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そこにみえてるんだもの。

去年、いや一昨年の冬からちまちまと、ひざ掛けを毛糸で編んでいた。

編み物に詳しくない方に伝わるかどうかはわからないが、モチーフ編みという、小さく編んだ毛糸の布を繋げて大きな布や服やなんやかやにしていくという編み方で、その小さい布を片手間に編んでは溜めるという作業を繰り返していた。

普通のアクリル毛糸だから寒い時期が過ぎてしまえば、編み物をやりたい気分も過ぎて行ってしまう。なので、寒くなってくると「そういえば」みたいな感じでまた小さい毛糸の布を生産していた。

目標はひざ掛けだったから、ある程度の量がなければならない。ひとつめの冬は出来上がった布の量が足りずに次のシーズンに持ち越した。ふたつめの冬(つまりこないだの冬)に、だいたいこの程度あれば足りるかな、という量に達した。

ひざ掛けを作るのだから、後は小さな布を繋げて大きな布にしてしまえば作業は終了。しかし、そこでやる気のほうが絶えた。

昔使っていたひざ掛け(しかも2枚も)が家の思わぬところから発掘されたのも、その原因かもしれない。が、おそらく、たぶん、自分の性質のせいなのだ。

ただただ「過程の中にいること」が楽しい。ここまで行こうかな、と自分で決めた旗に向かっててくてく歩いていく。寄り道したり、旗が途中で入れ替わってしまったりしながらも本人は非常に楽しい。だが、遠くのほうに旗の影でも見えようものならその気分がみるみるしぼんでいく。

あそこにゴールあるのね、うん、この道まっすぐで着くのね。そこでなんとなく、んじゃもうあそこ行かなくてもいいかな、と思ってしまう。だってそこに見えてるし、ゴール。

そんなことを繰り返しているが為に、人生の中でも「いろいろなゴール」に辿り着いた事が比較的少ない自分は、ゴール経験の不足が故に最後のツメが非常に甘いし、広げた風呂敷は自分で畳めない。

この話に、オチが無いのも、そういう理由があるのですよ。

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