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ここでセーブしていきますか【幽霊船日記】

・日記を書き始めてから3ヶ月経ちました。継続はパワーなり、嘉されるべし偉業ですよ。もっと多くの人に読んでほしいという欲が湧いてきました。ということで、記事のタイトルに【幽霊船日記】と付けることにした。だって私の記事のタイトル、ほとんど内容を表してないから。これじゃ初見の人は意味分からずじまいで手をつけづらかろう。せめて日記であることだけは示してやろう。そういうわけです。

・日記を他の人に読んでもらいたいってのは不思議な感情だ。日記とは己が体験したこと感じたことを赤裸々に書く書き物であり、プライバシーな内容が多い。もともと人の目に晒すようなものではないのである。日記における唯一の読者は自分であり、頭の中の考えを出力することを通じて内容の理解を深め反復的な内省を可能とする。書いていくうちに「自分はこんなこと考えてたんだ」と改めて気づくこともある。そういう極めて個人的な活動が日記なのだ。それを人に見てもらいたいとそなたは申すのか。

・日記のエンタメ化。私は人に見てもらう前提で日記を書いている。あまりにも身内すぎる内容は避け、個人を特定できるような内容は情報をぼやかしたり時期を開けたりする。宗教、政治、その他主義思想に対しては一歩引いた立場を取り、話題にするにしても俯瞰的に、あくまでも「思ったことを書く」ことだけに注力する。Twitterで培ったリテラシーが光る。Twitterやっててよかった。

・飽きっぽい私がここまで続けられたのは何より日記を書くのが楽しいからである。楽しいよ。今までの私の記事を読んでくださった酔狂な人なら分かるんですが、私の文はどうにもおかしい。首を傾げるような比喩や無駄口、謎の倒置、感嘆詞の多用、うざったい小ギャグ。自分でも何言ってんだとなる時もあるがそのままの勢いで書いてる。楽しいから。勝手に筆が(キーボードやフリックが)動くのだ。最初の、私が一番最初に書いた記事の「幽霊船と日記について」における「私の考えは私を置いていく」がまさに起きているのである。一種のトランス状態。これが気持ちいいのだ。無意識による連鎖は時として絶妙なバランスを生む。作為的でないナチュラルな違和感を生む。これがよく分からんままに生み出されてる感覚が心地よい。

・で。書いてる私が楽しいんだから読んでる人も楽しいだろという押し売り。私自身過去の記事を読み直すことがあり、我を失いながら書いてるもんだからどこか他人事で楽しめる。そして面白い。私のツボを的確に押さえた文章を書きやがる。私が書いたので当たり前ではあるが。

・サムネはこの前何の気なしに街を歩いてたら見つけたいい感じの椅子。セーブポイントみたいだなぁって思ってしばらく座ってSNS見てた。バス停があるわけでもないので本当に休むだけ用そうだ。なんかいいね。

・散歩してると色々考えが膨らんで、これ日記に書こうかなみたいに思うことがしばしばあるが大体忘れてる。思いついたらすぐメモすりゃいいんだが、散歩中にスマホ開くためだけに足を止めたくない。慣性の法則、動いてるものは動きたいのだ。

・近所のコンビニが潰れた。夜中にカップラーメン食べたくなって買いに行く、またはコピー機を使うくらいにしか利用してなかったが。そんなに思い詰めてたのなら言ってくれたらよかったのに。閉店セールということで在庫が格安で売られてた。私が向かったのはだいぶ後だったのでほとんど商品は無くなってて棚はほとんどからだった。その中にポツンと、激辛とうたうカップヌードルがいくつか。切なかった。かわいそうで。買わなかったけど。


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