電話神経のコール【幽霊船日記】

どうしようもない鬱屈を抱えている。
気持ちが塞がっているので、文字にして晴らします。前回と同じだね。

人類に対し漠然とした怒りを感じているのは、私がコテハンが付いた人間と交流したがらないうえに、いっぱしに宛名付きの殺意を共有する勇気が無いからなのかもしれない。社会に属して、悶々としたわだかまりを抱えて、しかしそれをぶつける個人もやる気もないから、人類全体に嫌気がさしているのだろう。

短期的にかかわりのある方からの連絡を無視している。どうしても返信する気になれない。電話が来た。電話を掛けた旨を知らせるメールも来た。そのすべてをなしの礫にしてしまった。よくないことだとは分かっている。悪いのが絶対的に自分なのも把握している。しかしどうしても食指が動かないのだ。

電話は本当に苦手だ。そもそも私はリスニング能力が低い。耳に音は入ってくるのだが、それを咀嚼して意味に分解することができない。話ている人と聞いている私が見ている景色が違うのも問題だ。集中力が無く注意が散漫してしまう私は、相手側の状況が見えていないから、環境音に敏感になってしまい、声を聞き漏らしてしまう。

マルチタスクができない。覚えなければいけないことを脳のしわにメモしている間に耳の改札はお昼休みに入っている。紙に書ける状態であっても、ペンが動いていれば、脳は死んでいる。あちらが立てばこちらが立たないのだ。

その結果、うやむやなまま、相手の言ったことを唯々諾々とうなずいてしまう。事情をちゃんと把握しないまま、何かしらの責務を任されることになってしまう。それが嫌だ。電話には明らかな方向がある。話したいことがあるから、向こうは通信料を駆けて電波を飛ばしているのだから。受信した側は大方無力だ。なされるがままにするしかない。

世にはこれを苦ともしない人にあふれているのだろう。電話対応は圧縮された現代の拷問だ。本当にやめてほしい。ちゃんと心に余裕があるときは、まだ苦痛は最小限にたもてるのだが、腐っているときに電話が来ると、心臓をきりりと締め付け、より脳みそが悪い方に歩いて行ってしまうので百害あって一利なしなのだ。

そもそもなんでこんなに鬱々となっているんだ。三月の初旬は新しいコンテンツに触れる気力があった。しかし今はてんでダメだ。見始めたアニメやドラマも放置しているし、枕元に置かれた本の進捗も芳しくない。あらゆる日常行動が億劫だし、立ち上がることすら諦めることがある。手元にはもう一つの世界のインターネットがあって、そこでゲームかパズルをずっとしている。何も考えなくていい。私がパズルを好んでいるのは、考えることが実に明確で指標があるから、かえって人間的活動よりも簡単だからだ。薬みたいなものだ。嫌なことを一時的に忘れさせてくれる。

人間であることはむずかしい。今の生き方が自分に合っていると思っているし、できることなら続けていきたいとも思っているが、ふとした拍子になんもかんもが嫌になってしまう。未来に希望を持てない。いつか、得体のしれないガスのようなものが口から漏れ出て、日々に引火し爆発してしまう気がしてならない。刹那的で享楽的。計画も予約も無い現代を生きている。

高校を卒業した時に、今も付き合いが続いている友人から「一番宇宙人だった」と言われたことがある。当時はそれを誉め言葉だと思ってありがたく受け取ったが、まあ、微妙なラインだ。私には芯というものが無い、またはそれを人に見せることができていないのだろう。擬態だ。人工無能と同じで、符号のような会話はできるが、そこに意思が介在しないのだ。他者と空間を共有すると自分ではない自分になる。のらりくらりと返事して、思考がいつの間にか遭難している。モードチェンジは知らぬ間に行われて、ほとぼりが冷めた時に、途方もないほど精神が摩耗していることが分かる。そして嫌になって、人と関わること自体が億劫になる。

個が、(とてもありふれた呼び方だ)、私に対し「世界から乖離している」と言ったのもそれが原因なんだろうか。できるだけ作者性を排除した名前を作ろうと心掛けているからだと思って納得したが、もしかしたら、私がそういう性質の人間だったからなのかもしれない。作品は作者の鏡と言うが、そうなんだろうか。


今日はここまで。
あまり気分は晴れなかった。苦しい気持ちは続いている。文字にする過程で、「嫌」を自分に再接続したのも健康に悪い。名前を作って諸々から逃げることにします。


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