのない外野からの個人的な感想にしかならないので、実際には何がどうだったのか、という点については、この本を読んで自分が思ったこと以上を追求する気はありません。

あくまでも、"私が思ったこと"として。

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"辛いこと"って、時間がたってどうでもよくなることもあるだろうけど、ならないことも、あるんじゃないかなあ。
"許せないこと"だって、"許せないこと"だから"許せない"んであって、いくら時間がたっても変わらないってこと、あるんじゃないかな〜〜〜。

私は、望都さんの堂々たる拒絶宣言にちょっと感動しましたよ。
いや、そうしなければ身を守れない、ぎりぎりの防御だとしても…。
こうまではっきりと、「関わりたくない」、可能性はゼロだ、と。言い切るとは。

なんかあまり歓迎されないでしょう。「水に流さない」みたいな態度…。
他人が「流せば〜?」とか言うのはとても暴力的だと思う。そういう空気を出すのも。

当事者の、少なくとも片方が、「水に流れるようなことではない」「二度と元には戻らない」と言い切ってるんだから、それはもう失われた伝説なんですね。

伝説には見えてしまいますよ。当時を知らない世代としては。
器用で社交的な天才と、不器用で我が道を行く天才。おお!! これだけでも! …ごめんなさい。そういうことは思いました。
時々遊びに来る人たちも含めて……魅力的、ですよ、望都さん……


ドラマ化したい気持ちはわかる…そういう企画が持ち上がるのは…

でも、他のジャンルでも、有名人同士である時期親交があり、ある時期から途絶える、ってことはよくあるんだし、他人が「戻りなよぉ!」と言っても無駄だ。
何か企画がしたいからとか、その両方を好きだから仲良くしてほしいとか、そういうのは、現実の人間関係とはあまりにも遠い、外野の都合すぎる。

こっちが残念がっても、当事者が「無理」なら、無理なんだから。

私の、「やっぱり素敵じゃん!! この人たち!!」って気持ちなんかは…本当にね…
(大泉に憧れた世代ですらないのに。でも読んだだけでこう思ってしまいはするんで……)


この本、出さずにすんだらよかったのにね。ただ会わずにいて、それですんだら。
ここまで来ると出さずにはすまなかったんでしょうけれど…

私程度の、一部作品を読んだことがあるだけの読者が読んじゃって、申し訳ないくらい。
読んだ理由は…まえがきや帯の言葉のあまりのインパクトに、「読まなきゃいけないのでは?!」と…

永久凍土。
やっぱ望都さんの言葉はすごいな。
永久凍土ね。なるほど。
…お仲間!!と、少し喜んでしまったさ…
私も持ってるよー、永久凍土!

しかし、あまりにも強烈な言葉で、「よくこんな表現できるなあ…」と感嘆してしまう。
あの、別れのあたりの痛々しさと、この鋭さが、同じ人の中にあるというのは……ちょっともう言葉がない。
生きるの大変だったろうなあ。描き続けた望都さんの、マンガ愛の強さがすごい。


自分がどの立場なのか、は、どっちも…?
なぜそうなったのかわからず消耗していくあたりは、望都さんに共感もした。
でも、望都さんを恐れる側の気持ちも…そりゃ、それは…あるだろうなあって。

先に才能を発揮していた側の人の方が、後から来た人が追いついてきてライバルになり得るところにまで来た、って、気づきやすいんだろうなあ。
後から追ってる(後から活動し始めた)側の方が、いつまでも相手を、"先を行ってるすごい人"と思ったまんまだったり?
(望都さんは、そうだったんでしょうね)


あちら側が、「私はあなたの才能が恐いから離れたい」と、言えればよかったのに。
「おびやかされるからそばにいたくない」、それ自体は、だって、罪じゃないでしょう。しかたないでしょう。

望都さんのマンガを、否定するようなことを言ってしまったのが、そこが、致命的で取り返しがつかないように感じた。
…ここが…戻れないんじゃないかな。

あそこまでマンガ命の人に、その根本を疑うようなことを言ったら。
どれだけ長い時間がたっても、水には流れないんじゃないかな。
それさえ言わなかったら、離れたいだけなら、それは自由だったでしょうに。

望都さんが、自分の立場に気づければよかったのにね。そんで平穏に離れられれば。
…そんなことがたやすかったら何の悲劇もないんだから、後の世からの儚い願いにすぎないけれど。


尊敬していた相手って、どうでもいい相手じゃないし、この場合、はっきり恩人ですよね。
自分の一部、大事な、重要な、土台となる部分を切り捨てて生きるのは、大変な労力だ。

それでも描き続けた格闘、そのエネルギー。もう想像が追いつかない。

私がまだ20代で思春期引きずりまくりだった頃に、『メッシュ』が好きだったけど、あのように自身の心理的葛藤と闘うキャラクターは、本当にいろいろと必然だったんだなあ…と、ぼんやり思います…


この本を読むと、知らなかった大泉を魅力的に思ってしまう一方、こうまではっきり書かれている以上、私も、「素敵!!」などというミーハー根性を、封印せねばならない、ってことですね。

私自身は読めてよかったけど、やっぱり、出ない方がよかった本が出てしまいそれを読んでしまった、という後ろ暗さを感じる。
今までのミーハー歴で、けっこう表現者のそういったものを共有させられてきたけれど…
ここに一冊加わった、ってことかな…


二人ともが才能あるマンガ家だというのは、変わらないはず。
私は、心情的には、やっぱり望都さん寄りかもしれない。あちらの人の作品を、私は今後、手に取る気になるかどうか。
ただ、この本は、「責めたい」とかより、「そっとしておいてほしい」という方が主眼だろうから。

・・・ もう一度この記憶は永久凍土に封じ込めるつもりです。ちゃんとお墓を作り、墓碑銘も書きましょう。
時は過ぎ行き、戻ることはない。それで良いと思います。(29章) ・・・

↑この望都さんの言葉を、とにかくミーハー根性の強い私は、胸に刻まなきゃならない。
「時は過ぎ行き、戻ることはない。それで良い」、切ないけれど。そんなことは何度だってあるんだから。

この本で知ってしまった"魅力的な大泉"を、惜しみながらも、私もなるべく忘れることにして。
望都さんが存分に創作に没頭できることを祈りたい。


余談:強烈な言葉に惹かれてこの本を買いに行った時、自分で見つけられずにレジで聞いたら、店員さんは、望都さんの名前が聞き取りづらかったらしく… 
「はぎもとさん…?」「えっと、はぎお…」といったやりとりの中、近くにいた方が、これ、これですよ、と、この本を差し出してくれて。
ちょっとしんどいことがあった直後だったんで、その小さな親切が染みた。
そんなにサッと差し出せるなんて、「もしや望都さんファンでは?!」と、話しかけたいくらいだったけど、まあお礼のみに留めておきました…

そんな思い出も乗ってる一冊になったなあ。

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