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感覚的で不可塑【幽霊船日記】

・英検受けるわけでもないのに英検の問題を解かないといけなかった。なんでなんだ。時間拘束される上に自分ごとでないから全く気が進まない。常に「やらないといけないことドッスン」が頭上にいたせいで、他のよしなしごとも手がつけられなかった。何か別のタスクに手を出そうにも「先に英検片付けるべきだよな」と考えて手をひっこめてしまう。こういう「やらないけないこと」が他にある時、私の生産効率は著しく落ちることが知られている。で、やるべきことが終わったのでこうして日記を書いているわけである。

・そんなわけで英検二級の問題を解いてみたんだが、こんなに簡単だったかしら。筆記(リーディングとライティング)は85分与えられていたんだけど半分くらいで解き終わった。間違いなく長文を読む速度が上がっている。ここ数年真面目に英語読んでいなかったけど受験のノウハウは未だ現役みたいだ。すごいな、人間の記憶は。何年経っても自転車の乗り方は忘れないというのはよく言われるが、それは手続き記憶と呼ばれて「体が覚えている」長期記憶に分類されるそうだ。今調べたが、読み書きの能力もこれにあてはまるらしい。なんとなく、こういう生得的で経験的な記憶は幼少時にしか醸造されないものだと思っていた。案外遅くてもどうとでもなるんだな。

・冥王星について考えていた。かつては惑星とされていたが準惑星に再分類された天体。惑星の定義が見直されたことにより、サイズが一回り小さい冥王星は惑星から外されたみたい。そもそも定義見直しが起きたのも冥王星が原因で、冥王星と同じくらいの天体が複数見つかったため、「もし冥王星を惑星とするならば、そいつらも惑星にしないといけない」状況に直面した。惑星の数がいっぱいになるのは嫌!という恐らく直感的な理由で惑星の定義が見直されて、見事冥王星とそれと同サイズの星々は惑星未満となったのでした。

・そんな感覚的な理由から世界規模の定義を変えても良いのかしら?思い出したのは音階と虹の話だ。ドレミファソラシの七音と紫赤橙黄緑青藍の七色。ニュートンが光を色ごとの波長に分けた実験で、現れた色の種類を彼は先の七色だと判断を下した。実際のところ、波長は連続的なものなので何色あると言うことなんて不可能なのだが七色と言い切ったのだ。で、その理由が音階が七音だからなんだとか。この辺りで自分の記憶が怪しくなってきたので調べたらちゃんと存在したエピソードだった。良かった。音の波長と色の波長を対応させたかったから、と推測されている。この話を知った時、そんなことしていいのと純粋に思った。ロマンや神秘が実験室を侵しているように思えた。人間が使う法則や定義なのだから人間のクオリアに従って変更して良いとは思うが、どうにも受け入れられない部分がある。人間本位に自然法則を捻じ曲げて解釈するのはあまりに傲慢なんじゃないか。私は自然に従属していたい。

・cell to singularity をいっぱいやっているので、量産された広告をひたすらみている。動画を飛ばさずにみると効率的にポイントが稼げるのだ。資本だね。ロイヤルマッチというパズルゲームの広告がたまに流れてくる。王様が危機的状況(ヘビに追われている、水が溜まっていく部屋に閉じ込められている等)に追い詰められていてパズルを解いて救出しようとするものの失敗する、というのが一連の流れだ。で、この広告がちょっと怖い。パズルに失敗し王様がやられた瞬間に「failed」というマークが画面中央にドンと現れる。ポップな効果音や悲しさを煽る演出はない。唐突にfailed が突きつけられる。これが、余りにも「死」すぎるのだ。命失えばその先は無い。死というのは余韻の無い終わりであると、無機質に訴えられている気がする。報酬を手に入れるため私は動画を飛ばせないので、王様の死を毎回見届けないといけない。私の「ゲームを効率的にプレイしたい」という欲求が何度も王様を死へ誘っている。まあ、悲しくないし、アプリはダウンロードしない。

・納豆を買ってみた。極度に偏食の人がいて、意外にもその人は納豆は食べられるというのが妙に面白くて自分も食べてみたくなったのだ。納豆って嫌いな食べ物とされる代表的存在の印象だったから。なんか、面白いじゃない。その人は白米も好きなので、納豆ご飯を毎日のように食べているらしい。なんか、偏食でも納豆毎日食べていれば健康でいられるような気がする。納豆への謎の信頼感はどこからくるんだろう。奇特な見た目と匂いは栄養と結びつくことはずないのに。

・その偏食の人は、年々食べられるものが減っていくことを嘆いていた。「突如として無理になる」らしい。この前味噌汁が無理になったんだとか。今まで美味しいと思っていたものが、ある日突然永久に失われてしまう。たまらなく怖い、かも。拡張していうなら、視覚や聴覚を失うのと同じはずだ。覚悟を決めることすら許されずに奪われるから、より悔やんでしまう。今後一生寿司が食べられないとしたら。悲しいな。そう考えれば、オモチャンで「負けると十年間エビ天が食べられなくなるゲーム」をしていたが、あれは期間が定められているだけマシだったんだな。

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