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一歩だけ前に

川沿いに咲いている木々は桃色一色からずいぶん変わった。
ずいぶん人通りは落ち着いたけど、五月の訪れを予期させるような木々の緑はいいもんだなと思って散歩する。

新しい季節になる。新しい環境にステージアップしていく人、新しい人と関わっていく人、新しい世界に進んでいく人がいっぱい現れる。
そういう「新しさ」に面したとき、これからの自分にワクワクするだろう。

従来のいつ、何が、どのように起こるかわかり切っていた環境から、何が起こるかわからない、どうなっちゃうのか皆目見当がつかない環境へ。
だれ一人だって、新たな環境に。新たな自分に。期待をしているはず。

だけど、年齢を重ねるうちに「ワクワクさ」を忘れてしまう人がいる。それもかなりの数の大人が。環境にも自分にも期待できなくなってしまい、一方的に加えられる刺激や行動にだけ反応する、植物みたいな受け身人間が出来上がってしまう。

新社会人の入社後即退社を希望する人が増えているといったニュースがNHKで報道されていた。理由は「配属先や業務内容との自分自身のミスマッチ」らしい。「ワクワク」しない大人の象徴的なものだと思う。
「仕事に対して違和感を感じ即日行動する積極性」は重要だと思う反面、「未知なる分野に必要とされている自分を奮い立たせ、立ち向かっていく」積極性が皆無な上に、そういうことを就職活動時に調べる主体性が欠如しているところも含めて皮肉な結果だなと感じる。

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記憶が確かじゃないけど、ある人と公園で話していた。
その人はポツリポツリと、
・大学受験に失敗し、元来興味のあった分野の勉強が叶わなかったこと。
・諸経費を出してくれた親に申し訳なかったし、もう自分に期待ができないこと。
・もっと苦手なことから逃げてなければ、もっと自分は変わってたかもしれないこと。
・目標とか信念とか、軸みたいなものが自分にはないこと。
・お金さえあれば、幸せには暮らせると思ってること。

ぼくはその人に何を話したか、あまり思い出せない。
来世にもう一回過ごしたいと思えるような自分の人生を過ごせばって言ったことだけは覚えている。ニーチェのパクリ。
結局、ぼくにできることなんて何もなかった。

自分自身がワクワクしてるし、自分自身に対して期待してるからあんまり人の気持ちがわからないのだけど、それから自分にとっての「ワクワク」がわからなくなる人が世の中に結構たくさんいて、いろんな意味で自分自身をあきらめることが大半なことを知った。
なんであきらめる必要があるのか、僕にはぜんぜんわからない。
諦めることを刷り込む何かしらの要因の方が人生の時間の多くを占めているわけで、他人なんて無力なものなんだと思う。
でも、自分が関わる人には、ちょっとしたもので構わないから、生きるうえでやる気の源泉になる「ワクワク」を携えていってほしいと思って、へんなことを周りを巻き込んでやるようにしている。(気がする)

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Youtubeで見たおじさんは、「労働することは目的じゃない。目的はアナタ自身がやりたいことをかなえる手段として、労働を使うんだ。」と言っていた。
働くことは手段に過ぎない。金も働くことの副産物として得られるものであって、それも必要ではあるけど目的にするのはおかしいと思う。
大事なのは、労働を手段として利用しようと思えるくらいの目標があるかどうか、だと思っている。

人間として生まれた以上、考え続けなければならない。

自分にとって、他者にはない「価値」とはなんなのか。
その分野に身を置く上での自身の「稀有性」とはなにか。
何よりも、「ワクワクしてますか?」

ワクワクしよう!!!!


ワクワクさん


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